プロ野球選手にとって超一流の証しでもある名球会に入るための条件が、投手に厳しすぎる。20年シーズン限りで現役引退した阪…
プロ野球選手にとって超一流の証しでもある名球会に入るための条件が、投手に厳しすぎる。20年シーズン限りで現役引退した阪神藤川球児投手(40)は「(日米合算)250セーブ」にあと5、巨人岩隈久志投手(39)は「200勝」にあと30届かず、ユニホームを脱いだ。
一方、野手の名球会条件「2000安打」を今季クリアしたのが、巨人坂本勇人内野手(31)。11月8日ヤクルト戦(東京ドーム)で、右打者では史上最年少で達成した。野手では58人目となったが、投手は半数の29人しかいない。プロの構成比率が投手の方が多いことを考えても、名球会入りの基準は野手より投手が圧倒的に不利だ。
坂本と同じ高卒同期入団のスーパースターを比較対象にするとわかりやすい。ヤンキース田中将大投手(32)は20年終了時点で177勝81敗(日本99勝、米国78勝)。頭部打球直撃の影響もあって今季は3勝にとどまったが、実働14年で12度の2ケタ勝利。楽天入団1年目から11勝し、13年には24勝0敗をマークするなど、スペシャルな活躍を続けながら、200勝にはまだ「23」も届かない。
同じ「マー君世代」のツインズ前田健太投手(32)は150勝103敗(日本97勝、米国53勝)。広島で2度の最多勝タイトルを獲得するなど、球界では十分トップクラスの数字だが、200勝まであと50勝もしないといけない。もちろん、坂本が球界を代表する野手であることに間違いないが、投手の「200勝か250セーブ」のハードルがいかに高いかがわかる。
【年代別の名球会条件クリア人数】
1940年~:投手3人、野手0人
1950年~:投手5人、野手1人
1960年~:投手5人、野手2人
1970年~:投手2人、野手8人
1980年~:投手6人、野手13人
1990年~:投手1人、野手3人
2000年~:投手5人、野手13人
2010年~:投手2人、野手18人
2000年代に着目すると、200勝達成者は04年工藤公康、05年野茂英雄、08年山本昌、16年黒田博樹の4人しかいない(他3人は250セーブをクリアした佐々木主浩、高津臣吾、岩瀬仁紀)。長く現役を続けた晩年でようやくクリアした投手の苦労に比べて、野手は31人も2000安打をマークしている。1900年代より試合数が増えたことで安打数も増加し、恩恵を受けた野手は達成者が激増した。
現代野球で先発投手は中6日ローテーション制が定着し、登板数が年間26~28試合と限られる。中4日ローテのメジャーでも登板数は30試合ほど。さらに中継ぎ、抑えと分業制が確立し、勝敗がつかずに降板するケースも多い。先発完投が当たり前、登板間隔も短かった昭和時代は、200勝投手が多く生まれる土壌があった。
そもそも名球会に入ることで、なんのメリットがあるのか。ハクがつく、知名度によって引退後の仕事に困らない…などが挙げられるが、必ずしも会員にならないといけないわけではない。2371安打を放った落合博満は名球会入りを拒否し、「オレ流」といわれる哲学を貫いた。
245セーブの藤川、170勝の岩隈はともに名球会入りしてもおかしくない、歴史に名を残す活躍ぶりだった。時代の変化とともに、投手と野手の格差が叫ばれて久しい名球会の基準が見直される日はくるだろうか。
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[文/構成:ココカラネクスト編集部]