写真:水谷隼(木下グループ)/撮影:伊藤圭

通算4回の五輪を経験することになる水谷隼(木下グループ)。水谷の歩みは日本卓球界の歩みと等しいと言ってもいいかもしれない。19歳、2008年北京五輪に初出場、23歳、2012年のロンドンでの苦難、27歳、2016年のリオデジャネイロの初メダル。波乱万丈の3大会を経て迎える東京五輪。過去3大会の五輪の足跡を振り返る。

(取材:川嶋弘文・ラリーズ編集長)

出場がやっとだった北京五輪




写真:過去の五輪を振り返る水谷/撮影:伊藤圭

水谷にとって、一番印象に残っている五輪。それは日本卓球界に初のメダルをもたらした2016年のリオ五輪ではなく初出場の2008年の北京五輪だ。

「あのときはまず日本がオリンピックに出場できるかどうかもわかんなかったですね。それぐらいレベルが低かった」。

今でこそ当たり前のように五輪に出場しているが、2008年の日本卓球界は今と様相が異なっていた。今でこそ世界ランキングトップ10にランクインすることがあるが、2008年の水谷は21位、岸川聖也は63位と世界レベルからは水をあけられている状態だった。

当時を知る吉田海偉も「あのときは50位以内に入ったら、“すごい!”って言われるくらいだった。あのときに比べたら日本の卓球は本当に強くなった。ここから時代が変わったよ」と振り返る。

さらに選考プロセスも現在とは異なっていた。当時の日本の世界ランキングでは五輪に出場するにはアジア大陸予選から出場し、勝ち残らなければならなかった。「アジア大陸予選がしんどかった。そのアジア予選には、中国の選手がいて、香港、台湾、北朝鮮、シンガポール、韓国もいる。各国2人出てて、7人ぐらいしか通過できなかったんで。そこに残るのが本当につらかった」と当時を振り返る。




写真:北京五輪での水谷隼。クレアンガに苦杯を喫した。/撮影:AP/アフロ

なんとかアジア大陸予選を勝ち残って掴み取った五輪の初舞台は、シングルス3回戦でギリシャのクレアンガの前に散った。クレアンガは当時17位、21位の水谷と大きな差はなかったが、勝てなかった。五輪の舞台の厳しさを感じた大会だった。

北京から12年、今でこそ、“打倒中国!”と意気込んでいるが、結果だけみれば、当時は五輪に出場することだけで精一杯といったところだった。だが、この大会から日本卓球界は夜明けを迎える。

中国武者修行を経て飛躍

この北京五輪での敗北をバネに、水谷は飛躍の時を迎える。自分自身「一つのピークを迎えた」と語るほど充実したアスリートとしての期間を迎える。「あの4年間はそうですね…。まあでも、記憶としては一番薄いかもしれない。僕は苦しいときははっきりと覚えていて、楽しいときは漠然としか覚えていないから」。

水谷の語る“楽しいとき”とは中国超級リーグへ挑戦し、浙商銀行に加入したことだ。




写真:笑顔で当時を振り返った/撮影:伊藤圭

「中国リーグに行って、馬龍(マロン)や馬琳(マリン)と練習をして、いろんなことを吸収できたことが一番の思い出ですね」。

世界トップクラスの選手たちに引き上げられるように世界ランキングの階段を駆け上がっていく。2008年は張継科に勝利し、2009年、韓国オープンにおいて準々決勝で朱世赫(チュセヒョク)、準決勝でオフチャロフ、決勝で郝帥(ハオシュアイ)といった格上の強豪を次々と撃破し、優勝をかっさらう。JUN MIZUTANIの名が世界に轟いた試合だった。2010年のグランドファイナルでは初優勝を果たした。新天地での挑戦はこれ以上ない成果をもたらした。




写真:水谷隼/撮影:伊藤圭

「このときは、人生でもすごい楽しかった。20歳で大学生らしいこと何一つしてないんだけど、ただ必死に頑張ってたなって思い出はあります」。

「緊張で寝れなくなった」 ロンドン五輪のメダルへのプレッシャー




写真:水谷隼/撮影:伊藤圭

こうして臨んだ2012年。ロンドン五輪を控える大事な年だ。スタートの全日本選手権こそ決勝で吉村真晴に負け、優勝を逃したものの、その後はジャパンオープン、クウェートオープンでも優勝し、調子を立て直した。このとき、世界ランキングは7位。押しも押されもせぬ日本のエースとなり、世界からも熱視線を注がれていた。

だが、逆に大舞台ではそれがプレッシャーとなった。「北京に比べたらロンドンでの注目度が一気に上がったのを感じて。明らかに周囲からもメダルを期待されている。それが緊張になってしまって寝れなくなってしまったんです」。

どんな大舞台でも堂々たるプレーを見せてきた水谷にとって、初めての経験だった。

「あのときはお酒を飲んで寝る、くらいしか解決策がしかなくて…」。

まぶたを閉じると邪念ばかりが頭をよぎる。浮かんでくるのはトーナメント表と相手のことばかりだ。最初に当たるエルサイド・ラシン(エジプト)に対処できる自信はあった。だが、その次に当たるであろうマイケル・メイス(デンマーク)のことを考えると「ちょっと嫌だな」と悪い予感が頭をもたげる。「左への苦手意識もありましたし、あとジャパンオープンで4-0で勝ってるぶん、逆にやりづらいなとも思っていて」。




写真:メイスに苦杯を嘗めた水谷。ベスト16で涙を飲んだ。/撮影:AFP/アフロ

水谷の悪い予感は的中する。0−4であっさり敗れてしまったのだ。前回のベスト32から、ワンランクアップのベスト16にとどまった。団体でもベスト8に終わり、期待されていたメダルを逃す結果となった。

「正直、ロンドンが終わってからは自暴自棄でしたね」。それほど、期待と実績が乖離した大会だった。

それから苦難の道が始まる。

(第4話に続く)

文:武田鼎(ラリーズ編集部)