沖縄・国頭村(くにがみそん)にある、かいぎんスタジアムでの日本ハム二軍キャンプの練習中、見守っていた大渕隆スカウト部長…
沖縄・国頭村(くにがみそん)にある、かいぎんスタジアムでの日本ハム二軍キャンプの練習中、見守っていた大渕隆スカウト部長がこんなことをつぶやいた。
「育成選手が入ったことで、練習に活気が出てきましたよ。前まではポジションがスカスカのまま練習することもありましたから」
日本ハムは長らく育成選手制度を利用せず、支配下登録の人数も65人程度に絞る「少数精鋭」の体制をとっていた。ファームで実戦経験を多く積ませるための適正人数が65人と判断していたためで、資金力に恵まれているわけではない日本ハムにとって「ドラフト」と「育成」の両輪は命綱だった。

BCリーグの新潟アルビレックスから育成選手として入団した長谷川凌汰
だが、近年はファームの試合数も増え、故障者が続出すると運営に支障をきたすリスクもあった。また、春季キャンプでは40名以上の選手が一軍に招集されるため、二軍は人数不足のなか練習せざるを得ない弊害もあった。
そこで2018年ドラフトで初めて育成選手の海老原一佳(富山GRNサンダーバーズ)を獲得。2019年ドラフトでは、育成選手3人を指名した。
スカウト歴40年を超える大ベテラン・今成泰章スカウトは言う。
「ファームで出番を与えられるだけじゃうまくならないし、競争意識が出てきたよ。育成の子らも懸命にやるからね」
なかでも存在感を放っているのは、ともに新潟アルビレックスBCから入団した長谷川凌汰、樋口龍之介の育成新人コンビである。長谷川は25歳、樋口は26歳を迎える年齢であり、育成選手の1年目でありながらすぐに結果が求められる立場でもある。
「1日も早く支配下に上がれるように、鼻息荒くやっています」
そう語る長谷川は、2月15日の紅白戦で最速150キロを計測してアピールした。この時期に150キロが出たことについて聞くと、長谷川は「去年の今頃はバイトをしていたので、出したくても出せませんでしたからね」と笑った。
身長188センチ、体重92キロの巨体ながら、コンパクトなテークバックで再現性の高いフォームが特徴だ。18日のブルペン投球では捕手のミットを強く叩く速球を披露しつつ、スライダーなど変化球を多く投げ込んでいた。
「変化球の精度がまだまだなので。紅白戦で一軍のピッチャーを見て、コントロールのズレが本当に小さいと感じました」
長谷川の球歴は波乱に満ちている。福井商時代は2番手投手だったが、3年夏の甲子園初戦でエースが故障。急遽代役を務めて2勝を挙げた。ところが、進学した龍谷大でフォームを見失い、球速が一時最速120キロまで落ち込んだ。野球を断念しかけた大学4年秋にきっかけをつかみ、球速が148キロまで増速。だが、その時点で採用枠のある企業チームもなかったため、国内独立リーグ・BCリーグの門を叩いた。
BCリーグでは1年目から最速153キロを計測。ドラフト指名濃厚と見られたが、2018年ドラフトで指名漏れを味わっている。2年目には「NPBに行くだけでなく、即戦力として通用する力をつける」と意気込み、11勝1敗と圧倒的な成績をマーク。育成ドラフト3位で日本ハムに入団した。
だが、NPBの高いレベルを肌で感じて、長谷川は「自分の取り組みが甘かったという思いもあります」と語る。
「BCリーグでも練習をしてきたつもりでしたが、まだまだ足りなかった。NPBは本当の野球漬けで、『二軍でもこんなに練習できるんだ!』と驚きました」
NPBの壁に苦しんでいるわりに、その表情はすこぶる明るい。そんな印象を伝えると、長谷川はこの日一番の笑顔でこう答えた。
「めちゃくちゃ楽しいし、幸せですよ。1日が短く感じます」
一方、樋口は身長168センチと上背はないものの、体重84キロと肉厚の強打者である。今年で26歳になる樋口にとっては、高卒ルーキーのように「まず慣れるところから」などと言う余裕はない。だが、樋口は自分の置かれた状況を冷静に見ている。
「年齢が高いと言っても、この世界(NPB)を一度も経験していないので。すでに入団している20歳の子でも、この世界を1~2年経験しているだけでも全然違う。だから若い子と比べても、自分はまだまだだと感じます。毎日、次から次へとやらなきゃいけないことが見つかって嫌になりますよ」
大渕スカウト部長は樋口について、「キャラクターも体つきも面白いし、実戦でのうまさもある」と評する。
15日の紅白戦では1安打1四球とさっそく結果を残した。だが、職人肌の樋口は「素直に喜べばいいんでしょうけど、まだまだです」と納得していない。それは横浜高の先輩であり、新潟時代には自主トレの練習パートナーを務めた近藤健介という偉大な存在を目の当たりにしてきたからだ。
「首位打者を争うようなバッターをずっと見てきたので、自分なんかまだまだだとわかりますから」
名門・横浜高では1年秋から4番を任されるなど、小柄でも強く振り切るスイングが魅力だった。だが、進学した立正大ではレギュラーにもなれなかった。
「ギリギリベンチには入れてもらっていましたけど、単純に打てませんでした」
BCリーグに入団し、3年目となる昨季に転機が訪れた。「初めてちゃんとウエイトトレーニングに取り組んだ」と肉体改造に成功し、19本塁打をマークした。年齢の壁を破り、育成ドラフト2位指名を勝ち取った。
独立リーグでいくら結果を残そうとも、実際にNPBから指名を受けるのは20歳前後の素材型ばかり。大卒3年が経過した樋口が指名されたことは、同じような状況で奮闘する選手にとって大きな励みになるはずだ。樋口は「正直言って25歳は野球をあきらめるラインなので、僕がNPBに行ったことで『もう1年チャレンジしてみようかな』と思う選手が出てきたらうれしいですね」と語る。
プロになれた喜びと、日々の競争の大変さはどちらが勝っているか。樋口に聞くと、笑って即答だった。
「それは全然、日々の大変さですよ。喜びなんてものは、ドラフト当日と札幌ドームでのお披露目イベントで終わりましたから」
そして、樋口はこう続けた。
「正直言って、僕はまだプロとも思ってないです。育成選手だし、チームに何も貢献できていませんから」
長谷川も樋口も、もし昨年ドラフト指名を受けていなければ「もう1年BCリーグで続けて野球をやめるつもりだった」と口をそろえる。失うものは何もない。野球に没頭できる環境で、彼らは虎視眈々と下剋上を狙っている。
日本ハムのチーム力底上げのカギを握るのは、自身の存在価値をかけて戦う「オールド育成選手」なのかもしれない。