今季前半戦のPSVは、10月なかばから突然チームが崩れてしまい、首位アヤックスとの差が勝ち点10まで開いたうえ、AZに抜かれて3位まで落ちた。そして、マルク・ファン・ボメル監督は更迭された。

 そんな重苦しいシーズンを送っているPSVだが、今年最後の試合となったズヴォレ戦を4−1で快勝すると、選手たちの顔には笑みがあふれた。心身ともに疲弊しきった若きタレントたちは、まずはクリスマス休暇をリラックスして過ごし、年明けのカタール合宿からシーズン後半戦の捲土重来を図る。



すっかりPSVの一員として定着した堂安律

 だが、ロッカールームから出てきた堂安律の表情は冴えなかった。この日、堂安は67分でベンチに退いていた。

「自分的にもよくないのはわかっていましたし、仕方がない。自分の感覚がよくなかった。アイデアが浮かび上がってこなかった」

 ズヴォレ戦の堂安は右サイドハーフとしてスタートし、立ち上がりこそシュートを2本放ったが、その後はプレーの関与が減っていった。後半開始からボランチにコンバートされるとボールタッチが増え、チームの3点目につながるクロスを入れたりもしたが、「ボランチはとくにやりたくない。やるなら30歳を過ぎてからでいい。今はイケイケの(攻撃的なポジションの)ほうがいいかな」と、新たな境地への興味はなさそうだった。

 なにはともあれ、堂安律の2019年はこれで終わった。

 1月、アジアカップで2ゴールを決めた堂安だったが、大会を通じて縦のドリブルを封印されてしまい、思うようなパフォーマンスを披露することができず、日本代表も準優勝に終わった。その後、フローニンゲンに戻って2018−2019シーズンの後半戦を戦ったが、たった1ゴールに終わってしまった。

 8月末、堂安はPSVへのステップアップを果たした。ただ、試合にはコンスタントに出ているものの、周囲を納得させるほどのパフォーマンスと結果は残せていない。

 こうしたことを踏まえたうえで、堂安は2019年を苦笑交じりにこう振り返った。

「自分のなかで、ひとつの壁もあったと思う。ただ、それなりに考えてやってきているつもり。この1年を無駄にしないようにして、自分自身でも来年バケてほしいです」

 フローニンゲン時代、調子を落とした時も、いくら長くゴールから見放された時も、堂安は「壁」という言葉を使うことを拒んできた。「将来どんな大きな壁が待ち受けているかわからないから、今の状況を壁なんて言っていられない」と。

 そんな男が、ズヴォレ戦後にその言葉を口にした。それだけ、ビッグクラブで期待に応えることの重圧は大きいのだろう。

「今、振り返るとね、(今年1月から5月のフローニンゲンでの)半年間で1点しか獲れなかったなんて、僕としてはありえない結果。厳しい目で見ると、少し残念な結果だった。これから先、半年で1点しか獲れないなんてないようにしたい。

 そう考えるとやっぱり、あの時は壁だったなって思えるかもしれない。あと、アジアカップで自分のプレーができなかった。来年はぜひ、期待してほしい。2020年にはオリンピックがある。オリンピックにすべてをかけるつもりで、人生を変えるつもりでやりたいなと思います」

 堂安の口からは反省ばかりがついて出てきたが、「(目標を)ぶらさずに1年間やってきたことは自信になってきている」とも言う。それを聞いて思い出したのは、2月に堂安から聞いた話だった。

「『うまくいかなくても挫けずにやろう』という意識は、プロ選手として当然のこと。止まったら終わりなんでね。失敗しても続ければ、何か見えてくると思ってやっています。暗闇のなかにいても、光を探し続ける。大事なことですよ」(フローニンゲン時代、アジア大会後の堂安)

 人前ではポジティブに明るく振る舞っていた堂安も、フローニンゲンに来てしばらくは暗闇のなかをさまよっていた。堂安はガンバ大阪から期限付き移籍でオランダに来ていたので、1年目で活躍できなければフローニンゲンに買い取られず、日本に帰されてしまうこともあり得た。

「オランダに来た時は、やっぱりしんどかったです。今は光が見えて、がんばってそっちに向かっていますが、来た当初は何も見えなかった。フローニンゲンが僕を買わなければ、俺は日本に帰る。相当、つらかったですよ。その気持ち、わかんないでしょう?」

 オランダに来てから1年半後、堂安は日本代表の主力のひとりとしてアジアカップに挑んだ。ただ、そこでの挫折は課題がハッキリしていたので、「暗闇」とは違った。

「『暗闇』というのは、何も見えない状態を言うのでね。大事なことは努力を続けること。腹をくくってやるしかない。こっちに来てしまったんだから、日本のことを考えている時間もなかったし、遊びたいとか考える時間もない。覚悟を決めてやるしかない。結局、メンタル的なことが大きいですよ。技術だけじゃないと思います」

 堂安がズヴォレ戦後に「ぶらさずに1年やってきた」と語った言葉の奥には、「努力」と「覚悟」という意味が混じっていたのではないだろうか。

「この1年間は間違いなく、来年につながると思います。なんでも物語は最後によくいくと思うので、オリンピックで優勝したいと思います」(ズヴォレ戦後の堂安)

 11月にU−22コロンビア戦と対戦したU−22日本代表の試合内容は、オリンピックに向けて不安の残るものだった。「記者やサポーターの方がそう感じたのなら、それは真摯に受け止めないといけない」と堂安と言う。

「その一方で(現在の悪い状況を)変えられるのは選手だけ。その選手たちが目標にぶれて、『あれ、俺たち大丈夫かな?』と思うようでは、絶対に目標に届かない。だから、洗脳するかのように自分たちに言い聞かせないといけない」

 その目標とは、金メダル——。堂安はそう公言する。しかし、それを胸に秘めたままにする選手もいる。

「だけど、目標はひとつでないと。同じゴールの絵を共有しないといけません」

 暗闇を抜けたと思ったら、壁が立ちはだかった2019年。シーズン後半戦、堂安は覚悟と努力で現状を打破し、東京オリンピックにつなげていくのだろう。