アンディ・マレー(イギリス)は、通っていたスコットランド南部の田舎町ダンブレーンの小学校で大量殺人事件を起こしたトーマス・ハミルトンと面識があり、それについて苦悩していたと、英The Sun紙…

アンディ・マレー(イギリス)は、通っていたスコットランド南部の田舎町ダンブレーンの小学校で大量殺人事件を起こしたトーマス・ハミルトンと面識があり、それについて苦悩していたと、英The Sun紙が伝えている。

1996年3月にハミルトンが4丁の拳銃を持って小学校に乱入し、一年生の児童16人と教員1人を射殺後に自殺した事件当時、マレーは9歳だった。ハミルトンと家族ぐるみで面識のあったマレーは、その殺人鬼と車に同乗したり、彼の主催する子供クラブに参加したこともあったという。

現在32歳のマレーがこの悲劇的な事件について語ることはほとんどなかったが、彼が1月に受けた人工股関節手術からの復活を追ったドキュメンタリー映画「アンディ・マレー:再起までの道」の中で打ち明けている。だがオリビア・カプチーニ監督に面と向かって話すことはできず、次のようなボイスメールを残したそうだ。

「少し前に、なぜ僕にとってテニスが大切なのか?と聞いたね。僕が9歳くらいの時にダンブレーンで起きた事件を知っているだろう。同じ学校に通っていた子どもたち全員にとって、あの事件は様々な理由で辛いことだったはずだ。あの男を知っていたこと、彼のクラブに参加していたこと、同じ車に乗ったこと・・・その他にもいろいろな理由でね」

その悲劇は、その後の両親の離婚や、兄のジェイミーがテニスをするために家を離れたこととも重なり、2度の「ウィンブルドン」優勝を誇る彼に「多くの不安」と格闘することを強い、マレーは逃避のためにテニスにすがった。

そしてそれが、選手生命を終わらせる可能性もあった手術から復活し、再び最高のレベルで競うという決意をしている理由なのだ。マレーは手術後9ヶ月も経たないうちに10月の「ATP250 アントワープ」で優勝を果たした。

彼は「その事件から1年と経たずに両親が離婚した。子供にとっては辛い時期だった。何が起きているのかよく理解できないままにそういう経験をするのはね。それからさらに半年か1年後に、兄も家を出た。テニスをするためにケンブリッジに行ったんだ。何をするにも一緒だったから、彼がいなくなったのも僕にとってはかなり辛いことだった。試合中、ひどく呼吸がしづらくなることもあったよ。だから、テニスに対する僕の気持ちは一種の逃避なんだ。全ては、僕がずっと抑え込んできたことだから。こういうことを話し合うことはないからね」と続けた。

「テニスコートでの僕の振る舞いには、僕のいい面も出ているけど、悪い面や、僕自身大嫌いな面も出ている。テニスは、僕をあの頃のような子供でいさせてくれるんだ。こういう疑問を全部抱えた子供に。だから僕にはテニスが必要なんだ」

マレーは、ロンドンで行われたプレミア上映で、妻のキム、母のジュディ、兄のジェイミーと共に、完成した映画を初めて観た。このAmazonプライムで公開されたドキュメンタリー映画の中では、手術を受け、愛するテニスを取り戻すまでのマレーの精神的・肉体的な戦いが詳細に描かれている。

マレーは記者に対し、当初は監督に打ち明けることもためらったと明かした。カプチーニ監督はマレーら家族とは長年の知人であり、妻キムの兄スコットの恋人でもある。「監督とは、かなり長い期間一緒に旅して、多くの時間を共にしたよ。そんな中で、『なぜテニスが大事なの?』『なぜそれがあなたにとって大切なの?』といった質問をされていたんだ」

「最初はこんな感じで答えていた。『ただ大事だからさ。テニスができてとても幸運だし、それで生活できるというのはすごくラッキーなことだとわかっているよ。それが大切なわけは他にもある。でも、それについては話したくない。後で話すかもしれないけど、今はその話はしたくはない』って」

(テニスデイリー編集部)

※写真はプレミア試写会でのアンデイ・マレー(右)と兄ジェイミー(左)、母ジュディ(中)

(Photo by Gareth Cattermole/Getty Images)