来年の東京五輪まで1年を切った2019年10月16日。国際オリンピック委員会(IOC)から「五輪本番の男女マラソンと男女競歩を、札幌で開催する」という突然の提案があった。

 札幌に変更となるのは、具体的に男女の20キロ競歩、男子50キロ競歩、男女マラソンの5種目。新国立競技場をスタートして、東京の名所をめぐりながら42.195キロを走り抜き、再びゴールがある新国立競技場に戻ってくる、オリンピックの最終日を飾る花形の男子マラソンまでもが札幌に……。

 これに対し、東京都知事の小池百合子氏が遺憾の意をあらわすが、11月1日の4者トップ会談(IOC・国・東京都・大会組織委員会)を経て、「札幌開催には同意できないが、IOCの決定は妨げない」という、小池氏の言葉を借りるとするなら「合意なき決定」で、よくわからないうちに札幌開催が本決まりになってしまった。

 もちろん、「アスリート・ファースト」という点では、7月下旬から8月上旬にかけての気温が東京より5〜6度低くなる札幌での開催は的を射ている。だが、観客ファーストで考えると、特に東京都民や首都圏近郊の住民にとって、この変更はどうなのだろうか?

 実は前回、1964年の東京五輪の男子マラソンでは、コースの沿道にマラソンを観戦しようとするたくさんの観客たちが早朝から詰めかけ、歩道はなんと120万人にもおよぶ人・ひと・ヒトで埋め尽くされてしまっていた。

 つまり、前回の五輪と同様に、今回の五輪のマラソンも多くの人たちがチケットなしでフリー観戦できる代表的な競技だった。マラソンこそが、五輪の観戦チケットが手に入らずチケット難民になってしまった多くの東京都民にとって、選手たちを生観戦し、応援しながら、オリンピックに参加できる最大のチャンスだったのだ!

 本来なら、そうした絶好のフリー観戦ポイントが数多くあったマラソンの東京コースを、男女のマラソンの五輪代表選考を兼ねたMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)のレースで振り返ってみたい。



大会組織委員会が発表していた東京のマラソンコース。好コースだったが...ⓒTokyo 2020

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 9月15日に開催されたMGC──。

 まだ新国立競技場が完成していないため、スタートとゴール地点を明治神宮外苑に設定した以外、五輪本番と同じコースを走るこのレースは、選手だけでなく、競技関係者にボランティア、さらには沿道から応援する観客たちにとっても、まさに来年の五輪をひと足先に疑似体験できる絶好の場でもあった。

 そんななか、Sportiva編集部はMGCの全コースをチェック。生観戦ポイントとして、①同じ場所にいて3回観戦できる場所、②東京の名所と一緒にレースを楽しめる場所、③公共の交通手段で移動しながら数ヵ所で応援できる場所を事前にピックアップ、それらの条件を満たすポイントに実際に足を運んでみた。

 まずは、①の選手たちを3回観戦できる場所。そのひとつが「神保町交差点」になる。ここでは、スタートから元気よく走る序盤の選手たちだけでなく、中盤から後半にかけての駆け引きをする選手たち、そして終盤を迎えてゴールに向かって最後の力を振り絞る選手たちを見ることができる。



選手が3回通るため大人気だった神保町交差点

 当然、多くのマラソンファンの観客たちもそのことを知っており、交差点の最前列を確保していた人は「朝の6時から場所取りをしていた」とのこと。

 同様に「日本橋交差点」も選手たちが3回通過することもあって、1回目よりも2回目、2回目よりも3回目と、レースが進んでいくにつれ、どんどんと人が増えていく。

 このことから、「神保町交差点」と「日本橋交差点」は、もしかするとスタート地点やゴール地点よりも熱く盛り上がる観戦スポットだったと言えるのではないだろうか。

 続いて、②の東京の名所には、コース上の「雷門」と「スカイツリー」「東京タワー」「皇居」が当てはまる。

 浅草の「雷門」の前を走る選手たちと、浅草から見える「スカイツリー」を背景に走る選手たちが、インスタ映えするのは間違いない。MGCの当日は、レースを観戦しに来ていたマラソンファンと、インバウンドで日本観光に訪れていた外国人たちが入り乱れ、当初は大混雑していたが、最終的には多くの外国人たちがにわかマラソンファンになって選手たちに大きな声援を送ってくれていた。

 また、「東京タワー」と「皇居」の周辺は、インスタ映えするのはもちろんのこと、沿道を埋める人たちの数に対してスペースは比較的余裕があり、レースをじっくりと観戦できた。こうした点からも「東京タワー」と「皇居」は、このコースのおすすめ観戦スポットになるはずだったといっても過言ではない。



MGCの観戦時はスペースに余裕が見られた皇居付近

 最後の③になるが、スタートして新国立競技場の前を駆け抜けた選手たちを見送った後、私は都営大江戸線の「国立競技場前」の駅から地下鉄に乗って、「赤羽橋」で降りて東京タワーの脇を激走する選手を迎えてから、もう一度、新国立競技場に戻ってゴールを目指す選手たちを追ってみようと、国立競技場前→赤羽橋→国立競技場前の移動にチャレンジしてみた。

 女子の選手たちが通過した直後、大江戸線に乗った私は、このMGCで東京五輪の女子マラソン日本代表の座を狙っていた鈴木亜由子選手の地元、愛知からの大応援団と地下鉄内で遭遇する。

「これから銀座に行って、応援するのよ!」

 地元を夜行バスで出発し車中泊で十分に寝ていないにもかかわらず、大応援団は汐留駅で降り、銀座で鈴木選手に再度声援を送ってから、また大江戸線に乗って「国立競技場前」に戻り、ゴールを見届けると気合いを入れていた。

 この移動しながらの応援は、公共の移動手段が発達している東京だからこそ可能なのかもしれない。レースの最終盤、再び大江戸線で国立競技場前の駅に到着した私は、車両のドアが開くと同時にダッシュをして地下から地上へと駆け上がっていく多くの観客たちの姿に、MGCのレースを走る選手たちのラストスパートにも優るとも劣らないパワーを感じた。

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 こうして、MGCは終了した。

 このレースで男子マラソンは中村匠吾選手と服部勇馬選手、女子マラソンは前田穂南選手と鈴木亜由子選手が東京五輪の日本代表に内定した。

 しかし、これらの選手たちが、今回、このコースを走ったというホームアドバンテージを五輪本番で活かすことはできない。競技関係者やボランティアたちが、このコースで得たいろいろな体験を役立てることもできない。まして、このレースを沿道で観戦していた52万5000人の観客たちが、来年、この場所に集うことはもはや……。

 東京から札幌にマラソンのコースが移ってしまうことで、東京コースの準備はすべてが絵に描いた餅に終わり、ファンが密かに狙っていた「絶好のポイント」でのフリー観戦作戦もみな水泡に帰してしまったのである。



激走する鈴木亜由子選手。この経験値が本番で使えないのは残念

 一方、IOCのトーマス・バッハ会長からは小池東京都知事に対し、今回のMGCで活用した東京のマラソンコースを使って、2020年のオリンピック・パラリンピックの大会後に『オリンピックセレブレーションマラソン』をIOCと東京都が一緒になって開催したいという、札幌変更の代替案の提案があった。

 当たり前のことだが、それで今回の件がチャラになってしまうわけではない。

 が、ハッと気づけば、東京五輪は「東京」とは言ってはいるものの、すでに今回の決定以前に、東京都以外にも、北海道・宮城県・福島県・埼玉県・茨城県・千葉県・神奈川県・山梨県・静岡県の1道8県に競技開催地がまたがっているのも事実になる。

 今回の男女マラソンと男女競歩の札幌開催決定は、「東京」五輪というよりも、「日本」五輪という枠組みの中では、一応、ありと言えばありと言えるのかも……。

 そうでも考えないと、来年の東京五輪最大の生観戦のチャンスを失ってしまった東京都民には、やってられないドタバタ劇だった。

(須賀 和●協力 cooperation by Suga Yamato)