永井秀樹 ヴェルディ再建への道トップチーム監督編(7)陶芸家・大嶺實清氏(左)とFC琉球時代から交流が続いている陶芸界の巨匠が教えてくれた進むべき道 夜10時過ぎ、永井は暗闇と静寂に包まれた沖縄・読谷村(よみたんそん)の陶芸工房で器を眺…

永井秀樹 ヴェルディ再建への道
トップチーム監督編(7)



陶芸家・大嶺實清氏(左)とFC琉球時代から交流が続いている

陶芸界の巨匠が
教えてくれた進むべき道

 夜10時過ぎ、永井は暗闇と静寂に包まれた沖縄・読谷村(よみたんそん)の陶芸工房で器を眺めていた。もちろん観光に来たわけではない。翌日にはFC琉球との試合を控えていた。しかも、チームは3連敗中と苦しい最中。そんな時だからこそ、「サッカーも芸術も同じ。サッカーで人々を感動させたい」と誓ったこの場所で、生涯の師と会い、自分自身と向き合いたかった。

「よく来たね」

 迎えてくれたのは大嶺實清(おおみね じっせい)氏。伝統を継承しつつ、新しい表現に挑戦し続ける沖縄陶芸界の巨匠である。作品の魅力もさることながら、その生き方や温かい人柄に惹かれ、大嶺氏のもとには有名無名問わず年間を通じて全国からさまざまな人が訪れる。

 永井はヴェルディのトップチーム監督に就任したことを報告。大嶺氏は満面の笑みを浮かべ、「うれしい。たいしたもんだ」と言いながら、太い指と厚みのある手を伸ばし、永井と握手を交わした。

 永井が大嶺氏と初めて出会ったのは10年前、FC琉球に移籍して2年が経った頃だった。

「『風庵』という隠れ家的な琉球料理の名店があって、そこで食事をした時、使われていたのが大嶺先生の器だった。元々、陶芸は大好きで、熱海の山奥にある釜で作陶したこともあった。興味を惹かれたのはそれもあったのかな。コース料理のすべてのお皿や器、コーヒーカップまで、すべてから沖縄の美しさ、優しさ、温かさを感じた。あの時の感動は強烈で、心底惚れ込んでしまった。『誰の作品ですか』と店主に尋ねると、読谷村の大嶺實清先生の作品と教えてくれた。『会ってみたいならご紹介しますよ』と言われ、食事を終えたその足で会いに行ったのが最初だった」

 大嶺氏の工房は、緑に囲まれた小高い森の奥にあった。

「夕方に到着し、工房の隣にあるアトリエで待っていた。しばらくして大嶺先生が現れて、『君はずいぶん、色の黒い青年だねえ』と柔和に微笑まれたのが印象的だった。大嶺先生は、サッカーのことも、自分がどういう者かもご存知ない。でも、一緒にいた奥様がお茶を淹れて下さり、そこから3時間くらい、お話をさせていただいた」

 沖縄という土地、文化、器、そして芸術について。いずれも永井の心に響く話ばかりだった。そんな時間を過ごすうち、永井は大嶺氏にこれだけは伝えたいと思うことが出てきた。

「『僕は今日、大嶺先生の器に感動して、それを伝えたくて来ました。僕も大嶺先生の作品のように、『サッカー』という作品で人々を感動させたいと改めて思いました。自分はサッカーも芸術だと信じています』と話した。大嶺先生は、『そのとおりだ』と答えた。『サッカーそのものはよくわからないが、スポーツだから勝ち負けで評価される世界かもしれない。でも、観て楽しむ人がいるのだから感動させることは大切だ。そういう意味では、私もサッカーは芸術のひとつだと思う』とおっしゃった。

 自分はずっと、サッカー選手として勝ち負けで評価される世界で生きてきたし、結果がすべてと考えていた時期もあった。でも、ある時期から『サッカーのすばらしさはそれだけではない』と思い始めた。サッカーも芸術と同じで、人々を感動させ、心を豊かにしてくれるもの、という思いは、大嶺先生と出会って確信に変わった」

 以来、永井はFC琉球の選手時代、練習が終わればほぼ毎日、工房やアトリエを訪れるようになった。大嶺氏がいない日も訪ねては奥様にお茶を淹れていただき、作品を眺めて何時間でも過ごした。

「いつ来てもいい」「好きなだけ居ていい」「さよならはいらない」

 いつしか永井にとって、大嶺氏の工房は心の拠り所になった。

「遠征や沖縄にいない時以外は、ほぼ毎日通い続けた。正直、大嶺先生と出会う前は沖縄もそこまで好きではなく、サッカー選手として、お金を稼ぐための仕事場としか考えていなかった。でも大嶺先生と出会えて沖縄のよさもわかった。いまは、沖縄は第二の故郷と思っている」

 永井には大嶺氏との忘れられない思い出がある。2013年、6シーズン在籍したFC琉球の退団が決まり、明日、沖縄を離れて東京に戻ることを報告した時だ。

「サッカー選手として過ごした沖縄での生活は楽しいことばかりではなかった。でも、大嶺先生から最後に、『長い間、沖縄のためにありがとう』と言葉をいただき握手を求められた。

 自分が沖縄を離れると決まった時、残念ながら誰一人としてそんな言葉はかけてくれなかった。でも、大嶺先生は違った。大嶺先生の一言で、悔しいことも嫌な思いもすべて消えたし、心が晴れた。感動のあまり返す言葉も出てこなくて、必死で涙をこらえた」

 永井は、当時をそう振り返った。

 そして今、大嶺氏と再会を果たした永井は、「先生、作品を見させていただいてよろしいでしょうか」と言い、アトリエ隣の工房に移動した。棚には青や白、黒、茶など色とりどり、大きさや形もさまざまな作品が並んでいた。お皿やお椀、湯のみ、そしてオブジェもあった。

 永井が黙って見つめていると、隣で大嶺氏が話し始めた。

「オブジェのようなものは、わかりにくいと言われる。でも、すぐに答えの出る、わかりやすさから離れることも必要なんだ。時間をかけて同じものを見続けてやっとわかる世界もある。物事の本質はそういうところにある気がしている。わかりやすい形式から離れてみると、世の中のことに対して『それだけではないよな』と思えてきて、ものの考え方や見方が自由になるものなんだ」

 大嶺氏の話は、永井が取り組んでいることにも重なるように思えた。永井は今、多くの人々を感動させるサッカーを目指している。常に数的優位を維持し、全員攻撃、全員守備のトータルフットボールで、90分間、ボールを持ち続けて(相手を)圧倒して勝つ。日本人の特性を活かし、フィジカルに頼らない、勤勉で緻密な、世界でも戦えるスタイル。

 しかし現時点では理解者も少なく、結果が出なければ、つまり試合に負ければ「もっと普通にやればいいのに」と言われ、明日の勝利を最優先に求められた。永井はそんな現実を受け止めつつも抗(あらが)い、自らの理想を追い求めていた。

「普通でないものは、理解されるのは当然遅い。たとえば僕も新作を作るでしょ。でも5、6年は動かない、売れない、誰も見てくれない。それでもあきらめないで作り続ける。すると、ポツ、ポツと売れだして、一気に注目されるようになる」

 そう言って、大嶺氏は際立って存在感のある円筒のオブジェを指差した。

「あのオブジェも、最初は『なにこれ!?』とずっと言われていた。でも今は真っ先に売れるようになった。普通であることも大事だけれど、それはアートとは違う。普通を打ち破るエネルギーがアート。焼き物だろうがサッカーだろうが、エネルギーを発散するものはみなアートだと思う」

 美しい沖縄の海を連想させるような青いオブジェは、波が渦巻いているようにも見え、生き生きと迫ってくる。実用品としてはまったく役に立たないかもしれないが、暗く落ち込んだ気持ちを励ましたり、勇気を与えてくれる気がした。

 先日、来日し基調講演を行なったサッカー界の巨匠、アーセン・ベンゲル氏は「忘れてはいけないのはクリエイティビティ。しかし、そういう選手がクビに、ゲームから外されるのを見てきた。サッカーはアートであり続けなければならない。我々監督がしないといけないことはテクニック、フィジカル、クリエイティブを複合し、実行することだ」と指摘した。

 陶芸とサッカー。ジャンルはまったく異なるが、「感動を生み出す」という意味では相通じる世界があった。

 大嶺氏はこんな話もしてくれた。

「文化にはふたつの視点がある。日常生活で使うような食器や器。これは横軸に広がる量的、生産の世界。もうひとつは、縦軸に限られた濃厚な深まりある世界。徹底していいもの、普通でないものを求め続ける芸術の世界です。どちらも大切。でも僕にとっては、縦軸が普通だね。ただ、すべては禅の教えにあるように『天地同根、万物一体』でつながっていくものなんだ」

 日々の勝利を目指すのは横軸の世界。そしてサッカーの質にこだわり、芸術の域まで高めるのが縦軸の世界。どちらかひとつでは駄目。横軸を引き上げるには縦軸にこだわることが必要だし、縦軸だけでも成り立たない。

 大嶺氏の言葉は、永井に、あらためて信じた道を突き進む覚悟を与えてくれた――。

 FC琉球戦当日の朝8時。スマートフォンを見ると、永井からこんなメッセージが届いていた。

「昨晩は久々に人生の師と会って魂の浄化ができ、至福の時でした。
新しいものを作り理解してもらうには時間が必要。
でも、やり続けた先に必ず答えはある。
自分は例えどんな状況に追い込まれようと、信念を貫きます。

                          永井秀樹」

 キックオフは夕方6時。負ければ4連敗でさらに苦しい状況に追い込まれることになる。しかし、ヴェルディは怒涛のゴールラッシュと、そして芸術と呼ぶにふさわしい、今シーズン最高の得点シーンを演出することになるのだった。