スピードだけじゃない。視野が広くて、判断もはやい、激しくもある。日本のスピードスター、WTB(ウイング)の福岡堅樹、脂がのった27歳。まさにライオンのごとき「獅子奮迅」の活躍で2トライを挙げ、日本代表の歴史的勝利に貢献した。28−21…

 スピードだけじゃない。視野が広くて、判断もはやい、激しくもある。日本のスピードスター、WTB(ウイング)の福岡堅樹、脂がのった27歳。まさにライオンのごとき「獅子奮迅」の活躍で2トライを挙げ、日本代表の歴史的勝利に貢献した。28−21で因縁のスコットランドを破り、初の決勝トーナメント進出を決めた。



スコットランド戦で2トライを挙げ、大活躍した福岡堅樹

「日本ラグビーの新しい歴史を創る、そのためにすべてを捧げてきました」。

 13日、横浜国際総合競技場。満員の約6万8千の大歓声が渦巻く中、日本の韋駄天はそう、声を張り上げた。ノーサイドの瞬間にはひとり、ピッチ上に突っ伏した。

「ほんとうに(すべてを)出し切った。ほんとうにやり切った。ほんとうに歴史を変えられた。そんな気持ちでした」

 特別な試合だった。大型台風が通り過ぎた横浜での試合だった。試合ができるかどうかは、この日朝までわからなかった。試合前には黙とうが捧げられた。

「ここで試合をするためにたくさんの人がいろんなところで(作業を)してくれました。そういった方々にお礼を言いたい。そして、(台風の犠牲者を)悼み、日本の力に少しでもなりたいと思ってプレーしました」

 W杯前に右ふくらはぎを痛めるなど、瞬発力がありすぎるゆえにけがに泣かされてきた。ようやく復調し、今大会初めて先発としてピッチに立った。前半6分に先制トライを許したあとの前半18分。左ライン際を疾走し、相手タックルにつまずきながらも左手でボールを内側にパスし、WTB(ウイング)松島幸太朗の反撃のトライを演出した。

 前半終了間際には、CTB(センター)ラファエレ・ティモシーの意表を突くゴロキックに反応し、ボールを右手でとると、イッキにダッシュしてインゴールに飛び込んだ。さらに圧巻だったのが、後半の開始直後のボーナスポイントとなる日本4つ目のトライだった。ラファエレがスコットランド選手をつぶしにいく。倒れまいと粘る相手が抱えるボールを右手で強引にはぎとり、ポーンとはじいた。

 ノックオン。そう見えた瞬間、福岡はなんとか地面ぎりぎりでボールを両手でつかみ、約40mを走り切った。執念だった。「ティモシー選手がいい形でプレッシャーをかけて前でつぶしてくれた」と振り返った。

「低いボールはもともと得意なので。あれは大丈夫でした。案外、ふつうにとれました。(相手が)内にいる気配は感じていましたが、スピードで振り切れるなという手応えがあって…。興奮しました」

 はた目には偶然にみえるプレーだが、実は練習のたまものである。タックルを受けた後の内側へのパスも、相手のボールをもぎとる練習も、宮崎合宿で何度もやってきた。それが大一番で生きたのだ。短い言葉に充実感を漂わす。

「準備です。どれだけ準備してきたのかが出たんだと思います」

 ランニングだけではない、相手パントキックのキャッチもタックルも、ブレイクダウン(タックル後のボール争奪戦)でもからだを張った。終了直前のスコットランドの猛攻中、ブレイクダウンで相手からボールを奪うジャッカルを成功させたのは福岡だった。

「昔からジャッカルは好きでよくやっていましたから。僕はスピードだけじゃない。やはりワークレート(仕事量)だったり、ボールを積極的にもらいにいくところだったり、そういうところもアップしてきました」

 ボールを持っての走行距離は両チーム断トツの116mをマークした。大会の「プレーヤー・オブ・ザ・マッチ」だけでなく、チーム内MVPにも選ばれた。ミックスゾーンには、このチーム内MVPに渡される赤い刀(レプリカ)を右手に持って現れた。

 チームメイトの信頼を得た証だ。ちょっぴり誇らしげだった。

「チームみんながからだを張ってくれた中で、そういう風(チーム内MVP)に認められるのはさらにうれしいです」

 これで福岡は今大会4トライ。もう一人の快足WTB松島が計5トライで一歩先を行く。松島が冗談口調で言った。

「今まで休んでいたので、すごく調子いいなというのはありますね。(福岡)ケンキも(トライ王を)十分狙える位置にいます。力もあるので、すごくいい刺激になっています」

 福岡にとって、この大会はラグビー人生の集大成とみてもいい。努力が運を呼び寄せてきた。5歳の時、福岡県下のラグビージュニアスクールに入り、福岡県立福岡高校の時には全国大会に出場した。大学の医学部を目指すも失敗し、一浪のあと、筑波大に進学した。

 高校時代、両ひざのじん帯を負傷したが、一浪したことがラグビー選手としては幸いした。両ひざが完治し、ラグビーへの純粋な情熱が強まったのだ。2013年春、20歳で日本代表に抜てきされると、強じんな足腰と瞬発力を生かして、トライをとりまくった。

 その年の秋の欧州遠征のスコットランド戦では、この日と同じく2トライをマークした。衝撃を与えた。だが、15年の前回ラグビーW杯。唯一出場したスコットランド戦で大敗を喫した。挫折だった。いや良き経験だった。

 4年前のことを聞けば、福岡は「ここで勝つための糧だった」としみじみと漏らした。

「4年前があったから、こういう結果になったのかなと思います。チームとしては、(南アフリカの番狂わせなど3勝で)世界で戦えるんだという勝つ文化を根づかせてくれました。あのときの自信が大きくなって、この勝利につながったんです」

 素材は文句なしだ。50mを5秒台で走る。高校時代、ステップを切ったら、あまりにスピードがあったため、スパイクの中の足の裏の皮がはげたという逸話もある。素材を生かすため、からだを鍛え、走るフォームを改善したりもしてきた。ビデオで自身のプレーを必ず確認し、観察眼、状況判断も磨いてきた。

 真面目な男でもある。「才能」に加え、努力を継続する能力がある。試合翌日の14日朝、高校時代のラグビー部監督で、日本ラグビー協会の森重隆会長は教え子の爆発に「すごかね」と博多弁で声をはずませた。

「やっとで100%フルで走れたね。(福岡)ケンキはずっと頑張ってきたもの。瞬発力は昔から、すごかよ。メンタル面が変わったね。性格はマジメ、マジメ」

 森会長の記憶には忘れられないシーンがある。福岡が高校3年の時の菅平合宿。合宿最後の日の全員の記念撮影の際、ひざを故障して練習できなかったエースはひとり、悔しくて泣いていた。悔しさをバネにするのが福岡の人生なのだろう。

 スタジアムで観戦した森会長は、福岡たち日本代表に感謝した。「日本のラグビーが変わった瞬間じゃないの」

 福岡は、己の人生を真摯に生きる。医者だった祖父、父の影響から、自分も将来、医師になることを目指している。来年の東京オリンピック(7人制)が終わったらラグビーを辞め、医学の道に入るつもりだ。だから、ラグビーW杯は最後となる。福岡は打ち明ける。

「これ(W杯)がなかったら、もうラグビー、やめていました。僕は後悔をしたくない。ラグビーをやり切った時、笑顔ができるようなプレーをしたいんです」

 ついでにいえば、趣味はピアノで、試合の最中、頭の中でベートーベンの曲が流れることもあると口にしたことがある。モットーが、故スティーブ・ジョブス氏の『Stay Hungry, Stay Foolish(ハングリーであれ、愚か者であれ)』だ。愚直な努力を続け、日本ラグビーの新たな扉を開く一役を担った。

 さあ次は、準々決勝の南アフリカ戦(20日・東京)。トイメンは大会ナンバーワンWTBといわれる小柄なチェスリン・コルビだろう。両者のマッチアップに胸が騒ぐ。闘いはまだ終わりじゃない。スピードスターが、さらに加速する。