【写真提供:共同通信】星稜-智弁和歌山 タイブレークの14回表智弁和歌山2死一、三塁、西川を中飛に打ち取り雄たけびを上げる星稜・奥川=甲子園奥川は何回、ガッツポーズをしただろうか。奥川は何回吠えただろうか。奥川は何回、笑顔を見せただろうか。…

【写真提供:共同通信】星稜-智弁和歌山 タイブレークの14回表智弁和歌山2死一、三塁、西川を中飛に打ち取り雄たけびを上げる星稜・奥川=甲子園

奥川は何回、ガッツポーズをしただろうか。
奥川は何回吠えただろうか。
奥川は何回、笑顔を見せただろうか。
おそらく、制限がなかったら18回まで投げていたに違いない。

 延長14回、タイブレークで星稜が決着をつけた。

 165球、奪った三振は23個。これだけのピッチングをした奥川恭伸(3年)。これは、その内容を記さないといけない。

 150キロ連発は初回から始まった。1回だけで、すでに3球を計測した。そこから計53回の150キロを積み重ねていく。

 手元の集計で、割合の数字含めて、ラフな部分はあるが投球内容を分析した。

165球の球速別割合

120キロ台53球 32.1パーセント。
130キロ台28球 16.9パーセント。
140キロ台31球 18.7パーセント。
150キロ台53球 32.1パーセント。

球種の内訳

ストレート 81球 49パーセント
スライダー・チェンジアップ 78球 47パーセント
フォーク 6球 4パーセント

120キロ台から130キロ台は、ほぼカーブ、スライダー系の曲がる変化球で、そこにチェンジアップが数球あったと思われる。また、140キロ台には高速フォークのように、落ちるボールも含まれる。また逆に、140キロ台後半のストレートもあるだろう。
特筆すべきは150キロ台のストレートの割合だ。3割以上がそれに相当するとは驚きの数字だ。

 150キロ台のストレートは、1回から14回まで、全イニングで見られる。ゲームの後半になってもスピードは衰えなかった。
ストレートの空振り三振が7つで、12回と13回の3つはいずれも152キロ。延長に入ってからもエンジンはフル回転していたのだ。

 自己最速タイの154キロは4球、計測しているが11回、細川凌平(3年)の時にその一つを投げている。

「細川くんはホームランも打って調子がいいので、怖かった」と言う。スピードを上げて抑えにかかったことがうかがえる。

 2回の3アウト目から4回の2人目まで6者連続三振。それぞれ147、153、154、142、131キロ。5人目の黒川史陽への142キロはフォークの空振り三振だった。

 変化球での空振り三振が11個。そのうちフォークで奪ったものが2個。その他はチェンジアップを含んだスライダーだった。

 智弁和歌山の6番打者、東妻純平(3年)は「いろんな球種がキレていて、的を絞れなかった」と言う。
この日、判別できたのが2種類のスライダー、フォーク、それにチェンジアップを数球、混じえていた。

 変化球が顕著に効いたのは4番、徳丸天晴へのスライダー攻め。5打席15球のうち、ストレートは2球のみ。1年生の4番、徳丸は変化球にまったくタイミングが合わず、スライダーで3つの三振を奪ってみせた。

その徳丸がゲーム後、涙目だった。
「積極的にいこうと力が入ってしまった。甘いところはまったくこないし、コントロールミスもまったくなかった」

 今までは精度がなくて使えるボールではなかったというフォークを何球か投げたと言う。
「フォークは相手に意識させるだけでも違う。全てを出仕切らないと、抑えられない相手だったので」

 智弁の7番打者、佐藤樹内野手の証言が全てを物語る。
「ファウルも粘っているのではなく打たされている感じ。考える間もなく追い込まれました。術中にはまっている感じです。コントロールが良くて外と思って踏み込んでも中に投げられたりして、常に裏をかかれました」

 10時50分の試合開始。一番、暑い時間帯のゲームで体力も消耗しただろう。11回、黒川史陽(3年)の打席の時に、右アキレス腱を伸ばす仕草と、若干の足のひきずり加減が見て取れた。
水を飲んで、その回を乗り切る。そして給水タイムを設けた。黒川から細川にかけて、急速は数字上、154キロが出ていて落ちていないが、肘が下がっていて、フィニッシュでの右足も力強い着地ではなかった。細川に四球を与え、ヒヤリとさせたが、3番の西川晋太郎(3年)を147キロでレフトフライにうちとった。
本人も「右のふくらはぎに、投げたときにピンと来る感じがあった。(給水タイムで)冷やしてもらって、足を延ばしてもらった。その後は全然大丈夫でした。足をつった後に、向こうは攻めどころだと思って、向かってくると思ったので、気持ちを入れ直した」。12回は三者三振だった。

 タイブレークでは13、14回とも無死一、二塁からの最初の打者の送りバントを、自ら処理してサードで封殺した。「躊躇はまったくなかった」と言う。

 智弁の恐怖心はずっとあった、とも話す。センバツの履正社戦の完封など、強い相手との対戦でギアを上げるところにも奥川の真骨頂がある。あの強打の智弁を散発3安打に抑えたところにも、物凄さがある。

 敵将、智弁和歌山の中谷仁監督が絶賛する。
「投球術、変化球のキレ、スピード。さらに勝負所ではコントロールの精度、スピードも上がってくる。映像で見るより、迫力がありました。
この一戦が大会の一番の山で接戦になると、うちも星稜さんも想像はしていたゲーム。奥川くんの気持ちは初回から入ってるように見えましたね」

 奥川の覚悟はゲーム前にあった。

「ぶっ倒れてもいいや、最後まで投げ切ろうと思ってました。途中、監督からも降板を言われてません。自分も投げる気、満々でした」

 14回裏、福本陽生(3年)がサヨナラホームランを放って、ベスト8に進出した。奥川は一塁走者として、ダイアモンドを右手を上げながら一周した。

「監督が決めることですが、投げろと言われれば投げます」

 北陸に初の優勝をもたらすのか。連投するのか、準々決勝の仙台育英戦が大きな山と見る。

文・清水岳志