センバツ甲子園準優勝の習志野に6回11安打5失点と打ち込まれ、チームも1対8と敗戦した千葉大会決勝の試合終了後。スタンドへのあいさつを終えると、ノーシードからの快進撃の立役者である八千代松陰・川和田悠太は、その場で泣き崩れた。

「単純に悔しかったんです。『頑張ってね』と応援してくれた地域や近所の方、昨日電話をくれたおじいちゃん、おばあちゃんの期待に応えられなかったと思うと……」

 それは常に飄々としたマウンドさばきで、強豪校の打者たちを翻弄してきた姿とは対照的な姿だった。それでも川和田はこの夏、かけがえのない経験を積むことができた。



チームを21年ぶりの決勝へと導いた八千代松陰のエース・川和田悠太

 ちょうど1年前。何を投げても打たれ、選手として限界を感じていた。「率先して道具を運んだり、みんなに愛される子です」と大木陽介部長が語るように、川和田は裏方の仕事もいとわず、本気でマネージャー転身を考えていた。

 しかし「僕の人生を変えてくれた先生。神様には逆らえません」と、二宮中学時代の恩師である長岡尚恭(なおやす)監督が引き留めてくれた。

 中学時代、川和田はサイドスローにしていた時期があり、打撃投手をしていた際も対戦相手対策としてあらゆる投げ方をするなど、器用なところがあった。そこで「どうせ辞めるなら……」という気持ちで本格的にサイドスロー転向を決意。それが川和田の高校野球人生を変える大きな転機となった。

 そしてこの冬は「心を入れ替えました」と練習に励んで手応えをつかんでいくと、今春からエースナンバーを背負うことになった。

 チームは、昨年秋は1回戦、この春は2回戦で敗れていたが、それでもこの夏の目標は「準決勝進出」だった。4回戦で春の千葉大会準優勝のAシード校・専大松戸と対戦。川和田は130キロ台のストレートとスライダーを中心に両サイドに投げ分け、6安打完投。優勝候補を5対1で破る大金星をあげた。「これで最後かもしれない」と、選手や家族の誰もが覚悟していたが、まさかと言っていいほどの快勝だった。

 これで勢いに乗ると、準々決勝ではBシードの千葉明徳も2安打完封。準決勝の市原中央戦では5回一死一、二塁、フルカウントから登板。四球を与えるも後続を抑えて無失点に抑えると、その後も相手打線を封じ、チームを決勝へと導いた。

 この快投の連続には、思い切った作戦があった。専大松戸戦からプレートの踏む位置を一塁側に変えたのだ。それまでの三塁側だと、打者にボールが見えやすくなっていると感じ、自ら判断した。

 またタメをつくるような意識で打者を見つめ、打ち気がないと見るや、ど真ん中に投げることもあった。

 そして決勝の習志野戦では「高校で投げるのは初めて」というワンシームを投じた。センバツ準優勝校で百戦錬磨の習志野打線には効果が得られず、「途中から(捕手の)佐々木(優)がサインを出さなくなりました」と苦笑いしたが、「試さなければ成長はないので」と悔いは一切見せなかった。

 1年前に終わりかけた野球人生だったが、この夏、千葉で一番長い夏を過ごすこととなった。

 卒業後の進路を尋ねると、「大学はまだ決まっていませんが、野球を続けて、いろんなことを試していきたいです」ときっぱり答えた。川和田の挑戦は続く。