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 オーストラリアと言えば、サッカーやラグビー、オーストラリアンルールズといったフットボールのイメージが強いが、野球ファンの間では、国民から金メダルを期待された2004年アテネ五輪の日本代表、通称「長嶋ジャパン」の夢を阻んだ国として知られている。

 日豪の野球を通じての交流は頻繁に行われ、WBCなど国際大会の際には、必ずと言っていいくらい両国によるテストマッチが組まれる。この国の野球について、前編・後編の2回にわたってお伝えする。前編はこの国の野球の歴史から紹介したい。

オーストラリア野球の頂点は銅メダルに輝いた2004年のアテネ五輪だ。ゴールドコーストにある野球連盟オフィスにはメンバーのサインと銅メダルが飾られている。

 オーストラリアにおける野球の歴史は、19世紀半ばのゴールドラッシュの時代にアメリカ人労働者が伝えたことに始まる。

 1888年にはアルバート・スポルディングによるメジャーリーガーの世界一周ツアーがこの国にも立ち寄り、その翌年には州対抗の試合も始まったという。

 1912年に統括機関として豪州野球協議会が組織され、1926年、豪州野球連盟(ABF)に改組され現在に至っている。 1934年には各州の代表チームが覇権を争う全国大会である「クラクトン・シールド」が開始された。

 しかし人気スポーツとしてクリケットが存在していたオーストラリアでは、当時の野球はクリケットオフシーズンの冬季トレーニング競技の域をでるものではなかった。

 野球の普及は、第二次世界大戦時に駐留したアメリカ兵によって加速された。

 1973年、ABFは野球を夏季スポーツ化し、ナイターを行うようになった。これにより野球人気は高まり、季節が逆の北半球から野球先進国の選手がオフシーズンの修行の場としてオーストラリアを利用するようになると、競技レベルも向上していった。

 そして、1989年にはオーストラリアンベースボールリーグ(ABL)が発足した。8球団で発足したプロリーグだったが、その実態はプロアマ混成で多くの観客を集めることはできず、資金難から1999-2000年シーズンをもって廃絶してしまう。

 それでも、オーストラリア人メジャーリーガーの先駆的存在であったデーブ・ニルソン(元中日)がインターナショナル・ベースボール・リーグ・オブ・オーストラリアとしてこれを引き継いだが、これも2000-01年シーズン限りで幕を閉じた。

 プロリーグの目論見は一旦は失敗に終わったが、このような動きはレベルの底上げにつながった。

 自国開催ということで出場した2000年のシドニー五輪では、8か国中7位に終わったものの、2004年のアテネ五輪ではジェフ・ウィリアムス、クリス・オクスプリング(ともに元阪神)などの活躍により銀メダルに輝いた。そして2010年には、MLBが資本の75%、政府の支援を受けたABFが25%を出資し、州別の6球団からなるABLが再興された。

 新リーグは、2005年に始まったアジアプロリーグのチャンピオンシップ、アジアシリーズに2011年から参加し、2013年大会では、キャンベラ・キャバルリーが優勝し、「アジアチャンピオン」に輝いた。

2015年までアデレード・バイトの本拠として使用されていたノーウッド・オーヴァル。クリケットやラグビーの盛んなオーストラリアでは、オーヴァルと呼ばれる多目的競技場で野球が行われることもある。

 また、ABLは、9シーズン目を迎えた昨冬、ニュージーランドから1球団、そしてビクトリア州に拠点を置く韓国人球団1球団を加え8球団に拡大している。

 このような歴史を歩んできたオーストラリア野球。後編では、プロ野球リーグ・ABLを中心にこの国の野球の現状について述べていく。

文・写真=阿佐智