指導者としての第二の野球人生が始まった。 昨年、現役を引退した大隣憲司は今年から千葉ロッテマリーンズの二軍投手コーチを…

 指導者としての第二の野球人生が始まった。

 昨年、現役を引退した大隣憲司は今年から千葉ロッテマリーンズの二軍投手コーチを務めている。プロ通算141試合に登板をして52勝。12年には12勝を挙げ、オールスターにも出場した。13年にはWBC日本代表入り。そんな実績を持つ大隣は二軍の若手選手に自分自身を見つめ直してもらう事をテーマに掲げ指導をしている。

 「自分としてはどういう風に自分のスタイルを気付けるように導けるかなと考えています。大事なのはやはりまずは自分がどういう投手で、何が一番の持ち味であるかを知る事。自分がそうだったように若い子たちもまだまだ見えていない子が多い。どうやって気付かせてあげようかなと考えています」

 

(c)千葉ロッテマリーンズ

 

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小久保さんに怒られて気付いた事

 

 自分がどんな投手で、何が持ち味であるかを知る事。それは自身の苦い思い出とその時に大先輩から言われた一言が今も胸に残っているからこその考えだ。

 12年間のプロ野球人生で大隣が決して忘れずに肝に銘じているのはホークス時代の2009年8月4日でのマリーンズ戦(当時 福岡ヤフードーム)の試合の事だ。

 「マウンドで一塁を守っていた小久保さんに怒られたんです。でも、あれがあったからその後の自分がある」

 その試合でホークス打線が爆発し、8点を援護。投げては13奪三振を奪う好投で九回を迎えた。リードは6点。誰もが大隣のそのシーズン初となる完投勝利を期待していた。しかし、現実は期待を大きく裏切るものだった。あと3アウトで試合終了の場面で3連打1失点。慌てた首脳陣は当時、中継ぎを務めていた攝津正投手に急きょ肩を作らせ、投手交代を判断した。

 最後の最後でのまさかの失態。自分の詰めの甘さを悔やみ、マウンドでうな垂れる大隣に怒声が飛んだ。

「何回、同じことをやっとんじゃ!」。

 声の主はキャプテンを務めていた小久保裕紀内野手(現野球評論家)だった。

 「顔も見れないぐらい怖かった」。当時を思い出しながら大隣は振り返る。野手がマウンド上の2番手投手攝津の周囲に集まる中、小久保はマウンドを降り、うなだれながらベンチへと向かおうとした大隣に近寄ってきた。呼び止められ再度、論された。

 その時、かけられた言葉は一生忘れることができないものとなった。

 「自分がどういうピッチャーなのか考えろ。自分の投球を見つめ直せ。そうおっしゃってくれました。確かに当時の日本球界を代表する選手だったダルビッシュやマーくん(田中将大)のように自分はストレートで勝負できる投手ではない。それなのに自分はストレート勝負をしていた。考えさせられました。変れるキッカケとなりました」

己のプレースタイルとは、大切にしなくてはいけない事とは

 ベンチに戻って、何度も3連打された場面を思い返した。

 あと3アウトで試合が終わり勝利となる事を意識した挙句に投げ急いだ。ストレート中心の投球は単調となり、あっさり3連打。結局、1アウトも取れずにマウンドを降りた。本来の大隣の投球スタイルは緩急。プロではカッコつけてストレート勝負を挑んで勝てるほど甘い世界ではない。先輩の猛烈な檄が身に染みた。

 そしてその時、自分の投球スタイルを徹底的に追及することを決意した。

 「ただ怒られたわけではない。己の投球スタイルをもう一度、見つめ直せと怒ってくれた。野球に限らず人間って案外、自分の事を分かっていないものだと思うんです。どこか人にカッコよく見られたいと思っているし、自分自身を過大評価をしたりしている。野球でいえば、意外と自分の投球スタイル、どういう選手なのかが分かっていない選手が多いと思う。ストレートピッチャーだと思い込んでいても周囲はそうは思っていないことは実はある。そういう意味では自分はあそこで説教をしてもらって変わることが出来た。自分を冷静に見つめ直して、モデルチェンジした。変わるキッカケとなりました」

 それからの大隣は徹底して緩急を意識した。オールスターにも出場し、ジャパンのユニフォームにも袖を通した。14年には日本シリーズ第3戦では先発投手を務め7回、被安打3、無失点の好投で勝ち投手となり、ホークスの日本一に貢献した。

 大観衆の目の前で醜態をさらしたあの日。今にも泣きそうな顔でベンチに戻った時の後悔の念と、大先輩の愛のある厳しい指摘が大隣をたくましくさせた。それから月日は流れ18年9月に大隣はユニフォームを脱いだ。

 不思議な縁も感じている。

 あの時、人生のターニングポイントとなった悔しい試合の対戦チームであったマリーンズのユニフォームに最後は袖を通し現役を引退した。そして今度はマリーンズで次代を担う選手育成に力を注ぐ仕事を任された。今、その眼はやる気にみなぎるようにキラキラと輝いている。

「人って成功体験よりも失敗から学ぶものだと思うんです。だから若い選手は失敗をしてもいいと思う。そこでしっかりと寄り添えるコーチになりたい。最初からそれはダメだと言うのではなく、失敗した時に、道しるべとなる事を伝えられる人間になりたいです」

 石垣島キャンプで指導者としての第二の野球人生が始まった。どちらかというと優しく見守り、選手に声を掛けながらコミュニケーションを取っている姿が目立つ。

「自分がどういうピッチーなのか考えろ」

 大先輩からの一言が自身の人生を変えたように、気付かせてあげられるコーチでありたい。新米投手コーチは日々、奮闘している。

[文:千葉ロッテマリーンズ・広報 梶原紀章]

http://www.marines.co.jp/

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