「プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話」 中根仁(後編)前編はこちら>> 1988年のドラフト2位で近鉄バファローズに…

「プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話」 中根仁(後編)

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 1988年のドラフト2位で近鉄バファローズに入団し、契約金5200万円をつぎ込んで不動産に投資するも、間もなくバブルが崩壊して借金を背負った中根仁。出鼻をくじかれながらも9年間活躍し、1998年に横浜ベイスターズにトレードで移籍すると年俸は一気に上昇した。

 計8回の手術に苦しみながら37歳まで現役を続けた中根が、高額年俸の選手でもまったく安心できないプロ野球の金銭事情の真実を明かす。



2003年、ベイスターズで15年の現役生活に幕を閉じた中根仁

――中根さんはベイスターズに移籍して1年目の1998年に70試合に出場して、打率3割0分1厘、4本塁打、31打点を記録。2000年には103試合に出場して打率3割2分5厘、11本塁打をマークし、2001年にも104試合に出ています。2001年の推定年俸は8000万円でしたね。

中根 そうですね。やっと貯金ができるようになったのは1999年ぐらいです。

――その年の年俸は6000万円だったと思いますが、そこでやっとですか?

中根 年俸の半分は税金なんで、そのくらいはもらわないと。それと、年齢も30代半ばになって、遊び疲れてきたということもありましたけどね。

――プロ野球選手ならば、年俸以外の副収入もあると思うんですが。

中根 バファローズ時代は全然でした。当時はグッズも売れるはずないしね。そういえば、バファローズ時代に一口馬主が流行ったことがあって、先輩たちとみんなでやろうという話で盛り上がりました。僕も出資して、エサ代かなんかで、毎月2、3万円くらい払いました。でも結局、その馬は1回も走らず……。

――走らず? 勝てなかったのではなく?

中根 はい、走らなかったんです。馬のレポートは送られてくるんですが、「アキレス腱を痛めてリハビリ中」とか、そんなのばかり。しかも先輩たちに話したら、実は誰も買ってなくて、僕だけが損をした悲しい思い出があります。

――世の中においしい話はなかなかないということですね。

中根 CMに出るような選手なら副収入も多いんでしょうが、地道が一番ですよ。年俸以外の収入といえば、勝利給というか報奨金が出ましたね。1試合あたりにいくらかもらえるという制度があって、バファローズ時代は1試合あたり35万円。それを活躍した何人かで分けました。ベイスターズではその3倍以上の額だったので、レギュラーの選手はそれだけで飲み食いできた。一番もらっていたのはチャンスに強かった(ロバート・)ローズでしたね。

――ところで、中根さんは何度も手術をされていますよね。

中根 えーと、8回かな? プロに入ってからは6回ですね。膝、手首、肘、肩などなど……手術の縫いあとがたくさんあったので、当時は「プロ野球界の大仁田厚」と言われました(笑)。

――プロ15年間で6回ですか。手術代やリハビリにかかる費用はどうしたんですか?

中根 球団指定の病院で手術をする場合は球団持ち。それ以外は選手の負担ですね。差額ベッド代などもそうです。1995年の手首の手術は、球団の提携しているところとは違う病院でやったので、自分で全額払いました。どのくらいかかったのかなぁ……。

――なぜ、球団指定ではない病院で手術を行なったんですか?

中根 当時のバファローズの治療方針に納得できなかったからです。球団のやり方だと復活できそうになかったので、いくつか病院を回って、やっといいところを見つけました。手首の骨を4ミリ削ってくっつけるという手術だったのですが、「中根さんのために電動ノコを仕入れました」と言われて。でも、その電動ノコギリがなぜか手術の日に動かず、結局は手ノコでギコギコやられました。局部麻酔だったから、削られているのがよくわかりました。「先生、頑張ってくれてるなあ」と思いましたよ。

――そんな経験、なかなかできませんね。

中根 プレートをつけて、ネジで留めて1年間プレーしました。「絶対にデッドボールはダメですよ。よけてください」と注意されたんですが、それはどうにもならない。

――ケガと戦いながら年齢を重ね、そのうち引退がちらつくこともあったと思いますが。

中根 引退する2003年のシーズンは「もう無理だろうな」と思っていました。気持ちが全然入らなくなって、ストレートを狙っても、それを見逃してしまう。三振してもなぜか悔しくない。その繰り返しでした。ハッタリでやってきたタイプなんで、気持ちがそうなると難しい。相手は必死で向かってきますからね。

――引退したときには、もう37歳でしたね。

中根 レギュラーで試合に出ていればいいんでしょうが、いつも控えだと、代打に出ても力が出せませんでした。

――引退後はコーチ、スカウトを経験されましたが、現在はどんなお仕事を?

中根 「アスリート街」というサイトを運営しながら、アスリートのセカンドキャリア支援を行なっています。

――プロのアスリートとして活躍しても、引退後にご苦労される方は多いようですね。

中根 高校卒業して4、5年プレーして引退する選手はまだ若くて、いろいろなことを覚えられるのでニーズはあります。でも、30代半ばを過ぎると、なかなか大変です。僕もそうでしたが、ずっとスポーツをしてきて世の中の仕組みがよくわかっていませんから、それを理解するまで時間がかかる。

 元プロ野球選手の場合は営業の仕事が向いているかもしれませんが、誠実にやっていかないと。僕は引退後にスカウトをやらせてもらったので、そこで社会勉強ができました。

――中根さんのプロ野球選手としての年俸の総額は、推定で6億円を超えているんですが、「稼いだぞ」という実感はありますか。

中根 いやあ、全然ありません。僕は15年やってそれですから。何度も言いますが、半分は税金ですし。

――現在プロ野球で活躍する後輩にアドバイスを送るとしたら?

中根 「とにかく、ファンを大切に」ということ。そうすれば、いずれ誰かが助けてくれます。ユニフォームを脱ぐと、ファンのありがたみがよくわかりますよ。