東京六大学野球で2016年秋以来の王座奪還を目指す明治大。そのチームで2節を終えて打率.375と、主に7番を打ちながら強打の三塁手として存在感を見せているのが森下智之(4年・米子東)だ。
 米子東高時代は夏の鳥取大会で3年連続初戦敗退、一浪して明治大に入学、4年にしてようやくレギュラーを獲得・・・苦労人であることは間違いないが、森下智之の口からは「あの頃は辛かった」という話は一切出てこなかった。

 

力強い打撃で社会人野球チームでもプレーすることが決まっている森下だが、高校までは全国的にはまったく無名の打者だった。

 

 森下は鳥取県米子市にあるお寺の5人兄妹の長男として生まれ、親との遊びがきっかけで野球を始めた。小中と軟式野球をした後、県トップの進学校であり甲子園通算16勝、1960年のセンバツでは準優勝も果たしている米子東高に進学した。だが、当時は低迷期で春に上位に進出することはあっても、夏となると結局1度も勝つことはなく甲子園には程遠かった。
 それでも「野球を辞めることは現実的ではなかったし、やっぱり(大学球界最高峰の)東京六大学でプレーしたい気持ちが強かったんです」と難関入試に挑戦したが、結果は不合格となり浪人生活に入った。
 浪人時代はジムで週3回、1回につき2時間ほど体を動かすことはあったが、基本的には受験勉強漬けの日々。だが森下は「野球部の同期も予備校に何人かいたし楽しかったですよ」と明るく笑う。

 そして明治大に合格し晴れて硬式野球部に入部。全国各地から甲子園経験者やドラフト候補と言われた精鋭が集まる明治大で、「(1、2年から)すぐ試合に出るのは絶対無理だと思いました」と森下は苦笑いで振り返るが、善波達也監督は高く評価していた。
「この子バット振れるな。(ボールがバットに当たった時の)インパクトが強くて面白いなと思いました」
 一般入部してきた森下の打撃をひと目見てそう感じたという。とはいえ、その壁は厚かった。ただ森下としては、「試合に出られない時も楽しかったです。下積みとか冬のトレーニングとかコツコツとやってきたことが結果に出るのが好きなんです」と、前向きに取り組んできた。

 そんな森下の存在はチームに好影響をもたらしてきた。
「自主練習に行くと智之に会うことが多く、3年間コツコツ頑張ってきたのを見ていました。4年目にして、今年一緒に結果が出せていて嬉しいです」(吉田有輝主将)
「夜に練習場を覗きに行くと、必ず黙々とバットを振っている姿を見ていたのでね。そういう姿を見ると “成果出るまで頑張って欲しいな”とこちらにも我慢強さを与えてくれますよね。それは野球を離れた社会生活でも絶対大事なこと。褒めすぎかな?(笑)」(善波監督)

 そしてそうした積み重ねを何よりも感じているのが森下自身だ。「今年は今まで振ってきた分、打撃の確実性が上がってきましたし、守備も試合に出し続けてもらい経験を積んだことで良くなっています」と手応えを語る。
 ここまで東京大、早稲田大から勝ち点2を挙げている明治大。5月12日から立教大、19日から慶應義塾大、26日から法政大という3週にわたる大一番でこそ、森下のここまで培ってきた「人間力」が大いに発揮されるかもしれない。

 

善波達也監督(写真左)は森下智之(写真右)ら野手に4年生の主力が多いため「努力を積み重ねてきた選手たちに4年分の思いを出して欲しい」と大きな期待をかけている。

 

文・写真=高木遊