ウクライナ出身の安青錦が大関昇進を確実にした。スポーツ報知では、これまでの歩みを3回連載で紹介する。初回は22年4月に…
ウクライナ出身の安青錦が大関昇進を確実にした。スポーツ報知では、これまでの歩みを3回連載で紹介する。初回は22年4月に来日したアマチュア時代の安青錦を受け入れ、現在は関西大相撲部でコーチを務める山中新大さん(26)が当時の様子や喜びを語った。
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2022年の4月12日、安青錦が来日した日を、山中さんは今でも忘れられない。当時18歳で後に安青錦となるヤブグシシン・ダニーロは、戦禍の母国ウクライナから関西空港にスーツケース1つを携えてやってきた。
「彼は汗をびっしょりかいていました。両親とも離れて不安や寂しさがあったのだと思います」
2人の出会いは19年の大阪・堺市で行われた相撲の世界大会。観戦した山中さんが、ウクライナ・チームの安青錦に話しかけて、インスタグラムのアカウントを交換。海を越えたメッセージのやりとりが始まった。
「彼からは大相撲のシステムや日本の練習方法を聞かれました。『将来は大相撲力士になりたい』と言っていたので、僕もできることがあったらサポートすると話をしていました。本当に相撲のことが大好きなのだと感じました」
そんな中、ロシアのウクライナ侵攻が22年2月に始まった。同3月8日、戦禍で相撲の稽古がままならなくなった安青錦から「日本へ避難できますか?」と切実なメッセージが届いた。
「最初は驚いて、でも断るという選択肢はなかった。日本にいる僕を頼ってくれたので、助けてあげたい、サポートしてあげたいという気持ちがあった」
安青錦は来日後、山中家で毎日食事し、家族同然となった。意思疎通は簡単な英語でやりとりし、難しい話は翻訳機を活用。関西大の稽古は夕方からだったため、日中は神戸の日本語教室へ通った。「彼は本当に真面目だった。あっという間に日本語が話せるようになりました」。上達が早すぎて、ウクライナ人向けの無料の教室から、レベルの高い教室に転校したという。
相撲では組むことの多い欧州のスタイルから、当初は突き押しの多い日本の取り口に苦戦した。今では見られない引き癖もあったという。弱点を克服するため、あえて学生相手にまわしを取らず、稽古場では押し相撲を習得。必死に順応した。欧州でよくみられるマットの土俵から、土の土俵になり、足裏の皮がむけるなど苦労もあった。
安青錦のスピード出世に驚きはないという。
「本当に努力したことがわかります。入門する前から家族内ではすぐ上へ行くだろうと話はしていました。私は安青錦のことを弟として接して、彼も私の両親のことを『お父さん、お母さん』と呼んでくれます。来日した最初を知っているので、感慨深いものがあります」
安青錦新大。しこ名の下の名前は、山中さんからもらった。21歳にして看板力士となる。大相撲に憧れを抱いた原点はウクライナでの幼少期にある。(特別取材班)