春は挑戦の季節。大阪公立大学硬式野球部のマネジャーだった前川泰輝さん(22)=和歌山県岩出市在住=は、プロ野球の審判に…

 春は挑戦の季節。大阪公立大学硬式野球部のマネジャーだった前川泰輝さん(22)=和歌山県岩出市在住=は、プロ野球の審判になる夢を追いかけている。4月からは大学院で学びつつ、審判の練習を重ね、年末に控える「採用試験」に挑む。

 前川さんが審判を意識し始めたのは、小学生のころ。テレビのプロ野球中継に映る球審が力強くジャッジする姿にあこがれた。中学生のころには、将来の仕事として心に決めた。

 桐蔭高(和歌山市)の硬式野球部では選手としてプレーし、公式戦でベンチ入りも果たしたが、審判への思いは変わらなかった。大学の野球部にはスタッフとして入り、マネジャーのリーダーにあたる主務も務めた。その傍ら、チームが所属する近畿学生リーグで塁審を務めるなどした。

 前川さんは、審判の魅力を「複雑なプレーをさばいた時の喜びや、正しくジャッジできた時の楽しさ」と表現する。

 日本野球機構(NPB)の審判になるには、例年12月にあるNPBアンパイア・スクールに入り、修了してまずは「研修審判員」に選ばれる必要がある。

 研修審判員になれるのはわずか。昨年末のスクールから選ばれたのは6人だった。前川さんも挑んだが、望み通りにはいかなかった。このため就職はせず、大学院に進んで主にスポーツ栄養学を学びながら、再挑戦することを決めた。

 研修審判員になってからも、道のりは遠い。

 はじめは「四国アイランドリーグplus」などの独立リーグで腕を磨く。ここで認められれば、次は「育成審判員」に。NPBの2軍戦で力量を試される段階だ。

 研修も育成も付かない「審判員」になり、1軍の試合をさばけるようになって、さらに定着していくまでには、選手と同様、何度もふるいにかけられる。そんな厳しい世界が待ち受ける。

 それでも前川さんは「プロ野球の1軍の選手と同じグラウンドに立って、ジャッジする夢をかなえたい」と前向き。近畿学生リーグや、和歌山県内での高校野球の試合の審判を通じ、技術向上に励むつもりだ。

 父の敦英さん、母の美都里さんからは、そろって「なりたいものになったらええ!」と励まされている。「両親の後押しは本当にありがたい。(不合格だった)1回目の経験を生かし、さらにスキルアップして臨みたい」と話す。(渋谷正章)