連載第8回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち証言者・一二三慎太(3)(前回の記事はこちら)石川ミリオンスターズの練習生としてリハビリの日々を送っている一二三慎太 ドラフト会議で指名された選手は、入団時にメディカルチェックを受…

連載第8回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・一二三慎太(3)

(前回の記事はこちら)



石川ミリオンスターズの練習生としてリハビリの日々を送っている一二三慎太

 ドラフト会議で指名された選手は、入団時にメディカルチェックを受けることが義務づけられている。2010年のドラフトで阪神から2位指名を受けた一二三慎太(ひふみ・しんた)は、その惨憺(さんたん)たる診断結果を見て、なかば「そうやろな」と納得してしまった。

「関節唇は破れているし、腱板も切れている。肩のどこが痛いというのではなくて、全部が痛かったですから。最初から『これはもう、リハビリやな』と言われていました」

 医師からは手術を勧められ、本人も手術したいという希望を伝えた。しかし、球団は難色を示した。一二三はまだ18歳と若い。肩にメスを入れれば、少なくとも1年以上は棒に振ってしまうことだろう。ならば、保存療法に取り組んではどうか。インナーマッスルや周辺の筋肉をトレーニングして補強する方法もある。球団として一二三の将来を考慮した上でのアドバイスだった。

 最終的に一二三は球団の方針に従うことになった。そして迎えたプロ1年目。1月の新人合同自主トレから、肩は絶不調だった。

「サイドでも放られへんわ、というくらい痛くて。とりあえず何とか乗り切って、キャンプに行って1回だけブルペンに入ったんですけど、もうアカンと。それからはずっとリハビリでした」

 それ以来、一二三は肩の強化と下半身のトレーニングに取り組むことになった。投手としてボールを握らない日々は不安が募りそうなものだが、一二三は「逆にそっちのほうがよかったです」と振り返る。

「むしろ忘れたれと思って。いったん、もうええわと」

 肩を壊し、指先感覚が崩れ、イップスになった。そんな過程を一度リセットしたかった。肩が治れば再び指先感覚も戻り、イップスも解消されるのではないか。そんな淡い期待もあった。しかし、トレーニングに明け暮れる毎日を過ごしながらも、相変わらず肩の痛みは消えず、1年はあっという間に過ぎ去っていった。

 ある秋の日。一二三は「ストレス解消のつもりで」室内練習場でバッティング練習をしていた。そのスイングを見たチーム関係者が「野手でいけるやん!」と驚き、野手転向を勧めてきた。一二三は悩んだ末、わずか1年で投手から野手に転向する。

「正直言って、1年間野球をしていなかったので、野球がしたかったんです。野手でやらせてもらえるんやったらええわと思って、親とも相談して野手でいこうと。肩の不安はずっと消えないですからね」

 高校時代に甲子園で打棒が爆発したように、もともと一二三の打撃は高く評価されていた。50メートル走では、手動のストップウオッチで「5秒6」という恐るべきタイムを叩き出した快足もある。だが、本人は野手として、とりたてて自信があったわけではなかったという。案の定、転向してすぐにつまずいた。

「打球が前に飛ばないんですよ。練習していないし、木(木製バット)やし、球は速いし......。これはヤバイなと(笑)。プロはレベルが全然違いましたね。特に変化球。キレが全然ちゃいます」

 野手転向1年目はウエスタンリーグ(二軍)で33試合に出場して、打率.178、0本塁打。守備は主に外野、一塁を守り、全力で送球しないため肩への影響はさほどなかったが、肝心の打撃に少なからぬ影響を及ぼした。

「痛すぎて、右手がバットにひっついていけないんですよ。バットに当たった瞬間に右手を離して逃がすしかない。当たるまでは大丈夫なんですけど、その先がムリなんで」

 いわゆる「押し込む打撃」が一二三にはできなかった。それでも、翌2013年にはウエスタンリーグで65試合に出場、打率.255、4本塁打と成長の跡を見せた。夏場にはフレッシュオールスターの出場も決まり、首脳陣からは「オールスター明けには上(一軍)に行くぞ」と言われていた。本人も「ボールが止まって見えましたから」と手応えをつかみかけていた。

 だが、好事魔多し。一二三はフレッシュオールスター直前の試合で左足をフェンスに強打し、剥離骨折してしまう。結果的に野手としては、この年がキャリアハイとなった。打撃練習では気持ちのいい打球が飛んでいくのに、試合になるとからっきし。そんなシーズンを繰り返した。一二三は「練習はいいんですよ」と言って、こう続けた。

「いつも言われていましたよ。『お前、練習なら3億円プレーヤーや』って(笑)。練習はいいんですけど、試合はやっぱりちゃうんで。自信はまったくなかったです」

 また、野手となり投手時代のような全力でスローイングをする機会はなくなったものの、相変わらずイップスは顔を覗かせた。

「プロでもボール回しするときに『今日はヤバイな、指先おかしいな』という日は、投げる相手に『今日ヤバイんで』と言います。プロでもイップスのヤツは多かったですよ。(イップスを)持ってる人同士だと、すぐにわかり合えるんで(笑)。隠すなんてムリっす」

 ただ、一二三にはある自負があった。自分のイップスは心因性のものではない。肩の痛みというはっきりした原因がある。だから、肩の痛みさえなくなれば、イップスは治るのではないかと考えていた。しかし、その痛みは徐々にやわらいでいたものの、完治にはほど遠い状態が続いていた。

 2015年シーズン後には金本知憲監督が就任。秋季キャンプで潜在能力の高さを見込まれた一二三は、付きっきりで指導を受けた。だが、「始動が遅い」と何度も指摘を受けても、直すことができなかった。

「僕なりに早くしているつもりなんですけど、映像を見るとメッチャ遅いんですよ」

 一二三は自嘲気味にそう言って、吐き捨てるように続けた。

「やっぱり、バッティングは難しいですね。考えるタイプなんで、ドツボにはまっていくんですよ。ピッチャーと勝負じゃなくて、僕のフォームとの勝負になってしまう」

 2016年からは育成選手契約となり、背番号は「36」から苗字にちなんだ「123」に変更。BCリーグの石川ミリオンスターズに派遣され、実戦経験を積んだ。しかし、本来NPBより格下であるはずのBCリーグでも、34試合に出場して打率.186、1本塁打。結果が出なかったのは、肩の不調の影響でも、気持ちが切れたからでもない。

「ただただ、僕が打てなかった。限界というか、打てないです。ムリですね。育成になって、こっち(石川)に来て、今年でクビやろうなと」

 そして10月になると、知らない番号から着信があった。一二三は「来たな」と予感めいたものがあったという。編成担当者からホテルに呼び出された一二三は「来季は契約を結ばない」と戦力外通告を受ける。すでに野手としての見切りをつけていたため、トライアウトは受験しないと決めていた。

 現役引退――。その四文字が頭をよぎる。だが、一二三には一度は捨てたはずの感情が蘇っていた。

「このまま野手で終わるのはイヤやったんです。でもピッチャーをやろうと思っても肩は痛いし。じゃあ、オレ終わりかぁ......とも考えていたんですけど。この痛みをとにかく治したい。手術すれば痛みが消えるんちゃうかなと思って。治ったらピッチャーをやろうかなと」

 そして2017年。一二三の姿は石川県にあった。身分は石川ミリオンスターズの練習生。といっても給与が発生するわけではなく、無給だ。一二三は「貯金しておいてよかったです。結婚していたらムリですよ」と笑う。

「僕はリハビリのために来ているので。施設を使って練習させてもらうのは、チームのみんなと一緒ですから、ありがたいですね」

 一二三の右肩には小さな傷跡がある。昨年11月に受けた手術痕だ。内視鏡手術だったため、その跡は小さく目立たないが、この内側から響いてくる痛みに一二三は高校2年の冬から苦しめられてきた。

 そして、その痛みは今も続いている。

「肩の手術を甘く見ていました。今もめっちゃ痛いですね。でも、痛む箇所は治したはずですし、医者からも『1年半はかかる』と言われています。自分でもそこまでリハビリしていかないと、わからないことなので......」

 貯金を切り崩し、独立リーグの練習生という立場で、変わらぬ痛みを抱えながらリハビリに費やす日々。なぜ、そこまでやるのか。一二三を突き動かすものは何なのか。

「あの指先の『バチン』という感触。あれがほしいんです。それさえあれば、絶対にいける。そういう自信はあります。今もキャッチボールをしているんですけど、その感覚さえあれば、もうどこから投げてもいいので。バチンとくるならオーバーだろうがサイドだろうが、アンダーだって何でもいい。別にどこから放らなアカンというわけではないですから」

 肩の状態と相談しながら、50メートルほどの遠投をこなす日もある。そして、時折「バチン」という感覚が指先に宿る瞬間もあるという。

「そういう日は楽しいです。『やべぇ!』と(笑)。ただ、バチンと来る日もあれば、『おかしい』という日もあるので。だから、その日その日で違いますね」

 東海大相模の門馬敬治監督には、手術する前後に報告をし、リハビリ中にも何度か学校に顔を出したという。「イップスは大丈夫か?」と心配する門馬監督に、一二三は「まあ、大丈夫じゃないですか」と楽観的に答えたという。一二三は胸に手を当てるジェスチャーを見せながら、こう笑った。

「僕のイップスは、こっち(ハート)やなくて、肩の痛みからなんで。こっちやったら、たぶんあきらめてます」

 そして、一二三は最後にこんな本音を漏らした。

「もう当たり前になっていますけど、肩が痛くなって8~9年くらいですね。いつも思いますよ。『朝起きたら、肩治っていないかな』って(笑)」

 失われた指先感覚を求めて――。一二三慎太の挑戦はこれからも続く。

(つづく)

※「イップス」とは
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球や他スポーツでも市民権を得た感がある。