古閑憲生(こが・のりお)は、群馬から新潟に移動する車内のラジオで成り行きを見守っていた。

 この夏、甲子園を席巻した広陵(広島)・中村奨成の決勝戦。初回にレフト線二塁打を放ち、迎えた3回の第2打席で、中村は花咲徳栄(埼玉)の先発・綱脇彗(つなわき・すい)のスライダーにバットが空を切り、今大会自身初の三振を喫してしまった。

 古閑と同行していた上司は「これでお前の記録が破られることはないな」と冷やかす。日頃、自身が持つ記録に対して無頓着な古閑も、このときばかりはさすがに心穏やかというわけにはいかなかった。



1988年夏の甲子園で個人最高打率の記録を樹立した津久見の古閑憲生

 それにしても、この夏の甲子園での中村の打棒はすごかった。来年夏の選手権大会のガイドブックに掲載される個人打撃記録の欄は「中村奨成」の名前で占められることになった。

 今大会、中村は6本塁打を放ち”不滅”と言われていた清原和博(PL学園)の記録を打ち破り、打点(17)、塁打(43)でも新記録を樹立した。そのほか、二塁打(6)、安打数(19)も大会タイ記録となり、個人打撃5部門でトップとなった。これにより99回を数える夏の甲子園史上最高の”打撃王”となったわけだ。

 しかし、その中村でさえも打破できなかった記録がある。それが大会個人最高打率(.727)だ。そしてその記録保持者こそが、達成当時、津久見(大分)の3年生だった古閑である。

 中村は準決勝を終えた時点で23打数16安打、打率.696。決勝で3打数3安打、もしくは4打数4安打を放てば記録は塗り替えられたのだが、5打数3安打に終わり新記録達成はならなかった。

 古閑の記録は、1988年の夏に打ち立てられた。

 チームメイトでエースの川崎憲次郎(元ヤクルトほか)とともに春夏連続ベスト8入りに貢献し、夏の大会後には全日本選抜にも名を連ねた左の強打者だ。リストの柔らかさを生かして広角に打ち分け、高校通算30本塁打超と長打力も兼ね備えていた。高校全日本でも江の川(現・石見智翠館/島根)の主砲・谷繁元信(元中日ほか)と交互に4番を打つほどだった。

 大会記録として認められるのは、1978年までは準決勝に進出したチームの選手に限られていたが、79年以降はベスト8以上のチームの選手が対象となった。このルールに基づけば、たとえば10打数10安打でもベスト8に進出しなければ大会記録にはならない。

 古閑の津久見は、2回戦から登場し、札幌開成(南北海道)、大垣商(岐阜)を破りベスト8に進出したが、準々決勝で広島商に敗れた。

 古閑は初戦から4打数3安打(1本塁打)、3打数2安打、4打数3安打と打ちまくり、通算11打数8安打。中村がこの夏の甲子園で記録した28打数19安打と比べると物足りなさを感じてしまうが、ベスト8以上という規定はクリアしているため、打率.727が個人最高打率の記録として今も残っている。古閑は言う。

「自分なんて運がよかっただけです。自分は2回戦からで3試合。中村くんは1回戦から6試合ですからね。しかも、中京大中京、秀岳館、花咲徳栄など、次々と強豪校と対戦し、プロ注目の投手を攻略している。仮に、自分たちが準決勝、決勝に勝ち進んだとしても、対戦する投手のレベルは上がってくるので、成績は落ちる一方だったと思います。なので、僕の記録と比較するのはどうかと思います」

 古閑は高校卒業後、法政大を経て九州石油に就職し、軟式野球部で6年間プレー。現在は関連会社のJXトレーディング株式会社で営業を担当している。自身が出場した88年の夏を最後に、母校は甲子園に出場していないこともあって、高校野球に対する関心はさほど高くない。しかし、毎年夏になり、強打者が出現すると、周囲の人々は「今年こそ危ないぞ」と古閑にプレッシャーをかけてくる。

「だから、嫌でも気になってくるわけです。もちろん人間ですから、自分の記録が破られるというのはいい気がしません。今年は中村くんの活躍によって、準決勝、決勝は例年以上に注目しました。決勝の2打席目の三振で記録更新が難しくなったときに感じた”ありがたさ”。それは夏の甲子園という歴史と伝統のある大会で、こんな自分がいまだに記録を保持していることに対する正直な気持ちだったのかもしれないですね」

 無関心を装いながらも、甲子園へのリスペクトは消えることはなかった。

「ただ、これだけ打者のレベルが上がってくると、記録が破られる日は遠からずやってくるでしょうし、それだけの選手を見てみたい気はしますよね」

 あの中村でも打ち破れなかった古閑の大記録。そして来年が記録達成から30年目の節目にあたる。