全国23の自治体から、過去最多位の24チームが参加し8月21日から24日まで沖縄県の石垣島で開催された「離島甲子園」(国土交通大臣杯 全国離島中学生野球大会)。前篇では決勝戦の模様を中心にお伝えしたが、後篇では参加した選手、監督の声などを中…

全国23の自治体から、過去最多位の24チームが参加し8月21日から24日まで沖縄県の石垣島で開催された「離島甲子園」(国土交通大臣杯 全国離島中学生野球大会)。前篇では決勝戦の模様を中心にお伝えしたが、後篇では参加した選手、監督の声などを中心にお伝えする。

「答志島の中学校から17人、菅島の鳥羽東中学校から2人。答志中が全校生徒50名ほどで、学校の存続自体が危うい。鳥羽東は、もう野球部がない」(鳥羽選抜、山本諒監督)

「9年前にチームを立ち上げたが、9名揃ったことがない」(能古島アパッチ、清水明監督)

人数を揃えることができず、試合どころか練習さえできない環境の選手が少なくないのだ。

離島甲子園の場合、「選抜」と名の付くチームも、実質的には合同チーム。選り抜くほどの競争力がないのが現状だ。能古島アパッチの選手をはじめ、公式戦の経験がない、あるいは1試合のみという選手も少なくない。

準決勝で惜敗した屋久島選抜は、メーン会場となった石垣市中央運動公園野球場の砂を持ち帰った。「土を見て、思い出せ」と選手に語りかけた宇都口拓監督は「本土の高校に行く子もいるし、島のハンデはあるけど、屋久島にこの子たちが残って試合をしてくれれば、島を盛り上げることができる。この大会のベスト4入りも町内放送で伝えてもらった。島を元気にしてほしいという気持ち。もう一度、このメンバーでやりたいと思ってくれたら最高」と思いを明かした。島に一つしかない公立校で、野球を続けていってほしいという願いだ。

だから、野球をできることだけで楽しい。

人数不足や、熱意のまばらなチームの選手にとっては、勝負自体が貴重な経験だ。そんな彼らが野球の楽しさを再確認する舞台が、この「離島甲子園」だ。

屋久島選抜で打席に入る度に気合いの入った雄たけびを挙げていた黒飛海太は「兄がこの大会でベスト4だったので、負けないように頑張った。中学校のチームより良いチームで楽しかった。選抜では仲間のレベルが高く、控えになったけど、その分頑張れたし、高め合えた。僕は気合いでチームに勢いを付けることしかできないと思って頑張った。豪華な球場でできて、一生の財産になった。最高です。高校もみんなと一緒に続けたい」と、興奮気味に話した。

10年前に10チームで始まった大会の存在は、少しずつ離島の子どもたちに浸透しつつある。参加チームは倍以上になった。大会OBから甲子園大会出場選手も複数輩出した。

「離島甲子園から、甲子園へ」

ハンデを知る者同士が高め合うことで、子どもたちは夢をつないでいる。レベルも知名度も本家の甲子園大会には遠く及ばないが、離島のハンデを乗り越える夢を与えてくれる舞台だ。全国の厳しい環境で頑張る小さな力を結集する離島甲子園は、島の憧れとして成長しつつある。(取材・撮影:平野貴也)

離島のハンデを乗り越えて…「離島甲子園」から目指す甲子園(前篇)