興南(沖縄)に勝利したあと、インタビュー控え室で智弁和歌山の中谷仁コーチは記者に囲まれてご機嫌だった。大会4日目、好カードが続き、第1試合から4万7000人の大観衆を集めた日だ。

 今年の春、智弁和歌山の高嶋仁監督が後継者に指名したのは、1997年の夏の甲子園優勝メンバーで主将を務めていた中谷だった。中谷は同年秋のドラフト1位で阪神に指名され入団。その後、楽天、巨人でもプレーするなど、プロの世界で15年間生き抜いた。



元独立リーガーでもある三本松の日下広太監督

「現役を引退してすぐにアマチュア資格回復の講習を受けていたので、オファーがあればと。そんなときに母校から声をかけていただいて……やらない手はないですよね。ただ、高校野球の指導に関わると、休みはなくなる、家族との時間はなくなる、収入は……とにかく、家族を説得することでした。しんどいのは嫁さんです。まあ、今は納得して全面協力してくれています(笑)」

 高嶋も中谷のコーチ就任を喜んだ。

「十数年前から戻って来い、と言っていました。アイツのコーチングがよかったから甲子園に来られたんですわ。ボール拾いをはじめ、裏方の仕事もしっかりやってくれています。そういう姿は選手も見ていますからね」

 練習ではバッティングピッチャーをするし、ケージのうしろに立ってアドバイスも送る。練習が終われば、選手たちと一緒にボールを拾い、ネットを担いで運ぶ。

「プロの世界で15年やったんですけど、レギュラーではなく、裏方みたいな仕事が多かったんで、こういう方が向いているし、得意かもしれないですね(笑)。もちろん、ノックもしますし、バッティングピッチャーで投げろと言われれば200球でも投げます。気持ちは若くなっていますが、次の日、肩が上がらない。肩甲骨が肉離れ中です(笑)」

 普段は学校の職員として働く中谷は、午後2時ぐらいにグラウンドに出て、帰宅するのは夜の10時過ぎ。全体練習が終わっても、居残りで練習する選手がいれば付き合う。

「四六時中、技術向上のことを考えていて、引き出しはあると思います。『プロと高校生は違う』という人がいますが、やっているのは同じ野球ですから。僕は一流でもなかったし、成功もしなかったけど、工夫はいっぱいしてきました。それに、いい選手の言葉や行動、生活態度やプレーを間近で見てきた。そこで指導できる引き出しはあります」

 もちろん、将来のことも考えている。

「(高嶋)監督からはバッテリーを中心に見てくれと言われています。僕の方は、高校野球とは何か、どんな戦術があるのかといったことを教えていただいています。高嶋監督の目指す野球を日々考えながらやっています」

 松商学園(長野)の足立修監督は同校卒業後、早稲田大から進んだ社会人野球の名門・プリンスホテルのキャプテンとして都市対抗で優勝し、1995年から廃部となる2000年までは監督も務めた。その後、社業に就いたあと、2011年の夏に監督として母校に戻ってきた。

 足立にとって社会人時代の思い出といえば、現役引退後の過酷な体験だ。本社人事部にいるとき、グループ会社の西武鉄道の上場廃止問題が起こった。そこで足立は、早期退職者の対応を任された。

「これは大義を持たないとできなかった。従業員1万人のうしろには、4万人の家族がいる。10人しか乗れない船に20人乗ったら、誰も助からないかもしれない。私だけでなく、経営者も苦渋の決断。断腸の思いだったはずです」

 会社が負の遺産を処理して、再上場に向かっていたときに、母校から監督打診の話があった。足立は当初は、退職金制度などを手がけている最中だったため、それだけはやり遂げなければいけないと思っていた。

 しかし、2011年3月11日に起こった東日本大震災が転機となった。自分の意図しないことで志半ばにして亡くなられた方がいる。そのとき、足立は自身の生き方について考えた。そして同年8月、母校に戻った。

 ただ、前途は多難だった。2014年には部内で暴力事件が発覚し、対外試合禁止の処分を受けた。そのとき、選手たちは自ら「野球部の部員心得」を15条から20条にした。かつては、掃除やグラウンド整備は下級生の仕事だったが、今は3年生も全員参加している。

「上場廃止から再上場に向かうなか、新生プリンスホテルをつくろうというときに理念・理想を掲げました。これはいい、これはダメという次元の話ではなく、何のためにやるのかといったことが明記されている。それとよく言うのが、”泰山の高きは一石にあらず”という言葉です。小さな石が集まってはじめて大きな山になるという意味ですが、その大きな山もひとりから崩れてしまうぞ、と。要するに、”一人の百歩より、百人の一歩”。チーム力ということです。これはホテルの仕事から学びました。お客さんがホテルに来られて、ホテルマンの印象が悪かったら、ホテル全体の印象が変わってしまう。海外の人だったら、その国のイメージすら変わってしまうわけです」

 松商学園は2回戦で盛岡大付(岩手)に敗れたが、三振した選手にも「よし、よし」と笑顔を浮かべる足立監督の表情は、ホテルマン時代の名残なのだろうか。

 三本松(香川)は第1回大会の地方大会から出場している、いわばレジェンド校。初戦で下関国際(山口)を破り、甲子園初勝利に導いたのが日下広太監督だ。

「選手たちには『歴史を変えよう』と節目のときに言い聞かせてきました。うちは第1回大会から出ているけど、甲子園では1勝もしていない。『だから、お前たちが変えろ』と。勝利したときは、OBとしておめでとうと言いました」

 おそらく日下監督は、BCリーグ経験者として初めて甲子園にやってきた監督だろう。三本松を卒業し、順天堂大学を出てからBCリーグの石川ミリオンスターズでプレーした。そこでは、かつて西武などで活躍した金森栄治氏(現・ノースアジア大コーチ)が監督をしていた。

「金森さんには『正確なプレーをやっていかなあかんよ』と。基礎、基本を徹底しろと言われました」

 ただ、日下にとってBCリーグはプロ野球選手になるためのものではなかった。夢は故郷での指導者だった。日下は新潟アルビレックスに移籍したのちに現役を引退。その後、3カ月の中学校勤務を経て、母校に赴任するまでの3年間は養護学校の講師として勤務した。そこで教えるということの基本を学んだという。

「この子らはどうやったら動けるのやろう。どうやったらこの子らに伝わるんやろう。すごく考えさせられた時間で、引き出しが増えました。ボールを投げるにしても、ヒジをどうしよう、手首はどうしようといったように、言葉のレパートリーが増えました」

 BCリーグ時代を含め、日下は地域に密接した活動を行なってきた。三本松は東かがわ市にある唯一の高校で、日下は「地域の人たちに支えられた」と言う。

「人口が減っている地域ですので、選手たちのプレーで元気になってくれればうれしい。市民の人たちのために戦うという気持ちはあります。子どもらも地域を背負っていることを感じて、頑張ってくれている。それを見た子どもたちが、将来、うちの高校を目指してくれれば」

 どこにでもある普通の県立校。こういう学校が強ければ地域は活性化され、注目度も上がる。

「ただ……」と日下は言う。

「県立を選んだ以上は、私も所詮、駒ですから。どこの学校に配属されても、自分のパフォーマンスは出さなあかんと思っています」

 自分の任務を遂行するために100%を注ぐ。こんな指導者と巡り合えたら幸せだろうと思う。

 最後に、NPB経験者のふたりの監督も、この夏の大会で快進撃を見せた。

 27年ぶりにベスト4入りを果たした天理(奈良)の中村良二監督は、1986年夏の天理初優勝のときの主将で、高校卒業とともにプロ入りし、近鉄、阪神でプレーした。引退後、天理大の監督を経て、2014年にコーチとして母校に戻り、昨年から監督に就任した。

 初戦の大垣日大(岐阜)に勝ったあと、インタビューの第一声がこれだ。

「こんなに早く甲子園に来られて、子どもたちに感謝している」

 その後も、「まさか僕がここに来られるなんて……」と言葉を詰まらせるシーンもあった。

 中村監督の言葉は、感謝の気持ちに満ちている。アマチュア規定を見直してくれた関係者に感謝し、前監督の橋本武徳氏にも「『後継者はお前だ』と指名していただいて幸せ者です」とお礼の言葉を述べた。

 中村にとって2度目の高校野球人生は始まったばかり。「監督のひと言で救われることがある」と話す中村。幾度となく、高校生に勇気を与えることだろう。

 天理と同じくベスト4入りした東海大菅生の若林弘泰監督は、中日で6年間プレーし、現役引退後は運送会社に勤務。その後、37歳のときに大学に再入学して教員免許を取得。2009年から東海大菅生の監督に就いた。

 東海大菅生は、西東京大会で日大三、早稲田実業のセンバツ組を破り、17年ぶりの甲子園出場を果たした。

「日大三に勝ったとき、『まさか日大三が敗退』って新聞に書かれたんです。それで『ふざけるな』と思いました」

 会見では元プロらしく、ストレートで歯切れのいい物言いをする。初戦の高岡商(富山)に勝ったときもそうだった。

「21年ぶり勝利? 特にないです。僕にとっては初めてなんで、それはうれしい」

「継投? 考えましたけど、あえてほかのピッチャーを見せる必要もないでしょう」

 そして練習中は、とにかく”べらんめえ口調”になるという。

「少年野球じゃねぇんだからよう!」

「てめえなんか(試合で)使えねぇよ」

 こんな具合だ。若林自身も口の悪さは自認している。

「僕はほめて伸ばさないので。けちょんけちょんに言います。(エースの)松本(健吾)なんて、涙を流したこともあります」

 ただ、それは選手の個性を見極めての指導だ。

「松本は向上心がある。言われてつぶれる子じゃない。部屋に『オレがエース』って書いて、貼ってありますから」

 プロ野球と高校野球の違いを、若林はこう説明した。

「プロの世界は『使えない』という評価をされたら切られます。でも、高校野球は『こんな選手もいるんだ。こうやったらもっとうまくなるかもしれない』と。そういう考え方をするようになりました」

 若林のプロ通算成績は6年間で1勝1敗、防御率8.85と、成功したとは言い難い。だからこそ、高校野球の現場に戻っても、自分の型にはめることなく指導できるのだろう。

 智弁和歌山の中谷も、「一流になってしまっていたら、僕の感覚を押し付けるような指導になっていたと思う」と言った。

 今回、彼らを取材して印象深かったのは、みんな同じ言葉を口にしたことだ。

「高校野球の勝利は格別です」