サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、サッカー選手の勲章である「こだわりの帽子」。
■最強のアマ選手
1887年のイングランド対アイルランドは、この年の初めての国際試合だったからか、イングランド代表の11人のうち5人が「初キャップ」で、他の選手も大半が「10キャップ」に満たなかった。そのなかでただひとり16試合目の国際試合となった選手が、キャプテンを務めた左ウイングのチャーリー・バンブリッジだった。
スピードあふれる左ウイングとして鳴らしたバンブリッジは、1879年にイングランド代表にデビュー、すでに代表8年のキャリアをもっていた。彼はこの年の「ホームインターナショナル」全3試合に出場、イングランドの攻撃をリードしたが、その最終戦、3月19日に行われたスコットランド戦が、最後の「キャップ」となった。イングランド代表記録は、「18キャップ」で11得点だった。実際の「キャップ」は3つしかもらえなかったが…。
イングランドでプロが公認されるのは1885年のこと。だが当初プロと認められた選手は主としてスコットランドから「出稼ぎ」できていた選手たちで、バンブリッジはサッカーから報酬を受け取らないアマチュア選手のまま引退した。彼のイングランド代表得点記録は、アマチュア選手としては最多記録として、いまも残っている。
代表選手としての「最晩年」(といっても28歳だったが)に初めて「キャップ」を贈られたバンブリッジは、その3つの「キャップ」を生涯誇りにし、大切にしていたという。
■ユニフォーム代わりの帽子
ではなぜ、FAのジャクソンは代表試合出場選手に「キャップ」を贈ろうとしたのだろうか。
19世紀前半に英国のパブリック・スクール(私立のハイスクール)で育まれ、1863年に正式に誕生したサッカー。初期には、ユニフォームによるチームの区別が規定されていなかった。チーム分けは、それぞれのパブリック・スクールの「スクール・キャップ」で区別していたらしい。すなわち、初期のサッカーでは、「キャップ」がユニフォーム代わりだったのである。
「スクール・キャップ」は、現代ポピュラーな「ベースボール・キャップ」と比較すると、「つば」の部分がとても小さく、形ばかりに見える帽子である。藤子不二雄の人気漫画『怪物くん』の主人公の帽子と言ったら、いちばんイメージしやすいかもしれない。
■帽子をかぶりながら試合
1872年にサッカー史上初めての国際試合である「スコットランド対イングランド」が行われたときに雑誌に使われたイラストが、国際サッカー連盟(FIFA)のミュージアムに保存されている。そのイラストによると、スコットランドは紺色、イングランドは白のシャツでチーム分けがなされているのだが、スコットランドの選手たちの何人かはピエロのとんがり帽子のようなものをかぶり、一方、イングランドの選手たちはまちまちな色の「スクール・キャップ」をかぶっている。
ユニフォームの区別がなされるようになっても、キャップをかぶったままプレーをする習慣は1870年代まで残っていたようだ。ジャクソンが国際試合の出場記念品にと、「キャップ」を贈ることを考えたのは、自然なことだったのかもしれない。現代、「キャップ」と言えば「ベースボール・キャップ」が最も一般的だが、サッカーにも「キャップの時代」があったのは非常に興味深い。