今季からアトランタ・ブレーブスで三塁コーチを務めるのは、ロン・ワシントン氏だ。そう、2010年と11年に2季連続でテキサス・レンジャースをワールドシリーズへ導いた、あのワシントン監督だ。2度もリーグ優勝を経験した監督が三塁コーチを務めるなん…
今季からアトランタ・ブレーブスで三塁コーチを務めるのは、ロン・ワシントン氏だ。そう、2010年と11年に2季連続でテキサス・レンジャースをワールドシリーズへ導いた、あのワシントン監督だ。2度もリーグ優勝を経験した監督が三塁コーチを務めるなんて、もしかしたら日本の通例を基準に考えると違和感があるかもしれない。日本球界では、一度監督を務めた人物が他球団の監督を務めることはあっても、コーチとして他の監督の下で働くことは稀だからだ。
■「野球が自分を必要としてくれる限り」―メジャーでは日常茶飯事、監督経験者のコーチ就任
今季からアトランタ・ブレーブスで三塁コーチを務めるのは、ロン・ワシントン氏だ。そう、2010年と11年に2季連続でテキサス・レンジャースをワールドシリーズへ導いた、あのワシントン監督だ。2度もリーグ優勝を経験した監督が三塁コーチを務めるなんて、もしかしたら日本の通例を基準に考えると違和感があるかもしれない。日本球界では、一度監督を務めた人物が他球団の監督を務めることはあっても、コーチとして他の監督の下で働くことは稀だからだ。
だが、メジャーでは監督経験者がコーチとしてフィールドに復帰することは、極々普通のことだ。今季の30球団の組閣を見ても、ワシントン氏(元レンジャーズ)、ヤンキースのロスチャイルド投手コーチ(元デビルレイズ)、ヤンキースのペーニャ一塁コーチ(元ロイヤルズ)、ダイヤモンドバックスのガーデンハイヤー・ベンチコーチ(元ツインズ)、エンゼルスのレネキー三塁コーチ(元ブルワーズ)、マーリンズのゴンザレス三塁コーチ(元ブレーブス)ら、驚くほどに数は多い。ちなみに、レッドソックスのルーベン・アマロJr.一塁コーチは、フィリーズGM(2008年から15年)からの転身だが、これはさすがのメジャーでも珍しい例だ。
監督という現場の頂点を経験した人物が、なぜ再びコーチとしてフィールドに戻るのだろう。そんな疑問を投げかけてみると、ワシントン三塁コーチから逆にこんな質問をされた。
「なぜ日本では監督経験者がコーチに戻れないんだ?」
なぜだろう。戻れないわけではない。改めて問われると、返答に戸惑う。
そもそも、戻るという発想がないのかもしれない。一般企業の社長と同じように、監督は野球界の現場におけるヒエラルキーのトップに位置するため、最終的なゴールと認識されている。監督職を離れること=現場からの卒業、という流れが一般的なため、組織に残る場合には、会長または特別アドバイザーのようなフロントオフィスでの役職が用意されることが多いのだろう。
あるいは、一度“監督”という肩書きを持った人物に対して、周囲が気を遣い過ぎている可能性もある。組織の頂点に立った人が、誰かの下で働くことは難しいだろう、という“気遣い”だ。そんなこともあって、本人にはコーチとして現場に戻る選択肢はあっても、コーチ職をオファーしづらい事情もありそうだ。もちろん、個人によっては、監督を経験したプライドが邪魔をすることもあるだろう。
■日々野球と向き合える喜び「I LOVE Baseball!!」
ワシントン三塁コーチは、フィールドに残り続ける理由をこう語った。
「野球が自分を必要としてくれる限り、監督であれコーチであれ、どんな形でもフィールドに立ち続けるだろう」
内野守備の名指導者としても知られるワシントン氏は、監督時代にも全体練習前に若手内野手の特守に参加し、自らノックバットを振り、1つ1つの動作を丁寧に指導し続けた。それは、今でも変わらない。
「若い選手に自分の野球観を伝えていきたいんだ。真剣に野球と向き合うことが、いかに楽しいことか。併殺プレーで二塁ベースカバーに入るにしても、ベースのどの場所を踏み、送球をどのタイミングで受けて転送するのか。このコツを掴んでいれば一塁で打者走者をアウトにできる確率はグンと上がる。走塁にしても、ベースの踏み方、ベースを踏む足、どういった走路を取るか。これを知っていれば、俊足でなくても賢い走塁はできる。
最近は、ドラフトから間もなくメジャーデビューする選手が多い。彼らが持つ才能は素晴らしい。ただマイナーで十分な育成期間を経ないままメジャーに昇格してくるから、大味になりがち。少し基礎を教えるだけで、プレーが洗練され、メジャーで生き残る術が身につくんだよ」
自分が長年培った野球の智慧を、後進たちに少しでも伝えていきたい。ハツラツと話す表情は、日々野球と向き合える喜びに溢れている。
「野球が本当に好きなんですね」
そう伝えると、破顔して、こう言った。
「I LOVE Baseball!!」
好きなもの、愛するものと接する時、そこには肩書きなど必要ないのかもしれない。(佐藤直子 / Naoko Sato)