日本人初のNBAプレーヤーで、栃木ブレックスを見事Bリーグ初代チャンピオンに導いた田臥勇太に、25年間に渡りアスリートを取材してきた生島淳が、独占インタビューを敢行。4回に分けてお送りする。

第一弾では、「あんなにシュート入る人達見たことない」と話すNBA時代の活躍と苦難に迫る。

田臥勇太(たぶせ ゆうた):日本のプロバスケットボール選手。ポジションはポイントガード。高校時代に能代工で史上初の9冠を達成し、2004年にはフェニックス・サンズの開幕ロースターに入り日本人初のNBAプレイヤーとなった。帰国後は栃木ブレックスで活躍を続け、2016年開幕したBリーグではチームを初代チャンピオンに導いた。

 

田臥が語る初代Bリーグ王者栃木ブレックス

生島>
優勝おめでとうございました。どうですか、反響の大きさみたいなものは?
 
田臥>
思った以上ですね、今回は本当に。栃木に戻ってから前回優勝とは比べものにならないくらい反響がすごくて、もうありがたいですね、本当に。
 
生島>
結構苦戦の試合もあったんですよね。
 
田臥>
全部苦戦ですね。笑  

 

田臥が高校時代(能代工業)を振り返る

生島>
まず基本情報として押さえておきたいのが、ミニバスを始めたのはいつですか?
 
田臥>
8歳の頃ですね、小学校2年生です。
 
生島>
結構早めですよね。
 
田臥>
そうですね、早い方ですね。
 
生島>
能代に行くというのは思い切った選択だった、勝負かけたんだなと思うんですがいかがでしょう?
 
田臥>
そうですね、自分の中では勝負というよりかも、ただ行きたい、行けるなら行きたいという。
能代工業といえば憧れの高校で、まさか自分が行けるとは思ってなかったんで、そうやってお話をいただいた瞬間に多分ほぼ決まってましたね。
自分は行きたいという思いで、それを親が尊重してくれて、というのは本当に親の理解があったと思います。
 
生島>
高校3年間1回しか、一年の東北大会した負けていないというすごい、戦績ですけれども高校時代を振り返っていかがですか?
 
田臥>
自分のバスケットスタイルというのをすごく確立できたなというののと、どれだけ自分にとってバスケットが大切かがわかりました。
あとは、やっぱり今のお話じゃないですけど、親元離れて生活していたので、家族のありがたみや友達の大切さを学べました。
 

田臥にとってのNBAとマジック・ジョンソン

生島>
当時からNBAお好きですよね?
 
田臥>
そうですね、もう小学校から見てました。
 
生島>
やっぱりマジックジョンソンが?
 
田臥>
そうですね、マジックはやっぱりいつ見ても、それこそあの時の気持ちに戻れるというか、変わらないですね。
 
生島>
今でもちょっと映像が流れると気持ちが高ぶりますか?
 
田臥>
高ぶるし、映像じゃなくてもどこかでユニフォームを見たりとか、32って番号を見るだけでみたいな気持ちですね。
 
生島>
32というのは大切な番号?
 
田臥>
32は大切だし、好きな番号ですね。
 

田臥が語るNBAへの挑戦とそこで感じた壁

田臥>
腹くくって本当に目指そうと思ったのは、日本に戻ってきてトヨタが1年終わってオフの時ですね。
本当に僕ラッキーだったんですけど、1年終わって、プロとしてスタートして終わってみて、ここでアメリカ行ったらどういう世界が見えるんだろうと思って。
何が根拠だったか分からないですけど、本当にそれ思って、シーズン終わってすぐチケット取って一人で行きました。
大学の時のコネクションだったり、NBAに関係しているスタッフがいたりとかして、そういうのもラッキーだったんですけど、そういう人たちにお願いしました。
その時に世界選手権でマッチアップしたジェイ・ウィリアムスが、ブルズでドラフト2位でルーキーシーズンだったので、その試合を見れたり、ロッカーチームで会うことができたりして。
対戦した選手がやってるっていうんで、あの時対戦できたんだからという思いにさせてもらえました。

 
生島>
そこからまた一歩踏み出せた?
 
田臥>
そうですね、あれが本当にきっかけでしたね。
 
生島>
通じるところ、そして壁みたいなものを感じたりされましたか?
 
田臥>
やってて感じたのはNBA選手でも嫌がることがあるんだなっていう、べたべたされたりだとか、本当はここにいるはずがないところに自分がいてスティールしたりとか。あとは転がったルーズボールをしつこく追いかけたりだとか。
大事にしていかなきゃいけない部分だなっていう。その裏をかく事だったりという部分ですね、通じるんだなという部分があったのは。
 
生島>
大変だなというのは?
 
田臥>
もう、それ以外全部大変ですね。笑
それ以外はもうなんだろう、こんなにバスケットが違うんだっていうか、こんな違うバスケットがあるんだって思うくらいでしたね。
なんて言うんですかね、単純にあんなシュートが入る人たち見たことがなかったんですよ、僕。
シューティング一つしているだけで、もう僕は試合以上に集中しないと駄目なくらい。彼らのシューティング練習はそれくらい入るんで、毎日たまげていました。
 
生島>
どうでしょうか、自分が辿ってきた軌跡を振り返ってみて、ご自身のバスケット人生、あるいは選手として自分はクレイジーだという風に思われますか?
 
田臥>
クレイジーでありたいですね。これからもそうでありたいなと思いますし。