今年、日本で野球のウインターリーグが行なわれていたことはご存知だろうか? 12月でも日によっては半袖で過ごせる沖縄で第…
今年、日本で野球のウインターリーグが行なわれていたことはご存知だろうか? 12月でも日によっては半袖で過ごせる沖縄で第1回ジャパン・ウインターリーグ(JWL)が開催(11月24日〜12月25日)され、約70人のアマチュア選手が集結した。選手たちは4チームに分かれ、月曜、金曜以外の毎日2試合、リーグ戦形式で行なわれた。位置づけとしては、日本初の長期型トライアウトだ。
参加費は宿泊費+昼食込みのフル参戦が35万円。半期でも24万円と決して安くない金額設定だ。宿泊は、DeNAの春季キャンプ中の常宿にもなっているラグナガーデン。すぐ隣にはアトムホームスタジアム宜野湾(宜野湾市立球場)があり、野球に集中する環境としては申し分ない。

今年初開催となったジャパンウインターリーグ
【JWLの3つの大きな意義】
そもそもJWLを立ち上げようとしたきっかけは、予期せぬ不運なケガやちょっとしたタイミングのズレなどでチャンスを逃し、思うような活躍ができなかた選手たち真剣勝負の場を提供したいという思いから始まった。
株式会社ジャパンウインターリーグの代表である鷲崎一誠氏は、佐賀西高から慶應大に進むが、4年間出場機会に恵まれず忸怩(じくじ)たる思いがあった。そして4年時に思いきって渡米してカルフォルニアリーグのトライアウトに参加し、そこで完全燃焼することができた。
この時の感覚が、のちにビジネスにつながるはずだと胸に秘め、大学卒業後、一度はアパレルメーカーに就職するも、満を持して起業して現在に至っている。
「このウインターリーグには3つの大きな意義があります。まず出場機会の提供です。選手は長期のトライアウトによって実力を存分に発揮でき、スカウト側も本来の実力と人間性がわかり、マッチングの整合性が深まります。
そしてリモートスカウティングの実行。選手評価の定量化(スタッツ、トラッキングシステムの数値データ、解析)を図ることで、直接選手を見られなくてもリモートでスカウティングできる新しいトライアウトの型をつくり上げることができます。
最後に多様な進路。MLB、NPB、国内外独立リーグ、社会人野球など、それぞれでスカウティングやトライアウトしていたものを集約化することで参加者の進路が広がる。とにかく、世界に向けて第三のコミュニティーを定着化させたいんです」
鷲崎代表の熱い思いに応えるように、社会人からはトヨタ自動車、Honda、東京ガス、パナソニックと名門チームからの参加が相次ぎ、開始前に懸念されていた募集人員も70名と、初年度にしてはまずまずの成果を収めた。
ほかにも外国人選手が7人参加しており、そのうち4人はベース内に居を構えている。残りの3人はウガンダ出身が2人、キュラソー出身が1人。沖縄ならではといった感じか。
【プロ注目の選手たちも参加】
GMには、沖縄水産高のエースとして1990、91年夏の甲子園で準優勝し、九州共立大からドラフト5位で巨人に入団した沖縄のレジェンド・大野倫氏が就任。
「リーグが開催されている1カ月間、選手が安心・安全にプレーしやすい環境を構築することが私の役割であり、選手の活動をくまなくチェックしています。試合自体は、ゲームコーディネーター(各チームの監督に相当)が担当しています。とにかく行き場を失いかけていた選手たちの救済というか、きちんと実戦の場を提供してあげることこそ、ウインターリーグの大義名分であると考えています。
トップクラスの社会人の選手がベンチにいるだけで雰囲気が変わります。たとえば、トヨタ自動車の選手たちは絶対にネガティブなことは言わず、すべてポジティブ。この姿勢を肌感覚で感じるだけでも、参加している選手は勉強になるはずです」
春季キャンプで中日の二軍がホームグラウンドとしているオキハム読谷平和の森球場での試合を観戦したが、選手たちの熱気がひしひしと伝わってくる。プロ注目の選手たちもこぞって参加し、沖縄の地で何かを学ぼうと必死にプレーしていた。
広陵高から早稲田大に進学した身長2メートルのサウスポー・今西拓弥(Honda)は、開幕戦でコーナーを丹念に突く小気味のいいピッチングを披露。格の違いを見せつけた。
昨年秋のリーグ戦で戦後15人目の三冠王を獲得し、早稲田大からトヨタ自動車に進んだ今井脩斗も参加。昨年春に右ヒジの故障もあって大学で野球を終える予定だったが、ラストシーズンの大活躍により社会人の名門からオファーが舞い込んだ。
大阪桐蔭時代に徳山壮磨(現・DeNA)とバッテリーを組み、早稲田大からHondaに進んだ岩本久重の姿もあった。
「基本、Hondaの1年目の新人が、実戦の場を積むために暖かい沖縄の地で、日々研鑽してプレーしています。誰が見ているかわからないので、毎日意識してやるしかないなと。4人部屋で、16歳のウガンダ人のムサと一緒ですが、野球観の異なる人たちとプライベートからコミュニケーションをとったりして、何かを吸収するのもウインターリーグのよさかなと思っています」(岩本)
【広岡達朗もJWLに好意的】
必ずしも順風満帆で野球をやってきた選手ばかりではない。新里和寿は、沖縄水産高時代はベンチ入りギリギリの選手として3年間過ごしてきた。高校時代から持っているポテンシャルの高さは誰もが認めるところだったが、メンタル面の弱さから実力を発揮できずにいた。
「高校で野球をやめようと思ったのですが、監督が硬式野球部のある沖データコンピュータ教育学院に推薦してくれて行ったのですが、ちょうどコロナが蔓延して野球をすることもままならなくなって、沖縄に戻ってきたんです。
そんな時に『てるクリニック』というクラブチームから誘いがありました。そして今回、ウインターリーグの話を聞きつけ、迷わず参加を決めました。野球を二度もやめようとしましたが、周りの方々から救いの手を差し伸べていただき、今回もこういう形で参加できることに強い縁を感じています」
新里はちょうど観戦していた試合で、リストの効いたバッティングでレフトへ楽々オーバーフェンスの打球を放った。パンチ力のある打棒はひときわ目立ち、すでに独立リーグから声がかかっているという。決してエリート街道を歩んできたわけではない新里は、このウインターリーグに参加したことで希望の光を見出すことができた。
いったんレールから外れたからといって、すぐにあきらめるのではなく、どんな道があるのかを模索し、少しでもチャンスがあれば勇気を持ってチャレンジすることの大切さを新里は感じたはずだ。
ちなみに、球界のご意見番である広岡達朗氏にウインターリーグについて尋ねてみると、こんな意見が返ってきた。
「そもそもプロ野球選手が12月、1月がオフだという考えが気に食わない。だからぶくぶくと太るのだ。1年中、野球をやってこそプロフェッショナル。メジャーを見てみろ、みんなウインターリーグに参加して、1年中プレーしている。日本にもやっとそういうのができたみたいだが、遅すぎる」
さらにこう続ける。
「大学の指導者に聞いてみると、野球を続けたい選手に対して独立リーグを勧めることはないというじゃないか。プロか社会人、それ以外は野球をやめて企業に就職するのが一般的になっている。もっと選手たちの気持ちを尊重することが教育ではないのか」
プロ、社会人からの誘いを待っているのではなく、自らが行動して夢をつかみとるくらいの気概がないと、上のレベルでは到底通用しない。
日本球界に一石を投じるが如く始まったJWL。来年以降、プロ選手の参加はあるのか。大いに注目すべきコンテンツであるのは間違いない。