サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、PKか否か、境界は脇の下の最も奥の位置?
■W杯予選で起きた問題
2010年ワールドカップ南アフリカ大会欧州予選のプレーオフ。フランスはアイルランドと対戦、2009年11月14日の初戦はアイルランドのダブリンで行われ、フランスがFWニコラ・アネルカのゴールで1-0の勝利を収めた。だが4日後、パリのサンドニでの第2戦では、アイルランドのFWロビー・キーンの1点で90分が終了。延長戦が行われることになる。
「事件」が起こったのはその前半13分のことだった。中盤からの長いFK。長身のアイルランドDFがクリアするかと思われたが、思いがけず誰にも触れず、ワンバウンドして左ポスト際に走り込んだアンリに渡る。アンリがコントロールして右足アウトサイドで中央に送ると、ライナーのボールはそこにいたフランスDFウィリアン・ギャラスの頭にぴたりと合った。このゴールで1-1となって延長戦も終了、2試合合計2-1でフランスのワールドカップ出場が決まった。
だがこのとき、ボールは腰の高さでヒジから下を広げたアンリの左手に当たっていた。当たるまでは偶発的だったかもしれない。しかしその瞬間、アンリは明らかに意図的に(あるいは反射的に)手を動かし、自分の前にボールを落とした。そして決定的なアシストをしたのである。
■アイルランドの猛抗議
当然、アイルランドは猛抗議をした。しかしスウェーデン人のマルティン・ハンソン主審は出来事が見える角度にはおらず、見えるとしたら第2副審のフレドリック・ニルソンだったが、アイルランドGKやDFたち、そして得点したギャラスの陰になり、彼もはっきりと見ることはできなかったようだった。
試合後、アンリは自分の手に当たったことを認めたが、偶発的なもので、自分はレフェリーではないから当然プレーを続けたと語った。だがこのゴールによってフランスとアイルランドの明暗が大きく分かれたことを考え、再試合が適当だとも話した。
アイルランド協会も再試合を要求した。しかしワールドカップの組分け抽選会は16日後に迫っており、次の国際試合日は翌年の3月までなかった。再試合が不可能であることは、誰の目にも明らかだった。そこで次にアイルランド協会が求めたのは、「33番目のチームとしてのワールドカップ参加」だった。だがもちろんこれも現実的ではなかった。結局アイルランド協会は、「主審の決定は最終的」というサッカーの根本的な考え方を受け入れるしかなかった。
■被害者になった審判
「被害者」は「ワールドカップ出場を盗まれた」アイルランド協会にとどまらなかった。アンリは殺害予告を受け、フランス代表も大会前の準備合宿中にチーム内に不和が起き、南アフリカの舞台では1分け2敗というさんざんな成績で早ばやと敗退した。
主審のハンソンは欧州でも評価の高いレフェリーで、2010年ワールドカップの主審の任命を受け、第1副審のステファン・ビットベリもいっしょに任命されたが、「アンリのハンドを見落とした」第2副審のニルソンは選ばれず、代わってヘンリク・アンデルソンが「チーム・ハンソン」の一員となった。そしてこのチームは南アフリカではいちどもピッチに立つことなく、グループステージの5試合で「第4審判」と「第5審判」を務めただけで帰国したのである。
今日のビデオ・アシスタントレフェリー(VAR)があれば、マラドーナの「神の手」もアンリのハンドも絶対に見逃されることはなかっただろう。その意味では、VARはサッカーに正義をもたらす「夢のシステム」ということができる。だが今度は、「見えすぎる」ことが大きな混乱をもたらしているように思えてならないのである。