樋口久子 三菱電機レディス最終日 女子ゴルフの国内ツアー・樋口久子 三菱電機レディス最終日が30日に埼玉・武蔵丘GC(6650ヤード、パー72)で行われた。2位に3打差の首位で出た33歳・金田久美子(スタンレー電気)が4バーディー、4ボギー…

樋口久子 三菱電機レディス最終日

 女子ゴルフの国内ツアー・樋口久子 三菱電機レディス最終日が30日に埼玉・武蔵丘GC(6650ヤード、パー72)で行われた。2位に3打差の首位で出た33歳・金田久美子(スタンレー電気)が4バーディー、4ボギーの72で回り、通算9アンダーで逃げ切りV。2011月5月のフジサンケイレディス以来11年189日ぶり、1988年のツアー施行後の最長ブランク優勝で、待望の通算2勝目を飾った。会見では、深刻なスランプに陥り、ゴルフ場を見ただけで涙を流し、嘔吐していたことなどを明かした。2位は通算7アンダーの川崎春花。5か月ぶりに国内参戦した渋野日向子(サントリー)は、通算3アンダーで9位だった。(取材・文=THE ANSWER編集部・柳田 通斉)

 笑いと涙の優勝会見だった。白のチャンピオンブレザーを着て姿を見せた金田は、席に座る前に「イエーイ」。そのまま笑顔で18ホールを振り返った。

「今日は全体的に落ち着いてプレーできました。長い1日でしたけど、あっという間にも感じました。それだけ集中できていたのだと思います」

 苦しみながらも、要所で好ショット、パットを見せた。7番パー4では、グリーン手前から「苦手になったバンカーショット」でパーを拾った。

「ここ何年もバンカーショットが苦手でトップしたりしていました。でも、練習してきたことがここ一番で出てうれしかったです」

 15番パー3をボギーにすると、川崎に1打差に迫られた。だが、慌てずに目の前の一打に集中し、17番パー4ではピンまで残り160ヤードから、7アイアンでのハーフショットでピン下1メートルにつけた。川崎に「トドメの一打でした」と言わしめたショットを生かして、バーディー。2打差で迎えた最終18番パー5はパーで終え、グリーン場で歓喜の涙を流した。そして、手にした11年189日ぶりの2勝目。「長かったですか」の問いには「むっちゃ、長かったです」と即答した。

「いろんな苦労、辛いことあったので、すごく重い優勝になりました。『やっと勝てた』。今回の方がうれしいです」

 最も辛かったのは「5、6年前」。プロのキャリアをあきらめることも考える程のスランプに陥った時だったという。

「ドライバーはキャリー140ヤードのチーピン(左に引っ掛けるミスショット)しか出ず、アイアンはフェアウェーからもグリーンに乗せられず、50センチのパットも入りませんでした。『こんな恥ずかしいゴルフなら、やってもしょうがない』と思いましたし、ゴルフ場を見ると涙が出てきました。体も反応して、じんましんが出て、吐いたりもしました」

SNSでバッシングを受けた時代も「凄く辛かった」

 その最中、SNSに食事やファッションの画像を掲載すると、「こんなことをしているから勝てない」「もっと、練習しろ」などとバッシングにもあった。「天才少女」と言われた中学時代は「練習嫌い」だったが、プロの厳しさを知ってからは、ひたすら練習をしてきた。それを知らない人たちから、心ない言葉の数々を受けていた。それを思い出すと、目から涙があふれた。

「私の場合、その数がすごく多いので辛かったです。メンタルの調子がいい時は大丈夫なんですけど、ダメな時はかなりきました」

 立ち直るには時間がかかったが、11年間帯同してくれているマネジャー、熱心なファンに支えられてきたという。

「私よりも私のことを信じてくれました。1年前に亡くなられたスタンレー電気の北野(隆典)社長にも、ずっと支えられてきました」

 そして、本人も「もう1度優勝」を目標にあきらめず、クラブを握り続けた。

「SNSで『練習しないからだ』と言ってきた人たちに、『勝って、いつか証明したい』と思っていました。辛い時は『こんなの自分の描いたプロ人生じゃない』と思っていましたが。悔しかったですし、あきらめなくて良かったです」

 天国に北野社長のもとには、「ちゃんと優勝の報告に行きます」と宣言した。そして、「3勝目に向けて、また頑張りたいです」。かつては「25歳で引退」と口にしたこともあったが、「まだ、やるでしょうね。納得できるまでやりたい。これでより一層できますし」と言った。

 2017年を最後にシード権を失い、シーズンを終えるとツアー予選会(QT)に回っていた。しかし、この1勝で来季はそれをせずにツアーに出場できる。

「何より、そこがうれしいです。これからも常に上位で戦える選手でいたいです」

 独特なファッションとメイクで「ギャルファー」の通称がつき、この日も背中に大きなドクロのデザインが施されたウェアを着ていたが、金田は「これからも、それは年相応に続けていきますよ。引退するまで」と言った。強さを取り戻した33歳。その存在感はさらに大きくなっていく。(THE ANSWER編集部・柳田 通斉 / Michinari Yanagida)