■05年のブラジル戦で全得点に絡む 10月23日14時、J2リーグ最終節、ロアッソ熊本対横浜FCの試合がキックオフされる…
■05年のブラジル戦で全得点に絡む
10月23日14時、J2リーグ最終節、ロアッソ熊本対横浜FCの試合がキックオフされる。日本サッカー界のレジェンドはそこで――。
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2022年シーズン限りでの現役引退を発表した中村俊輔は、日本サッカー界に力強い足跡を残した。日本代表でプレーした98試合のなかから、選りすぐりの8試合を振り返る企画。(#1~4のうち3)
■「GKに自分の助走を見せないようにした。壁を越えれば入るなと思った」
【#1、2】では日本代表で初めて直接FKを決めた2000年のスロバキア戦、同年のアジアカップからサウジアラビア戦、03年のフランス戦、04年のアジアカップからオマーン戦をピックアップした。【#3】の1試合目は05年6月のコンフェデレーションズカップ、対ブラジル戦だ。
ドイツW杯出場を世界最速で決めたジーコ率いる日本代表は、直後のコンフェデレーションズカップに出場した。グループステージ初戦のメキシコ戦は1対2で落としたが、04年ユーロ覇者のギリシャとの第2戦は1対0で勝利した。中村のズバッと音がするようなスルーパスを、ジョーカーの大黒将志が決めきった。
そして迎えたのが、ブラジルとの第3戦だった。両チームともに1勝1敗で、勝ったほうが準決勝に進出できる。ブラジルはベストメンバーを揃えてきた。
この試合の中村は、チームの全得点に絡んだ。まずは0対1で迎えた27分、素早いリスタートから25メートルの左足ミドルを突きした。「パスを受ける前にゴールを見ていたし、シュートのイメージはできていた」と話したとおりに、無回転の左足弾が相手GKマルコスの守るゴールを破った。
1点ビハインドで迎えた88分には、直接FKの好機を得る。ブラジルは6人の選手が壁を作ったが、ゴールのイメージはできていた。
「GKに自分の助走を見せないようにした。壁を越えれば入るなと思った」
得意の左足から放たれたシュートは、壁を越えて右ポストを叩く。しかし、はね返ったボールを大黒がプッシュしたのだった。
ブラジルと引分けたのはこれが2度目だが、01年のコンフェデレーションズカップでの引分けは、相手が主力選手を欠いていた。レギュラークラスを並べるサッカー王国を本気にさせた中村は、この試合のMVPに選出されている。
■華麗なボールタッチでドイツを翻弄した
中村にとって自信初となる06年のドイツW杯は、彼にとってもチームにとっても苦いものとなった。大会直前に行なわれた開催国ドイツとのテストマッチが素晴らしかっただけに、落差の激しさが失望につながったのかもしれない。
5月30日に行なわれたそのドイツ戦は、後半に激しく試合が動く。日本が動かした。
57分の先制点は、中村が起点となった。相手のCKを跳ね返した日本がカウンターへ持ち込み、中村が自陣左サイドでパスを受ける。フリングスとシュバインシュタイガーをかわした中村は、柳沢敦へつなぐ。柳沢がワンタッチで高原直泰へつなぐと、フリーで持ち込んだ高原がゴールネットを揺らす。ドイツの選手を翻弄した背番号10の冷静なボールさばきが、先制点への流れを作った。
65分にも高原が決め、日本は2対0とする。しかし、76分と80分に失点し、2対2に持ち込まれてしまった。
勝利を逃しただけに、試合後の中村に笑顔はなかった。それでも、「我慢する時間はしっかり守って、できるだけ少ないタッチでゴールへ向かっていくイメージはあった。1点目はそのとおりだったと思う」と、試合後に話している。この日のようなプレーができていれば、日本のドイツW杯はまったく違う結果となっていたに違いない。