サッカー取材に移動はつきものだ。蹴球放浪家・後藤健生は現在、茨城と愛知の試合会場を往復している。大変そうに思えるが、上…

 サッカー取材に移動はつきものだ。蹴球放浪家・後藤健生は現在、茨城と愛知の試合会場を往復している。大変そうに思えるが、上には上があるもの。2008年の2国間の往復に比べれば…。

■茨城と愛知の間を往復

「EAFF E-1選手権」が開かれています。

 かつては「東アジア選手権」、「EAFF東アジアカップ」などとも呼ばれていましたが、2017年の第7回大会から「E-1選手権」という名称になりました。

 不思議な名前の大会です。

 僕は、初めてこの大会名を聞いたとき、「いずれは2部に当たる『E-2選手権』もはじまるのかなぁ? グアムあたりで『E-2』が開かれたら行ってみたいなぁ」と思っていたのですが、どうやらそうでもないみたいです。

 さて、今年の第9回大会は中国で開催される予定だったのですが、新型コロナウイルスの感染が再拡大し、中国政府が「ゼロコロナ」政策の変更を拒み続けたため中国開催が不可能となって、急遽、日本で開かれることになりました。

 日本開催になったので海外渡航の必要がなくなり、「旅費もかからずに助かった」と思っていたのですが、開催地が茨城県の鹿嶋市と愛知県の豊田市にきまったので移動がやっかいな大会となりました。それも、「鹿嶋-豊田-豊田-鹿嶋……」という順序で試合があるのなら、その間は豊田近辺に滞在してもいいのですが、両会場交互に試合があるので、いちいち移動しなければなりません。

「女子の試合は見なくてもいい」のなら楽ですが、この大会は実力差が大きい男子の試合よりも力の拮抗した女子の試合の方が見どころがあるくらいですから、やはり女子の試合も見たいのです。

■茨城からの効率的な動き方

 さて、初日(7月19日)には男女の日本代表の試合が鹿嶋(カシマサッカースタジアム)でありました。夜中に東京まで帰ってくるのは大変なので、その晩は列車で成田まで移動して1泊しました(成田は安いホテルがたくさんあります)。そして、翌20日は成田山新勝寺を見物してから名物の鰻を食べて、それから浦安まで移動して関東大学選手権(アミノバイタルカップ=総理大臣杯の関東予選)準決勝を観戦。その後、国立競技場でパリ・サンジェルマン川崎フロンターレの試合を見て帰宅という非常に効率的な移動となりました。

 成田山はもちろん前にも行ったことがありますが、今回は成田駅から「電車道」という道路を歩いてみました。

 昔、成田駅と成田山および佐倉市の宗吾霊廟の間を参拝客用の電車(通称「成宗電車」)が走っていたのですが、その廃線跡です。

 成田駅から新勝寺の方向に向かうと築堤になっていて、その先に2本の古い小さな赤煉瓦のトンネルが現われて、そのカーブの具合とともにそこが廃線跡であることがはっきりと分かります。トンネルは「土木学会選奨土木遺産」に登録されています。

 ちなみに、1944年、つまり第二次世界大戦の末期にこの鉄道は「不要不急」だとして廃線になってしまいました。

■いざ、豊田へ

 というわけで、今週末と来週の火曜・水曜は鹿嶋と豊田の2往復が始まります。

「高速バスで豊田に向かって夜行バスで帰宅する」というスケジュールを2回繰り返すのは結構面倒くさいのですが、まあ、ワールドカップの時にはそんな生活が1か月も続くわけですから、2往復くらい何ということもありません(豊田スタジアムまでの行き方については「蹴球放浪記」第56回「江戸時代の“旅”をしのんで」を参照)。

 それに、僕にはさらに長距離の往復を繰り返した体験もあるのですから……。

 それは、2008年のEURO(欧州選手権)の時のことでした。この大会は、オーストリアとスイスの共同開催で、両国それぞれ4都市の4会場を使って開催されました。グループリーグの間は毎日の移動を考えて、なるべく近距離の移動ですむように日程を組んだのですが、恐怖のバーゼル・ウィーン間の3往復が始まったのは準々決勝に入ってからでした。

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