今から考えれば、あれは前兆だったのかもしれない。 2019年1月4日、一つのリリースが杜の都を震撼させた。奥埜博亮のC…

 今から考えれば、あれは前兆だったのかもしれない。

 2019年1月4日、一つのリリースが杜の都を震撼させた。奥埜博亮のC大阪への移籍が発表されたのだ。奥埜は、仙台ユース出身で”黄金の背番号7”を背負う男だ。その仙台離脱が、仙台サポに与えた衝撃の大きさはすさまじかった。

 奥埜とタイミングを前後して、主軸が次々と抜けていった。野津田岳人板倉滉中野嘉大矢島慎也と実力者が次々とチームを去った。活躍した選手が引き抜かれるのが常とはいえ、そしてレンタル選手が多かったとはいえ、この年の選手流出はあまりに過酷だった。レンタル選手頼みだった時代を鑑み、完全補強で選手を獲得する時期もクラブの歴史にはあったが、まさにその反省を地で行くようなオフだった。だからこそ、下部組織出身の奥埜の移籍は衝撃だった。逆に言えば、予算や環境面で劣る仙台が、「下部組織」や「地元出身」という言葉に甘えていたことの表れでもあった。

 結局この年、監督だった渡辺晋は戦い方を変えざるを得なかった。2018年に天皇杯で決勝まで進んだサッカーを一度捨てた。理想のサッカーができる選手がいなくなり、一からクラブを作る必要があったからだ。

 実際、システムも変更した。渡辺は3バックで5レーンを用いてボールを握るチームに仙台を変えていたのだが、それを4バックに戻し、守備に比重を置くサッカーに変えた。

■理想的に見えた新指揮官の招聘

「時計の針を戻してしまった」

 このシーズン終盤、渡辺は唇をかんだが、残留にこだわったからこその意地の踏ん張りだった。ただ、これで周囲は勘違いしてしまった。
――仙台はもっと上に行けるのに
――いくら引き抜かれても仙台は残れる

 その立役者だった渡辺との契約を、ベガルタはその年末に満了させた。関係者によれば、「本人はまだ続くと思っていて、来季の構想も考えていた」という中での退任劇だ。それまでに仙台が有望な選手を集めることができたのは、渡辺が進める“サッカーのスタイル”があったからで、そういう意味で補強のしやすさもあったのだが、その流れも途絶えさせたことになる。

 そして新たに、木山監督を招聘する。奥羽山脈を越えての新監督就任は、形だけ見れば理想的だ。同じ東北だから地元の温度感、それに環境面で溶け込みやすい。さらに、J2で沈んでいた山形を昇格争いに絡ませるなど、充実しているわけではない戦力を引き出すことができる。それの最たる例が、就任直前に行われた天皇杯・準決勝だ。奇しくもみちのくダービーとなったこの試合で、木山モンテディオは格上である仙台をピッチで圧倒した。スコアこそ仙台が上回ったものの、文字通りの惜敗だった。

 木山がそれをできたのは、J2を熟知していたこともあったし、木山サッカーに適した人材がいたからだ。ただ、この時の仙台は一般的に考える戦力としては充実していたものの、木山サッカーという点で見ればそれを満たしていたとはいえない。J1初挑戦という新任者に、そこで柔軟性を求めるのは厳しい環境だった。

■「あの時の仙台は本当に楽しかった」

 予算規模でJ1最低クラスのチームが効率よく補強を進めるうえで、渡辺が目指した“スタイルの確立”は不可欠だった。どういう選手を補強するかというフロントの仕事のしやすさはもちろん、オファーを受けた選手自身のイメージのしやすさにもつながる。4年連続で監督が交代したチーム、毎年戦い方が変わるチームでは、選手もなかなか集まらない。

 渡辺仙台で主力として活躍したある選手は、「あの時の仙台は本当に楽しかった」と目を細めた。しかし、その後の仙台について口を開いてはくれなかった。

 J2でどのような戦い方をしたいのか、そして、J1に上がったときにどのようにふるまいたいのか。仙台は、岐路に立たされている。

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