狩野舞子インタビュー 前編 東京五輪を戦った女子バレー日本代表のなかで、ケガから復帰してプレーした古賀紗理那のプレーに感動を覚えたファンも多いだろう。しかし元日本代表の狩野舞子は、それを「美談にしてはいけない」と話す。 現役時代の狩野は度重…
狩野舞子インタビュー 前編
東京五輪を戦った女子バレー日本代表のなかで、ケガから復帰してプレーした古賀紗理那のプレーに感動を覚えたファンも多いだろう。しかし元日本代表の狩野舞子は、それを「美談にしてはいけない」と話す。
現役時代の狩野は度重なる大ケガを負いながら長くプレーを続けた。その間に感じたケガをした時に大事なこと、プレーするかどうかの判断時に考えるべきことなどについて聞いた。
女子バレー元日本代表の狩野舞子 photo by Murakami Shogo
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――もう2カ月以上前のことになりますが、あらためて東京五輪の女子バレーの戦いはいかがでしたか?
「少し"もったいない"試合が多かったように感じます。ミスで点をとりきれず、選手たちはもちろん、見ている側も歯がゆい思いをするような試合展開が多かったですね。大会直前のネーションズリーグでメンバーを固めていた分、初戦で古賀選手が右足首をケガして離脱してしまうという不測の事態に対応できなかったように思います」
――スタメンを固定させすぎた、ということでしょうか。
「大きな大会に臨む前には、何カ月か前からなんとなくスタメンが決まっていくものです。しかし今回は、選手それぞれの役割が最後まで見えませんでした。スタメンではない選手も、その前の大会の起用法で『試合の終盤から出て流れを変える』といった役割を認識できていると、チームが一丸となれるのですが......12人のメンバーをフルに使えていなかった印象がありますね」
――古賀選手の復帰後のプレーはいかがでしたか?
「古賀選手もインタビューで『絶対にまた出ると思っていた』と話していましたが、2016年のリオ五輪メンバーに残れず、東京五輪にかける思いは強かったはず。『何があっても出る』という思いがあって、監督ともしっかり話をした上で、あの復帰になったと思うのです。
大会中にケガをして、いったん落ちたモチベーションを上げて戻るのはすごく大変だったと思いますし、プレーの感覚を取り戻すのも難しかったと思います。しかし復帰した韓国戦、ドミニカ共和国戦は、『絶対にやるんだ』という強い気持ちが古賀選手を支えていたように見えました。周囲の選手を鼓舞しながら、自分の気持ちも高めていく。プレーを評価する際に、『気持ち』や『気迫』といった言葉を軽々しく使いたくないのですが、あの2試合は目にとても力が宿っているように見えました」
――狩野さん自身も現役時代はケガが多かったですが、今回の古賀選手の復帰をどんな気持ちで見ていましたか?
「私も、無理をすれば五輪の舞台でプレーできる状態なら、出場することを選んだと思います。ただ、ケガを押して最後の2戦に出たことを、美談にしてはいけないと感じています。あれは『特例』だったと思うのです。古賀選手が東京五輪に対する強い思いがあり、自分で『出ます』という判断をしたからであって、今後同じようなことが起きた時に『古賀選手はケガしても復帰できたんだから』と選手を追い詰めるようなことがあってはいけないと思っています」
現役時代、多くのケガに苦しんだ狩野 photo by Sakamoto Kiyoshi
――狩野さんは選手時代、日本代表に選出されるようになった中学生の時から左足の腓骨骨折、椎間板ヘルニア、右膝の半月板損傷、両足のアキレス腱断裂など、多くのケガに苦しんできました。そういった時に、気持ちをどのようにコントロールしていましたか?
「気持ちのコントロールは、ケガを重ねるうちに学びました。中学の時はオーバーワークで腓骨がらせん状に折れたんですが、ちょっと状態がよくなると『もうプレーできる。やります』と監督にも言っていました。自分がチームメイトに置いていかれている、という焦りもありましたから。
Vリーグでプレーするようになってからもケガが続きましたが、だんだん"よくなってきた時期"の大事さがわかってくるんです。そこで耐えることが、いい状態で長くプレーするために重要なことを、トレーナーの方などから何度も注意を受けて理解することができました。だからこそ、ロンドン五輪にも出場できたんだと思っています」
――久光製薬(現久光)スプリングス入団1年目、2008年2月の右足のアキレス腱断裂を覚えているファンも多いと思います。その後、プレーにどんな影響がありましたか?
「手術後すぐは、足首の可動域が狭まったことに大きなショックを受けました。たとえば体操の『アキレス腱伸ばし』の時に、まったく足首が曲がらなくなっていて。その時は『本当にまたプレーができるのかな』ととても焦りましたが、リハビリを重ねていくうちに徐々に可動域は広がっていきました。
それでも『元と同じようになる』ことは無理です。大きなケガをしたあとは、"新しい自分"としてどうプレーしていくかを考えたほうがいいと思います。そうじゃないと、『前にできていたプレーができなくなった』と落ち込んでしまう。私も、新しいことに取り組んでみることにシフトしていきました」
――しかし、復帰後すぐに右膝の半月板を損傷。それも治った2010年1月には左足のアキレス腱も切ってしまいます。その時に"心が折れる"ことはなかったのでしょうか。
「右足のアキレス腱を断裂した時はリハビリが大変で、1年くらいプレーの感覚が戻らず、『反対も切ったら引退かな』と思っていました。それで、ロンドン五輪まであと2年というところで左足のアキレス腱を切った瞬間はさすがに『まずい』と思いました。
でも、すぐに『右足のほうを切った時も復帰できたし、今回だって大丈夫じゃないか』と思うようになり、『このままじゃやめられない、意地でも復帰してやる』という気持ちのほうが強くなっていきました。当時、久光を指揮していた眞鍋政義監督(元女子バレー日本代表監督)には、『2年前でよかったな』と言っていただき、今できることをやろうというマインドにしてもらえました」
――その後、2015年に一度現役を引退しますが、体の状態を万全にしたいといった考えからですか?
「いえ、その時は本当に引退しようと考えていました。2012年からセッターに取り組み、周囲の期待に応えたいのに結果が伴わず......。セッター転向は自分で決めたことですし、『それを投げ出してしまうのはどうなのか』という迷いもありましたが、バレーを嫌いになってやめたくないという気持ちを優先しました。
引退のあとにも試合を見に行ったり、バレーが好きなことは変わりませんでした。その間に『私は中途半端にやめてしまったのかな』という思いが芽生え始めて、運よくPFUブルーキャッツから声をかけていただいたこともあり、『最後は自分のために、またスパイカーとして頑張りたい』と復帰を決めました」
――約1年後に復帰してからのプレーはどうでしたか?
「実際にプレーする前は『私はバレー界に戻っていいのか?』とも思っていました。前に所属していた久光のチームメイトをはじめ、バレー関係者はどう思うんだろうと。不安が多かったです。ただ、実際に復帰してみると、誰も気にしていないように感じました(笑)。
それで2年間プレーした頃に、レシーブの際に頼っていた右膝の状態が限界に近づいてきて。痛み止めの注射も打っていましたが、『限界かな』と。その2年間は楽しく、さまざまな方にまたプレーする姿を見せることができた満足感があったので、現役生活に区切りをつけました」
――先ほど、ケガ後は治りかけで無理をするべきではないという話がありました。狩野さんはVリーグで長く現役を続けることができましたが、部活で競技をやめようと考えている学生のなかには、無理をしてでも試合に出たいと思う人も多いように感じます。そういった学生に相談を受けたら、狩野さんはどう答えますか?
「難しいですね......。私は学生時代、先を考えずに目の前の試合を全力で戦うタイプでした。そうして無理をした分、体がボロボロになってしまい、いまだに高校時代のヘルニアの後遺症で日常生活でも腰が痛くなることもあります。
そういった経験を、全部話してあげたらいいかもしれませんね。そして、その子が選手としてのピークをどこに設定しているかを聞きたいです。高校生だったら、卒業と同時に競技をやめるのか、やめずにプロを目指すかで変わってくる。高校で競技をやめるつもりで、目の前の大会への思い入れが特別に強かったら、少し無理をしてでも出ることは、私個人としてはアリだと思っています。
指導者の方たちにとっても難しい判断でしょう。ケガをした選手に他の選手と別のメニューをさせる、練習を休ませて、いざ試合で起用すると『不公平』と受け取られる場合もある。私も、高校時代はそんな状況で周囲からいろいろ言われることもありました。そうなると、部員側から指導者に自分の状態を言いづらくなります。それで無理をすると、さらに大きなケガにつながるので、自分の体の状態をしっかり見極めるようにしてほしいと思っています」
(後編:バレー界に足りないものと、引退後のキャリア>>)
■狩野舞子(かのう・まいこ)
1988年7月15日生まれ。東京都出身。15歳で全日本代表候補に選ばれ、久光製薬(現・久光)スプリングスに入団後は国際大会にも出場。左右のアキレス腱を断裂するなどケガと戦いながら海外リーグにも挑戦し、2012年ロンドン五輪に出場した。2015年には一度バレーボールから離れるも、2016年、PFUブルーキャッツでスパイカーとして復帰。2018年5月、黒鷲旗大会を最後に現役を引退し、現在は幅広い分野で活動している。