ダルビッシュ、大谷といったビッグスターを輩出してきた日本ハムファイターズ。ドラフト当たり年が多く、チームの顔として育て…

 ダルビッシュ、大谷といったビッグスターを輩出してきた日本ハムファイターズ。ドラフト当たり年が多く、チームの顔として育てたスター選手を快く?移籍させる独自の球団方針にも特徴がある。2000年以降のドラフト史を振り返り、「神ドラフト」「残念ドラフト」それぞれの年を探ってみた。

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神ドラフト=2002年

 

 
1 尾崎匡哉(報徳学園)内野手
3 鎌倉健(川之江)投手
4 武田久(日本通運)投手
5 小谷野栄一(創価大)内野手
6 紺田敏正(国士舘大)外野手
7 池田剛基(鵡川)内野手
8 鶴岡慎也(三菱重工横浜クラブ)捕手

 上位指名の高校生2人を見れば不発に思える年だが、下位指名で大当たりが連発。4巡目の武田久は最多セーブのタイトルを3度獲得。チーム一筋、534試合の登板はすべて中継ぎで、31勝167セーブ107ホールド。170センチの小さな体でブルペンを支え続けた。5巡目の小谷野は勝負強い打撃で10年打点王。ゴールデングラブ賞3度と三塁守備の名手でもあり、攻守でチームの中心選手になった。

 

 なんといってもチーム最下位8巡目指名の鶴岡が正捕手となり、長くチームの屋台骨を支えたことは、うれしい誤算だった。まさに「残り物に福あり」。移籍もあったが、3人がフル回転した2000年代に5度優勝とチーム黄金期を築いた。6巡目の紺田も通算338試合に出場し、渋い働きが光った。

 日本ハムはドラフト当たり年が多いが、陽仲寿(陽岱鋼に改名)、武田勝、八木智哉、川島慶三と複数選手が活躍した2005年も甲乙つけがたい成功年だった。

残念ドラフト=2001年

 

 

自由枠 江尻慎太郎(早大)
2 山口弘佑(リースキン広島)投手
4 佐藤吉宏(鳥栖)外野手
5 野中信吾(神埼)内野手
6 富樫和大(川崎製鉄千葉)投手
7 山田憲(東海大浦安)内野手
8 村西辰彦(愛知学院大)外野手

 自由枠の江尻が在籍9年で24勝したが、横浜移籍後にリリーフとしてフル回転した印象のほうが強い。5巡目の野中は移籍後の横浜やオリックスで俊足を生かし、通算312試合で47盗塁。日本ハムには2年目オフに横山道哉と交換トレードで放出されたため、早々と見切りをつけられた形だった。

 4巡目の佐藤は7年目にプロ初打席初本塁打を記録した苦労人。通算4安打のうち3本が本塁打とパワーを見せたが、確実性に泣いた。それほど外れ年でもないが、結果的に日本ハムでの活躍度が低い01年ドラフトだった。

まとめ

 違う角度からみれば、「神ドラフト年」は大谷翔平を強行指名して入団にこぎつけた2012年だろう。ドラフト会議4日前に記者会見でメジャー挑戦を表明した大谷に対し、各球団が指名回避するなか、日本ハムのみ1位指名を強行。栗山監督の説得もあって入団し、投打「二刀流」を実現した。日米で歴史に残る活躍を見せており、大谷ひとりで「神ドラフト」に値する。

 日本ハムのドラフト戦略は「その年の1番力がある選手を1位指名する」というスタンス。2011年には巨人一筋を表明していた菅野智之を強行指名したが、入団拒否された。大谷のような成功例ばかりではないが、一貫した球団方針にはブレがない。

 育成にも定評があり、糸井、ダルビッシュといったスター選手を育てては、他球団へ送り出してきた。主力流出をいとわず、新陳代謝がうまく機能する独自システムは他球団の脅威だったが、近年は若手の伸び悩みが課題。スター選手が抜ける一方で、穴埋めできずにチームは低迷している。21年は暴行トラブルで主砲中田もチームを去り、さらに戦力が低下。ドラフトで7球団が競合した清宮をはじめ、新戦力の台頭がチーム再建のカギになる。

 

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

 

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