サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「大会のシン…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「大会のシンボル」。ワールドカップのポスターについて、サッカージャーナリスト大住良之がひも解く。

 1978年アルゼンチン大会では、「ベンレイ・ドット」というカラー印刷の手法を思わせるイラストが使われている。得点を取って両手を上げているのは、レオポルド・ルーケ、抱きついている背番号8はオスバルド・アルディレスに見える。ふたりとも当時のアルゼンチン代表の中心選手である。このポスターも、1970年メキシコ大会と同様、「ARGENTINA 78」という文字だけが大きく目立つようになっている。

 そして1970年代に顕著になった「アート風ポスター」の極致が1982年スペイン大会である。パブロ・ピカソ、サルバドール・ダリなどとともに20世紀のスペインを代表する画家であるジョアン・ミロが書き下ろしたもので、白地に赤と黄色を中心とした見事な芸術作品になっている。この制作にあたったとき、ミロは88歳だった。大した気力である。翌年末、90歳で亡くなった。このポスターなら、おしゃれなカフェに飾るにも十分で、現在も高値で取引されている。

 この大会はスペイン全土の14都市、計17スタジアムが会場となったが、初めて開催都市ごとのポスターもつくられ、工夫が凝らされたものがそろった。この形は、以後の大会でも続けられていく。

■スペインに負けなかったメキシコとイタリアの芸術性

 ミロのポスターの後を受けた1986年メキシコ大会はハードルが高い。しかもこの大会は本来コロンビアで開催されることになっていたのだが1983年に経済事情の悪化で返上、代わってメキシコで行われることになったため準備期間も3年しかなく、さらに大会まで1年を切った1985年の9月にはマグニチュード8.0という大地震に襲われた。だがそうしたなか完成したポスターは見事なものだった。

 ワールドカップのポスターでは史上初めて写真をメインとし、アステカ文明の遺跡をバックにサッカーボールなどを配した芸術生の高い連作としたのだ。起用されたのは、アメリカ人の女性写真家アニー・リーボヴィッツ。ローリング・ストーンズのツアー写真やジョン・レノンとオノ・ヨーコの写真、女優デミ・ムーアの妊婦姿の写真など、歴史に残る作品を次々と発表している人である。

 1990年イタリア大会のポスターは、この大会の隠れたコンセプトでもあった「歴史との融合」が見事に表されている。1900年間以上ローマの中心部に立ち続けるコロッセオを現代のサッカー場に見立てたのだ。これもモノクロの写真が使われている。かつて奴隷の剣闘士が命を賭して戦ったフィールド面は、いまや万国旗に彩られたサッカーのピッチになっている。だがもしかしたら、年間何億円もかせぐ現代のサッカー選手たちも、ローマ帝国時代の剣闘士と似たようなものと言いたかったのだろうか。

■いまいちだった日韓大会

 1994年アメリカ大会のポスターは、カラフルなイラストに戻った。アメリカの部分に星条旗をあしらった地球をバックに、オーバーヘッドキックをする選手。アメリカ人はオーバーヘッドキックが大好きだ。

 1998年フランス大会のポスターは、一般公募から選ばれたカラフルなイラストが使われた。会場となった都市のひとつであるモンペリエ市に在住する当時26歳の女性画学生ナタリー・ルガルの作品である。技法としては、かなり複雑なものが使われたが、彼女は、「要するに、ワールドカップはパーティーよ」と言いたかったのだそうだ。

 そしてワールドカップ史上初めての「共同開催」となった2002年の日本/韓国大会。公式ポスターも日韓合作となった。両国の気鋭の書家・カリグラファーである平野荘弦とビョン・チュスクが筆をとって基本のピッチ図を描いたが、最終的にポスターのデザインをしたのは、FIFAと契約した英国のデザイン会社インターブランド社。この会社は大会の公式ロゴとマスコットのデザインも担当したが、いまでは誰も覚えていないマスコットとともに、大会ロゴや、この上品過ぎる仕上がりのポスターがあまり日韓両国のファンに親しまれなかったのは、こうした制作形式に原因があったのかもしれない。

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