プロ野球はコロナ禍のなか、前半戦が終了した。いまだ収束の糸口は見えず、オリックスのブランドン・ディクソン、巨人のジャス…

 プロ野球はコロナ禍のなか、前半戦が終了した。いまだ収束の糸口は見えず、オリックスのブランドン・ディクソン、巨人のジャスティン・スモークがシーズン途中での退団を決断した。ともに「家族との時間を大切にしたい」という理由だった。

 日本という異国の地でプレーする外国人選手は、ストレスの続く状況下でどのように向き合っているのだろうか。今回、ヤクルトのスコット・マクガフとホセ・オスナがその胸の内を語ってくれた。



来日3年目を迎えたヤクルトのマクガフ

 昨年2月、来日2年目を迎えていたマクガフは沖縄・浦添のキャンプ地で順調に調整を進めていた。

「1年目から日本のマウンドやボール、ストライクゾーン、そして日本人打者へのアプローチの仕方など、戸惑うことがまったくなかったので、自信を持ってシーズンに入れると感じていました」

 その頃、テレビでは横浜港に停泊する『ダイヤモンド・プリンセス号』の映像が繰り返し放送されていたが、浦添の空は青く、のんびりとした空気が流れていた。

 マクガフは日本での生活にも慣れ、楽しみにしていたこともたくさんあったという。

「日本はどの街もきれいだし、人が本当に親切で細やかなところにまで気を遣ってくれます。青木(宣親)選手に何度か連れて行ってもらった広島の天ぷら屋さんがとくに印象に残っています。80歳を過ぎたおばあさんがいて、とても日本的な空間なんです。遠征の時にチームメイトたちと一緒に夕食に出かけ、野球のことやプライベートなことを話すことが大好きなんです」

 しかし4月7日に東京など7都道府県に緊急事態宣言が発令され、状況は一変する。マクガフも「大変なことになってきた」と感じた。

「開幕が延期され、練習も2日に1回の休みとなり、調整がとても難しかった。日常生活では子どもが生まれたばかりだったので、家で過ごすことは苦ではありませんでした。もちろん、ほかの人と同じように困ったこともありましたが、マスクをすることにも抵抗なく、外出も自粛し、しっかり予防していました」

 2020年6月19日、プロ野球は3カ月遅れの無観客というなかで開幕した。

「とにかく無観客試合は、プロ野球選手として一番残念な結果です。テレビやインターネットを通して観戦してくれるファンがいることもわかっていますが、やっぱり球場で応援してくれるファンの前でプレーするのがプロの選手だと思っていますので......。

 観客のいない静かな球場で投げるのは好きではありません。なので、球場にファンが戻ってきた時はとてもハッピーでした。自分はこのために投げているんだと、あらためて実感できたんです」

 そして昨年のオフ、マクガフはヤクルトから新たに2年契約を提示され、迷うことなくサインした。

「日本にはたくさんの親友、チームメイトがいて、第二の故郷だと心から思っています。家族もしっかり背中を押してくれました。(ディクソンやスモークの決断については)考えや選択は人それぞれですので、とくに思うことはありません」

 そしてマクガフは「コロナ禍のなかで自分をポジティブにしてくれたのは、ファンのみなさんの存在です」と話した。

「今は一緒に写真を撮ったり、サインすることができなかったり、本当に心苦しい日々です。神宮での勝利後のハイタッチも早くできるようになってほしいです。ファンレターをたくさんいただいたことにも感謝しています。これからも送ってくださいね(笑)」

 マクガフはここまで39試合に登板し、2勝1敗16セーブ、防御率2.39とすばらしい成績でヤクルトのブルペンを支えている。また、間近に迫った東京五輪ではアメリカ代表として参加する。
※成績はすべて7月14日現在

「アメリカ代表としての誇りを胸に、テツト(山田哲人)やムネ(村上宗隆)と対戦できることを心から楽しみにしています」

 今シーズン、新外国人選手のほとんどがビザの関係で来日が大幅に遅れ、来日後も2週間の隔離生活を強いられた。ヤクルトの新外国人・オスナもそのひとりだった。

「1日でも早く来日して、チームに貢献したい気持ちでトレーニングを積んでいました。隔離期間中は、時間がとても長く感じられましたが、サポートしてくれたスタッフやチームメイト(ドミンゴ・サンタナ、リック・バンデンハーク、サイ・スニード)もいたので、とても心強かったです」

 オスナもコロナ禍のなか、日本に来ることについて不安も迷いもなかったと話した。

「レギュラーとして野球ができるチャンスでしたから、前向きにとらえて日本でやろうと。異国であっても、野球をしてお金が稼げるのはなによりのことです。来日前はアレックス・カブレラ(元西武など)から、日本でプレーするにあたって気をつけることや、時間をしっかり守ることなどのアドバイスをもらいました」

 隔離施設では、テレビでヤクルトの試合を欠かさず観戦。隔離明けは二軍で2試合出場後、4月23日にほぼぶっつけ状態で一軍に合流。オスナとサンタナが球場に姿を見せると、山田と村上がすぐに歩み寄ってきた。

「神宮に入った時は本当に新鮮な気持ちでした。あいさつの時は、まだみんなの名前を知らなかったけど、どの選手も親しみやすくすぐに仲良くなれると思いました。とくに愉快なのは山崎(晃大朗)で、あとは嶋(基宏)さん!」

 ほかの外国人選手同様に、オスナも家族と離れて暮らしている。コロナ禍という状況下で、不安も多いのではないだろうか。

「メジャーでもいろいろと制限されていたので初めてのことではないし、健康を守るための制限は仕方ないことですね。家族に会えないことは本当に寂しいですが、毎日電話もしていますし、球場ではチームメイトから元気をもらっているので、モチベーションの面で困ることはありません」

 初めて経験する日本の野球について聞くと、こんな答えが返ってきた。

「日本の野球はタイミングがすべてだと思います。ピッチャーがさまざまな手段でバッターのタイミングをずらそうとするので、そこにどう対応するかです。そのほかに文化の違いもありますが、基本的にどこの国でプレーしようが野球は野球です」

 そして「日本はチームが一丸となって点を取る意識がとても強いと感じています」と言い、こう続けた。

「メジャーは簡単に言えば、自分が活躍して勝利に貢献するという意識です。日本では代走や守備固めといったスペシャリストがいたり、代打でバントをするとか、個人の成績に反映されないこともあるのですが、みんなが『次の1点を取る』という意識で勝利に向かっています。それに自分の調子がよくない時は、ほかの選手がカバーしてくれるといった信頼感もあります。そのスタイルは新鮮でしたし、すごく好きです」

 神宮球場ではヤクルトが得点するとファンが傘をひらく独特の応援があり、人気マスコットの「つば九郎」もいる。

「アンブレラはとても楽しい光景ですよね(笑)。日本は熱心なファンが多いです。雨のなかでも最後まで応援してくれるし、負けてもいつも励ましてくれる。とても元気をもらっています。つば九郎は、毎日一緒に戦っていますし、チームメイトという認識ですね」

 オスナはここまで61試合に出場し、打率.315、9本塁打、33打点と5番打者としてチームの期待に応えている。

「チームがリーグ優勝を目指しているので、勝利に貢献できるプレーをしたいですし、個人的にはホームランと打点を今までより早いペースで積み重ねていきたい。スワローズに入ったことは、正しい選択だったと思っています。

 家族が日本に来ることになったら、僕が神宮で野球をする姿を見てほしいですね。休みの日は、妻は寿司が大好きで、息子はチャーハンが大好物なのでおいしい店を探して連れて行きたいですね(笑)。その日が来るのをすごく楽しみにしています」

 ヤクルトの指揮を執る高津臣吾監督は、現役時代にアメリカ、韓国、台湾といった異国でプレーした経験を持つ。コロナ禍のなか、来日している外国人選手にはこんな思いを抱いている。

「今年は家族とも離れてやっていかなければならない状況ですし、試合が終わって家に帰っても話し相手がいない。そうした経験は初めてでしょうし、寂しさや辛さは僕らが思っている以上にあるのかなと感じています。プライベートには立ち入ることができないので、グラウンドで彼らが日本の野球を思い切り楽しめる環境を整えてあげたい。そういう思いでやっています」

 外国人選手が不安なくプレーをして、いつか日本の文化を満喫できる日が訪れることを、ただただ願うばかりである。