J1クラブ別・歴代最高のストライカーは誰だ?(東日本編) 言うまでもなく、ゴールはサッカーの醍醐味のひとつだ。ゴールがな…
J1クラブ別・歴代最高のストライカーは誰だ?(東日本編)
言うまでもなく、ゴールはサッカーの醍醐味のひとつだ。ゴールがなければチームの勝利はなく、だからゴールを量産してくれるストライカーは各クラブのサポーターにとって、特別な存在になる。
1993年に産声をあげたJリーグの歴史を紐解けば、各クラブにはそれぞれ伝説的なストライカーが存在する。そこで、今シーズンのJ1に所属する20クラブを東西に分け、日本人選手に絞って各クラブの歴代最高ストライカーを独断と偏見で選出してみたい。まずは、東日本の10クラブから。

鹿島アントラーズの黄金期を支えた柳沢敦
★北海道コンサドーレ札幌「都倉賢」
1998年からJリーグに参戦したコンサドーレ札幌で最も印象深い日本人ストライカーを選ぶとすれば、現在J2のV・ファーレン長崎でプレーする都倉賢だろう。
川崎フロンターレでプロキャリアをスタートさせた都倉が当時J2だった札幌に加入したのは2014年のこと。すると、加入初年度からゴールを量産し、2016年には19ゴールをマークしてJ1昇格に貢献。内村圭宏とのアタックコンビが冴えわたった。
在籍5シーズンで記録したゴール数は、外国人選手も含めてチーム歴代最多となる72得点(カップ戦含む)。「和製バロテッリ」と呼ばれる強靭なフィジカルを生かしたプレースタイルで豪快なヘディングシュートと左足キャノン砲でネットを揺らし、コンサドーレサポーターを熱狂させた。
★ベガルタ仙台「赤嶺真吾」
J2が開幕した1999年から参戦したベガルタ仙台では、リャン・ヨンギ、マルコス、ウイルソンといった外国人選手が歴代得点ランキングの上位を占めるなか、日本人では赤嶺真吾と菅井直樹が多くのゴールを演出した。ただ、菅井はストライカーではないため、ここでは赤嶺を歴代ベストとして選びたい。
現在、地元のFC琉球でプレーする赤嶺は、2010年夏にFC東京から加入。計5シーズン在籍し、リーグ戦では44ゴールを量産した。
とりわけ、東日本大震災が発生した2011年には完全移籍を果たして14ゴールを記録するなど、チーム4位躍進の原動力となる。翌年も14ゴールを決めてリーグ2位に大きく貢献。震災で苦しんでいた仙台市民に数多くのゴールで夢と希望を与えたという点においても、その功績は大きい。
★鹿島アントラーズ「柳沢敦」
長谷川祥之、興梠慎三、大迫勇也......。日本屈指のストライカーを多く輩出する鹿島アントラーズからは、リーグ戦80ゴールをマークした柳沢敦を歴代ベストに選出する。
ゴール数では89得点の長谷川が上回るので、人選は実に悩ましいところ。だが、やはり日本代表としての実績、知名度、ステイタスなど、総合的に見て柳沢にしたい。
柔らかいボールタッチ、周囲を生かすためのオフザボールの動き、ボックス内での冷静さなど、柳沢のプレーにはそれまでの日本人ストライカーの固定観念を覆す要素がふんだんに盛り込まれていた。やがてその系譜は大迫にも受け継がれ、日本における新しいCF像の礎(いしずえ)となったと言っても過言ではない。
★浦和レッズ「興梠慎三」
浦和レッズのベストは、現在も浦和でプレーする興梠慎三で異論はないだろう。
2005年にデビューした鹿島時代も含めると、これまでリーグ戦(すべてJ1)で157ゴールを量産(4月24日時点、以下同)。これは、大久保嘉人、佐藤寿人に次ぐJ1リーグ通算得点ランキング3位の成績で、さらに2012年からは9年連続でシーズンふたケタ得点を継続中だ。
2013年に加入した浦和では、これまでリーグ戦108ゴールを記録。浦和ひと筋だった「ミスター・レッズ」福田正博のリーグ戦93ゴールも上回る。身長175cmと現代のFWとしては決して恵まれた体格とは言えないが、冷静なフィニッシュワーク、ポジショニング、シュート技術など、フィニッシャーとして必要な能力をすべて兼ね備える生粋のゴールハンターだ。
★柏レイソル「北嶋秀朗」
1995年からJリーグに参戦した柏レイソルでは、工藤壮人と北嶋秀朗が日本人得点ランキングの上位に名を連ねる。今回はリーグ戦66ゴールの工藤ではなく、クラブへの貢献度やインパクトなどを総合的に見て、北嶋をベストに選びたい。
1997年に市立船橋高校から加入した北嶋は、プロ3年目にレギュラーに定着。翌2000年にはキャリアハイの18ゴールを量産し、得点ランキング2位に食い込んで日本代表入りするなど、国内屈指のストライカーに成長した。
印象深いのは2006年。一度は清水エスパルスに移籍した北嶋がJ2に降格した柏を救うべく古巣復帰を果たし、抜群のリーダーシップを発揮してJ1昇格に貢献したことだ。以降、2012年のシーズン途中にロアッソ熊本に移籍するまでクラブのアイコンとして君臨した北嶋は、得点以外の部分も含めレイソルの成長に大きく貢献した。
★FC東京「石川直宏」
FC東京のストライカーというと、ルーカス、アマラオ、ディエゴ・オリベイラといったブラジル人選手が真っ先に思い浮かぶ。彼らに比べると、どうしても日本人ストライカーの印象は薄くなる。
歴代得点ランキングの上位に食い込む日本人は、石川直宏と平山相太のふたり。そうなるとストライカータイプの平山が浮上するところだが、ここはクラブの象徴的存在でもある石川をベストに選出したい。
石川がマークしたゴール数はリーグ戦51得点、天皇杯とリーグ杯を含めると計70得点。この数字は計56得点の平山を大きく上回る数字で、国内屈指のスピードスターの決定力の高さを証明している。とくに2009年にはシーズン15ゴールを量産して得点ランキングの4位タイに食い込むなど、フィニッシャーとしての能力もハイレベル。クラブへの貢献度を含め、ベストオブFC東京と言っていい。
★川崎フロンターレ「小林悠」
川崎フロンターレからは、今もバリバリの現役プレーヤーである小林悠を選出。もちろんインパクトという点においては、川崎時代に3年連続得点王に輝いた大久保嘉人(現・セレッソ大阪)の存在も浮上するが、小林は実質的にバンディエラであり、かつジュニーニョに次ぐチーム歴代最多得点者でもある。ベストにふさわしいストライカーだ。
拓殖大学時代に水戸ホーリーホックでプレーしていた小林が、川崎に入団したのは大学卒業後の2010年。2年目の2011年から背番号11をつけて毎年コンスタントに得点を積み重ね、これまでリーグ戦124ゴールを量産。目下、J1通算得点ランキングの8位タイに位置し、7位の三浦知良(139ゴール/現・横浜FC)を抜くのも時間の問題だろう。
とりわけ川崎が初優勝を遂げた2017年には、最終節にハットトリックを記録して自身初となる得点王に輝いた。フロンターレサポーターにとっては、引退した中村憲剛と肩を並べるアイドルである。
★横浜F・マリノス「城彰二」
横浜F・マリノスで歴代得点ランキングの上位に位置する日本人は、中村俊輔、城彰二、坂田大輔、伊藤翔、齋藤学......といった面々。そのなかで歴代ベストのストライカーを選出するとなると、リーグ戦59ゴールをマークした城彰二になる。
高卒ルーキーとして鮮烈なデビューを飾った城がジェフユナイテッド市原(現・千葉)からマリノス入りしたのは1997年。1996年アトランタ五輪、そして1998年フランスW杯と、日本代表のエースとして抜群の輝きを放っていた時代だった。
とくに1998年にはキャリアハイとなる25ゴールを量産し、名実ともに日本屈指のストライカーとして活躍。市原、横浜FCでも多くのゴールを記録したが、インパクトという点でマリノスのベストとして選びたい。
★横浜FC「大久保哲哉」
2001年にJ2に参入した横浜FCの歴代ベストは、大久保哲哉だろう。
大久保が横浜FCで練習生からプロになったのは2003年。ただ、すぐに才能は開花せず、一時はJFLの佐川急便東京で武者修行を積み、再び這い上がって2007年に柏と契約する。その後、アビスパ福岡、モンテディオ山形を経て、2012年に横浜FCに復帰した。
以降、栃木SCでプレーしたシーズンもあったが、在籍7年でリーグ戦46ゴールをマーク。残念ながら横浜FCではJ1でのゴールがなかったが、身長190cmの大型ストライカーのインパクトは大きかった。
★湘南ベルマーレ「野口幸司」
湘南ベルマーレからは、前身のベルマーレ平塚の黄金期を支えた点取り屋、野口幸司を歴代ベストストライカーとして選びたい。
まだJリーグ夜明け前のフジタ時代からプレーしていた野口は、Jリーグ創設後の1994年にベルマーレがJ参入を果たすと、初年度からゴールを量産。1995年には23ゴールをマークし、ファルカン監督時代の日本代表でデビューを飾った。野口がベルマーレで記録したゴールはリーグ戦53得点。天皇杯とリーグ杯を含めると、4シーズンで64ゴールに及ぶ。
ボックス内のクレバーなポジショニングとフィニッシュワークが秀逸で、ワンタッチゴーラーとしての能力は国内屈指のレベルにあった。ベルマーレサポーターのみならず、オールドファンにとっても忘れたがいストライカーのひとりだ。
(西日本編に続く)