『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』第Ⅴ部 プログラムの完成(5)数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける強靭な精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第Ⅴ部 プログラムの完成(5)

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける強靭な精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2017年5月、アイスショーで『バラード第1番』を力強く滑った羽生結弦

「新たなステージに引き上げてくれた」というショートプログラム(SP)使用曲『バラード第1番』とフリーの『SEIMEI』。羽生結弦は、幼い頃から目標にした勝負の場である2018年平昌五輪に、その自信のあるプログラムで挑むことを決めた。

 五輪連覇がかかる羽生が常々口にしていたのは、「難度の高いジャンプを跳ぶだけではなく、スピンやステップなどの表現も含めて完成された、芸術性も併せ持ったプログラムを目指したい」ということ。平昌五輪は、その理想形を実現する最大の場と考えていた。

 このプログラム選択に、2017ー18年シーズンにかける覚悟の強さを感じた。羽生にそう伝えると、「そうですね。やっぱりそう感じますか?」と微笑みながら、言葉を続けた。

「本当に自分のやりたいようにやるというのが、一番じゃないですかね。何よりも『バラード第1番』に関しても『SEIMEI』関しても、自分が音を感じられるプログラムです。『ホープ&レガシー』もそうでしたが、今回、音だけではなく世界観も感じ取るようなプログラムにしたい。その点で一番演じやすいというのが最大のポイントです。

『SEIMEI』は2015ー16シーズンにいい演技ができたときから、五輪シーズンに使いたいと決めていました。だからこそ、昨シーズン(2016--17シーズン)は曲を何にしようか迷いました。"和"でいきたいと思っていたけれど、2015--16シーズン(の『SEIMEI』)とかぶってしまうかな、と。でも、今シーズンは迷いなく決めました。

 ある意味、2シーズン前の演技にとらわれる部分もあるかもしれない。それでも同じ曲で同じような振り付けもある流れの中で、まったく難易度が違うものをやっているので。同じプログラムだけど違うことを、一歩先のことをやっているので、とらわれるということを考えなくてもいいのかなと考えています」



2017年8月、カナダ・トロントの公開練習時の羽生

 以前、『バラード第1番』に関しては、使用することをかなり迷っていたと羽生は話していた。2016ー17シーズン、ノーミスの演技ができなかったSP曲『レッツ・ゴー・クレイジー』を持ち越すと考えもあったという。さらに『バラード第1番』の使用について、羽生は「『(使用するのが)3シーズン目ってどうよ?』という気持ちもなくはなかった」と苦笑していた。

 それでも、『バラード第1番』に決めた理由を、羽生はこう語る。

「(17年4月の)国別対抗戦のエキシビションのアンコールで『レッツ・ゴー・クレイジー』のステップの部分をした時、結構消化できたんです。自分の中で『これが見せたかったものだな』と思って、それで(次のシーズンは)『もうこれじゃないんだな』と思えた。それでやっと前に進める感じになれた」

 17年3月の世界選手権のフリーで『ホープ&レガシー』をノーミスで演じられたこともきっかけのひとつとなった。大事な大会で「バシッと決められたのが、すべてだった」と言う。

「『ホープ&レガシー』は感情を作りきらないのが僕のテーマ。"思うままに。流れるままに"というコンセプトで、世界選手権は『これがしたかったんだ!』という試合ができた。これまで曲のストーリーを考えたり、キャラクターを意識したりといろいろやってきましたが、『バラード』と『SEIMEI』をやったシーズンで経験したことを、やっと手のひらに収め始めた感じがありました。

 それをもっと広げられると思って臨んだのが2016ー17シーズンだったんです。ただ、4回転ループを入れたり、後半の4回転2本などに着手したからこその難しさはありました。それでも、最終的には表現面では大きなものをつかめたと思います。

 シーズンを通して強く感じたのは、フリーはそれぞれの試合ごとにまったく違う空気感だったということ。だからこそ、(SPでも)以前とは違う『バラード第1番』ができるのではないかと思ったんです」

 振り付けをしたジェフリー・バトルと、自分のイメージがどこか溶け合わないところも以前は感じていたというが、「(イメージが)つながる形にできるまでに技術が追いついてきた」と羽生は実感していた。

 プログラムの技術構成は、後半の連続ジャンプをトーループの連続ジャンプにすることを決めた。詳細に計算をした結果だった。

「2017ー18シーズンのトーループの確率を考えてみると、サルコウがなかなか入らなかったことで『トーループは絶対に決めてやる』という意識があり、いつの間にかトーループへの自信がすごくついていたんです。それもあって国別対抗はトーループからの3連続ジャンプもやりました。自信も持ってできるから、ベストだという結論になったんです」

 羽生が目指しているのは、すべての要素でGOE(出来栄え点)加点を、最高点の3点をもらう演技。それに最も近い形を考え、五輪シーズンにこのプログラムを選んだのだ。

「いろんなものに手を出すという考え方もあると思いますけど、僕の場合は『これ!』と決めたらその道を突き進むほうがいろいろと考えられる。例えば、歌手がライブで歌うと、同じ歌でもその時々でまったく違うものになるのと同じように、僕も一回一回違う演技ができると思うんです。

 このプログラムで勝ちたいという気持ちはすごくあります。4回転を何本も入れる選手が出てきている中で、自分自身もすごく高められているし、リミッターは解除されていると思う。人間はやればできる。絶対に勝ちたいと思ってやってきたことが、今の自分の糧になっている。

 勝ちにこだわるのは、演技にこだわるのとイコールだと思うので、まずは自分ができる最低限のことは必ずやらなければいけないですし、同時に、最大限のところを超えたいという気持ちは強いですね。プログラムをしっかり深めて観ている人を絶対にうならせたいな、と思っています」

 17年5月、アイスショーで見た『バラード第1番』はそれまでと違う力強さが感じられた。羽生は、こう説明していた。

「ステップの前に4回転+3回転が入っているからでしょうね。その前のトリプルアクセルもフワーッという感じで、より音に溶け込むジャンプに仕上がっていますし、トーループも音に合わせたジャンプになっていると思います。その意味では表現の幅が広がった感じはすごくある」

 8月上旬、トロントの公開練習でみたバラードのステップには『レッツ・ゴー・クレイジー』でやろうとしていた直線的な鋭さが感じられるようになり、『SEIMEI』の出だしには『ホープ&レガシー』で見せていた静謐さが見て取れた。そのことを伝えると、羽生はうれしそうな表情でこう答えた。

「『SEIMEI』はすごくキャラクターが強いんです。何かこう、大黒柱みたいなものが中心にあって揺るがないんですよ。だけど、『ホープ&レガシー』は柱がないプログラムで、沖縄の古民家みたいにすべてを受け入れるようなイメージでした。そういうものを融合させたいと思っていますし、今まで感じたものをすべて出したいという思いがあります」

 羽生のそうした気持ちは『SEIMEI』のステップにも表われていた。大きな音がメインになるパートは、以前のようにその音を強調するのではなく、細かな音を拾っていると感じさせる滑りだった。その感想について羽生は「そうですね。テンポをすべて取るということからちょっとズレ始めていますね」と説明した。

「音を取ることがすべてではない。それが『ホープ&レガシー』の久石譲さんのピアノを聞いて感じたことのひとつでした。例えば、『レッツ・ゴー・クレイジー』でも、すべてを拾い過ぎていたらメリハリがなくなってしまう。強い曲だからこそメリハリを大事にしたいという意識は、今シーズンの『SEIMEI』にも『バラード』にもうまく活きているんじゃないかと思います」

 そして、羽生が『SEIMEI』で表現する"和"にこだわるのには、こんな理由があった。

「もともと、日本人としてのプライドとか誇りのようなものはすごくあるんだと思います。初めて日本代表のジャージを着た時には『自分は日本代表なんだ、国旗を背負って戦いに行くんだ』という気持ちになりました。そうした思いを持っているからこそ、五輪という舞台で和のイメージのプログラムをやりたいと思いました。新境地として『SEIMEI』を演じて、みんなが受け入れてくれて、評価もしてくれたので、もっと極めていきたい思いもあります。

 それに前シーズンと同じようにショートとフリーで両極端のものを見せられると思っています。"ザ・クラシック"と言える『バラード』は演奏家のように演技をして、"和"の『SEIMEI』は『羽生結弦はこれだよな』と感じてもらえるものを演じきれれば、もっといいものになるんじゃないかなと思います」

 自身が目指すフィギュアスケートの演技を、平昌五輪で披露して勝つ。その揺るぎない信念があるからこそのプログラム選択だった。

*2017年10月の記事「『いざ、決戦のシーズン』 Road to PyeongChang 勝負のシーズンは始まったーー」(Sportiva)を再構成・一部加筆

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。