魔球の使い手が語る「伝家の宝刀」誕生秘話
星野伸之(スローカーブ)編 この球を投げられたら終わり──。バッターを絶望に陥…

魔球の使い手が語る
「伝家の宝刀」誕生秘話

星野伸之(スローカーブ)編

 この球を投げられたら終わり──。バッターを絶望に陥れ、多くのファンを魅了してきた「伝説の魔球」。それら「伝家の宝刀」はどのように生まれたのか。魔球の使い手が語ったインタビューを掘り起こし、その秘話を振り返る。

 バッターをあざ笑うかのようなスローカーブ。その球筋はまるで少年野球のようだ。それなのに......プロの強打者を手玉に取り、凡打の山を築く。山なりの軌道にタイミングを合わせていると、今度は130キロのストレートが剛速球となる。なぜ星野伸之はあのカーブを自在に操れたのだろうか。



スローカーブを武器にプロ通算176勝をマークした星野伸之

 星野は中学時代、軟式野球をしていたがその頃からカーブは投げていた。ところが、当時は手首をひねる投げ方で回転はするけどほとんど曲がっていなかったという。

「それが高校に入ってすぐ、当時の監督に投げ方を教えてもらったんです。普通のカーブと違い、ボールの左半分を、親指、人差し指、中指の3本をすべて縫い目にかけて握る。そして手首をキャッチャー方向に返すように腕を振る。この投げ方にすると、これまでと違って大きな変化を見せたんです」

 曲がりが大きくなった要因としてもうひとつのことも考えられた。

「自分では手首を軽く曲げているつもりでも、勢いがつくと手の甲が完全に返る形になるらしく、この手首の柔らかさと独特な握り方が、あのカーブを生んだんじゃないでしょうか。
それを習得した高校時代、カーブはまず打たれませんでしたけど、自分でもどれくらい曲がっているかわからなかったんです。それがある大会で、キャッチャーがヒザより下の位置で捕った球を審判がストライクと言ってくれて......『あそこでも取ってくれるのか』と思って、そこからはカーブばかり投げていましたね」

 星野のカーブは変化が大きいぶん、コントロールするのが難しかったが、投げる時はこんなことを意識していた。

「右バッターの外角いっぱいのラインを目安にして、そこから曲げるように意識していました。だから、右バッターよりも左バッターのほうが投げにくかったですね。左バッターが打席に立つと、目安になるラインが見づらくなってしまうんです。どうしてもバッターの右肩が先に視界に入ってしまって......。それでアバウトな感じのまま投げると、肩口から入る甘いカーブになってしまい、よく痛打されました」

 その対策として考えたのが、左バッターにはまず直球を内角高めにきっちり投げることだった。

「その軌道を意識させるように考えました。だから、真っすぐが決まるかどうかで、カーブの出来も変わってきましたね」

 さらに、スローカーブを生かすためにプロに入って、高めのストライクゾーンを意識するようになったことも大きかった。

「当時ファームのコーチだった河村健一郎さんから『もっと高めを使え』と言われたのがきっかけでした。それまでは球が遅いので『低め、低め』って言われていたのが、高めも使っていいんだってことで心に余裕ができた。高めを磨くことで、カーブの曲げるポイントを覚えていったんです」

 そうして、星野のスローカーブは右、左に関係なくほとんどの打者に通用した。ただ、唯一例外のバッターがいた。

「落合(博満)さんだけは別格でした。オープン戦で打たれた一発は、今でもはっきり覚えています。『内角低めに決まった』と思った、自分にとっては最高のカーブを払うように打たれて。普通のバッターなら間違いなくファウルにしかならないコースだったのに......技術がずば抜けていましたね。

 引退したあとに落合さんと話す機会があったので聞いてみたら、『おまえとの対戦の時は真っすぐのタイミングでしか待っていなかった』って言われました。つまり、変化球を投げられてもなんとでもなるってことで、その言葉にあらためて『やっぱり違うわ』って思わされました」

 そんな落合からも一度だけ空振りを取ったことがある。ただ、それは得意のスローカーブではなく意外なボールだった。

「フォークのすっぽ抜けでした。イメージと違う軌道になったことで、たまたま空振りが取れたんですけど、あれも普通に落ちていたら、おそらくスタンドまで持っていかれていたでしょうね」

 星野はプロ入りした時から体は細く、ボールにスピードがあったわけでもない。球種もカーブしかなかった。だから、球団としてはそのうちワンポイントか中継ぎで使えるようになれば......というくらいの獲得だったのかもしれない。それが先発として大成し、通算176勝もあげるのだから、野球は面白い。

 一度は、そのカ-ブが遅すぎるがゆえにニュースになったことがあった。それはキャッチャーが星野の球を素手で捕球した、というものだった。それくらい遅いボールでも使い方、描く球筋によってはプロのバッターでも打てなかったのだ。ただ、やはり少ない球種で長く続けられるほどプロ野球は甘くはなかった。

「途中からフォークを使いだしたので、あれだけ勝てたのだと思います。僕はほかのピッチャーのように指を縫い目にかけないか、1本だけかける握りだと、指に力がないので滑って抜けてしまうんです。だから、人差し指と中指の2本とも縫い目にかけてみたら、これがよかった。落差も出たし、おそらくこの握りのおかげで、普通のフォークは回転せずに落ちるのに、少し回転しながら落ちた。それがバッターにはストレートのように見えて厄介だったんじゃないでしょうか」

 それに加えて、独特のテイクバックをした投球フォームが打者を打ち取るのに役立った。バッターからすればタイミングが取りづらかったのである。

 そんな星野にとって、忘れられない1球がある。それは偶然生まれたもので、まさに「幻の魔球」といえるようなものだった。

「プロ初勝利を挙げた試合の最後、当時西武だった田尾(安志)さんを三振に取ったボールです。カーブだったのですが、あとで田尾さんから『横に曲がってから落ちてきたぞ』って驚いた顔で言われたんです。それでビデオを見てみたら、たしかにそんな変化をしていました。あの頃はスリークォーターに近いところから腕が出ていたので、ボールに少し横回転がかかって、そこからストンと落ちた。あのボールを意識して投げられていたら、まさに"魔球"だったんでしょうけど、1球限りの偶然の産物でしたね」

 さらに、もう1球。星野が使っていた面白いボールがある。

「あえて名づけるなら『置きにいくボール』です。置きにいくっていうと、普通はストライクを取りにいこうとして、腕が振れずに投げてしまうボールのことを指します。でも、僕の場合はわざと腕を振らないで真っすぐを置きにいったんです」

その球を投げることになったのは、オールスターのホームラン競争でのピッチャーの投球がヒントになった。投手はホームランを打たせようとしているのに、バッターの打球は思ったほど飛んでいかない。それに気づいてから、場面に合わせて使うようになった。

「腕を振って緩い球を投げるチェンジアップじゃなく、できるだけゆっくり腕を振って置きにいくストレート。見逃したバッターは『今の何?』って感じで不思議な顔をしていました。これも僕にしか投げられないオリジナルのボールだったと思います」