東海大・駅伝戦記 第82回 今季の全日本大学駅伝で東海大は2連覇を果たせなかった。だが、敗戦の将の表情は清々しいように見えた。2区が終わった時点で17位に沈み、多くの人が優勝戦線から脱落したと思ったはずだ。それでも後続の選手が懸命な走りを見…

東海大・駅伝戦記 第82回

 今季の全日本大学駅伝で東海大は2連覇を果たせなかった。だが、敗戦の将の表情は清々しいように見えた。2区が終わった時点で17位に沈み、多くの人が優勝戦線から脱落したと思ったはずだ。それでも後続の選手が懸命な走りを見せ、7区ではトップで襷(たすき)を渡すまで盛り返した。最後はアンカー勝負で敗れ、2位となったが、得たものは大きかった。

「あきらめない気持ち」

 両角速(もろずみ・はやし)監督はそう語った。さらに4年生の強さ、新戦力の台頭......箱根駅伝で勝つために大事なものが、それぞれの選手に宿った。



駒澤大・田澤廉(写真右)に敗れたが、積極的な走りを見せた東海大・名取燎太

「気負わずにリラックスして走るように」

 両角監督にそう言われた1区の佐伯陽生(ようせい/1年)は、初駅伝とは思えない堂々とした走りで先頭集団のなかにいた。ラスト1キロを切って三浦龍司(順天堂大/1年)がスパート。佐伯は「三浦が注目されていて、自分も意識して走っていたんですけど......」と語ったが、三浦はU−20ハーフマラソン日本記録を6秒更新したスーパールーキーである。その実力を見せつけるかのように、キレキレのスパートを見せたが、佐伯も食らいつき、トップの順天堂大に16秒差の7位で2区の市村朋樹(3年)に襷を渡した。

「調子はよかったんですが、(三浦の)ラストスパートについていけず、最後も力を出しきれずに16秒差がついてしまった。最低限の役割は果たせたと思うのですが、自分がもっとよければ2区にいい流れで(襷を)渡せたと思うので、ちょっと物足りないです」

 自己評価は厳しいが、初の大学駅伝で1区の重圧に耐え、しっかり走れたことは今後につながる内容だった。

 その佐伯から襷を受けた市村は、5キロまで青学大と東洋大と並走するなど、先の展開に大きな期待を抱かせた。

 市村は今回のメンバーで、塩澤稀夕(きせき)、西田壮志(たけし)、名取燎太の4年生"黄金トリオ"以外では、唯一の大学駅伝経験者で、東海大はこの2区、続く3区の塩澤で主導権を握る計算だったが、5キロ過ぎから遅れ始めてしまう。苦しそうな表情から、いつもの市村ではないことは確かだった。

 いったい、市村に何が起きたのか。

「前日までコンディションはすごくよくて、自信はありました。でも、ウォーミングアップの時から体が動かなく、気持ちも上がらなくて......。襷をもらった時はタイム差を気にせず、順位を上げるつもりで走りました。5キロまでは青学大についていたんですが、それ以降はついていけなくて......。そこから焦りすぎて、目の前のレースに集中しきれなかったです」

 そう語るように、市川は17位に順位を下げ、トップの城西大との差は1分45秒となった。バスで名古屋に戻るなか、市川は3区塩澤、4区石原翔太郎(1年)の激走を映像で見ていた。

「僕の責任でこんなことになってしまって、塩澤さんと石原はすごくいい走りで、ありがたいと思う反面、すごく申し訳ないという気持ちでいっぱいです。中学の頃から勝負強さがなく、大学に入ってようやくそういうのがなくなったかなと思ったんですが......。今回こういう形で出てしまった。駅伝の走り方、ベースを含めて、もう一度しっかり考えていかないといけないと思いました」

 市川にとって、箱根までの2カ月は極めて重要になる。

 3区の塩澤はキャプテンらしい走りを見せた。

「予想外の位置で襷をもらったので、自分でもどんな走りをしていいのかわからなくなってしまったんですけど、前半はとりあえず追うしかないと思って、攻めました」

 2年連続して自身の地元区間を走った塩澤は、軽快にラップを刻み、6人抜きで順位を11位まで上げた。トップの早稲田大との差は1分26秒。ここでズルズルと後退せず、前との差を詰めたことで後半に可能性を残すことができた。

「どの大学とも差が開いていたので、抜いても単独走が続き、しかもレース前は追い風だろうと思っていたのですが、ほぼ向かい風で攻めた走りができなかった。前を走る青学大、駒澤大との差を詰めることができなかったのは、まだ力不足を感じました」

 塩澤の予想では、3位から5位ぐらいで襷を受け、追い風なら、昨年のレースで強さを見せつけられた東洋大・相澤晃(現・旭化成)の33分01秒を狙う。だが順位は想定外で、タイムも33分45秒だったが、区間2位の走りで石原に襷を渡した。

 今回の全日本大学駅伝は1区から1年生が活躍し、三浦、佐伯ら4人の1年生が区間新を出し、3区では駒澤大の鈴木芽吹(めぶき/1年)が区間5位でチームの順位を1つ上げた。石原もそうした強い1年生を象徴する走りを見せた。

「走る前、両角監督から『前との差はだいぶ開いているので、自分の走りをしよう』と言われたのですが、いざ走るとガンガン突っ込む走りになって......4キロぐらいから前の姿がどんどん大きくなって、『イケるな』っと思って淡々と走りました」

 石原は大学に入り、ポイント練習の質が上がり、ジョグの量が増え、走力が増すとともに体つきも変化した。大会前日、西田と同部屋だったのだが「僕は(キロ)2分50秒で押せます」とルーキーとは思えない自信を見せていたという。その言葉どおり、33分16秒(区間新)という圧巻の走りで、11位から6位と順位を押し上げた。

 石原は消えかけた2連覇への火を再び灯し、只者ではないことを証明した。

「自分の力? いえ、シューズの影響ですね(笑)」

 謙虚で強い1年生は、箱根駅伝でも大きな力になるだろう。

 5区の本間敬大(けいた/3年)は追い上げムードのなか、大事な役割を課せられた。

「走る前、両角先生から『石原がいい位置でくるから重要な場面だぞ』と言われました。2区が終わった時点で順位が落ち、自分的には緊張がほぐれたんですけど、一気に緊張しました」

 本間は前を見ながら追うという走りやすい状況で襷を受けた。駒澤大の酒井涼太(2年)、青学大の佐藤一世(1年)、東洋大の大澤駿(4年)と並走したが、彼らが強いのは理解していたという。実際、6キロぐらいになるときつくなり、前をいく青学大についていけなくなった。

 だが、ここから本間は粘った。

「自分は4年生の塩澤さん、名取さん、西田さんに本当にお世話になっていて、走れない時も気にかけてくれていたんです。4年生のこの駅伝にかける思いが強いことはわかっていたので、きつくても先輩たちのために走ろうと思って......それで少しは粘れたのかなと思います」

 本間は1年の時から駅伝のエントリーメンバーには入るも、走るチャンスを得られなかった。だが今年は、夏合宿でも練習をしっかり消化し、好調を維持した。

「途中で青学や東洋、駒澤についていけなくなり、そういう意味では悔しさはあります。ただ少しでも前が見える位置で長田に襷を渡せたらと思っていたので、最低限のことはできたかなと」

 本間は区間4位と初めての駅伝でしっかりとつなぎの役割を果たした。

 6区の長田駿佑(3年)は走る前、緊張していたという。初めての3大駅伝で、しかも競った状況のなか、自分の走りが優勝争いに直結するのを理解していたからだ。

「不安はありました。でも、チームメイトが声をかけてくれたので、自信を持って襷を受けることができました」

 長田は襷をもらうと、すぐに順天堂大と国学院大を抜くすばらしい走りを見せた。

「両角先生から『とにかく攻めて、前の集団に追いつけ』という指示が出たので、前半は攻めて、後半は粘るという形でいきました」

 4キロ手前で駒澤大と東洋大、明治大をとらえ、前をいく青学大、早稲田大を追った。その後、明治大とともに前を追い、残り300mを切ったところで襷を外し、一気に前に出て、トップで西田へとつないだ。

 長田は、昨年"黄金世代"のひとりである郡司陽大(現・小森コーポレーション)が出した37分26秒の区間記録を破る37分22秒の区間新。初駅伝で大仕事をやってのけた。

 7区までのプロセスに誤算はあったが、トップで西田に襷がつながった。戦前、両角監督は「青学、駒澤に30秒の差をつけて名取につなぎたい」と語っていた。東海大が誇る4年生の3本柱のひとりである西田が、ライバル校にその差をつけられるか。そこが7区の最大のテーマになった。

 序盤は両角監督の声かけにも笑顔で応じるなど、余裕はあった。だが9キロ手前で九州学院の同期である青学大の神林勇太(4年)に並ばれ、先行されると、ついていくことができなかった。

「東海大の記録会が終わったあと、足の調子がよくなくて、ひとりだけ別練習をしていたんです。それでも7区で走らせてもらって、監督やコーチには感謝していますが、自分の意気込みとは裏腹に走りがよくなくて......チームに迷惑をかけてしまって不甲斐ない気持ちでいっぱいです」

 それでも西田は踏ん張った。14キロ地点、駒澤大に追いついてきたが、並ばれそうになるとペースを上げて前に出た。アンカーの名取に1秒でも青学大との差を詰めて襷を渡そうという西田の意地が見えたシーンだった。

 西田の走りを見ていると、昨年同区間の松尾淳之介(横浜DeNAランニングクラブ)の姿を思い出した。青学大の吉田圭太(現4年)に追いつかれながらも粘り、大きく差を広げられなかったことがアンカー名取の逆転劇につながった。

 西田も苦しそうだったが、駒澤大のアンカー・田澤廉(2年)の力を考えると、少しでも差をつけておきたいと考えていた。

「6区まで苦しいレースが続いたんですが、それを立て直すのが4年生の役目だと。やる気はあったんですけど、体が動いてくれなくて。できるだけ駒澤大にタイム差をつけたいと思っていたのですが、結果的に名取に苦しい思いをさせてしまった」

 西田は区間6位。トップの青学大との差は39秒で、逆転するにはギリギリのタイム差だった。それに駒澤大との差はわずか2秒。昨年も8区を走り、コースを知っているだけに不安はなかっただろうが、厳しい状況のなかで名取が走り出した。

 名取は駒澤大の田澤とともに青学大の吉田を追った。9キロ手前で追いつき3人が並ぶと、10.6キロで吉田が遅れ、名取と田澤の一騎討ちとなった。ふたりの争いは、名取が前で引っ張り続けた。

「田澤選手はスピードがあるので、ラスト勝負になると分が悪いなって考えていました。走っていくなかで突き放すことができればと思っていたんですけど、僕にそこまでの力はなかった」

 すると、18.5キロで田澤がスパートをかけると、名取は粘れずに離されていった。

「田澤選手のスパートに備えていたんですけど、足が動かなくて、ついていくことができなかった」

 ここで勝負は決した。

 名取は田澤との勝負で、いったんスピードを落として背後につくという選択肢はあったはずだ。だが、あえて前で勝負した。西田はこの走りに感銘を受けた。

「勝ちにこだわるなら駆け引きをして、うしろにつけばいいところをあえて引っ張った。強いなって思いましたね。そういうチームメイトがいることは本当に心強い。勝負には負けたけど、名取は100点の走りをしたと思います」

 名取の走りに両角監督も何か感じるものがあったようで、「よくやった」と称えた。レースも一度は難しい状況になったが、最後まであきらめず優勝を争うところまで巻き返した。初駅伝の石原、長田のふたりが区間新を出すなど、収穫もあった。なにより、今回の8人が中心となり、箱根奪還にむけて戦えるメドがついたことが大きかった。

 2連覇は逃したが、両角監督は「勝ちたかったですが、メンバーが大きく入れ替わったなかでよく戦えたと思います」と前を向いた。

 伊勢路のロードで見えたのは、箱根路を制するためのたしかな力だった。