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PLAYBACK! オリンピック名勝負ーーー蘇る記憶 第36回

スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典・オリンピック。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あの時の名シーン、名勝負を振り返ります。

「なぜ日本バド女子は強いのか」

 藤井はこう話すが、このメダルは決勝トーナメントの3試合で、力を振り絞って戦った結果でもある。

 藤井は、中学入学後に結果を出し始め、「中学生離れしたプレーをする」と対戦相手を驚かせた。自分をクレバーに分析しながらも、挑戦を楽しむ意識の高い選手だった。出身の熊本から強豪校の青森山田高に進むと、1年生からレギュラーになり、3年のインターハイでは25年ぶりのシングルスとダブルス、団体の3冠獲得を果たした。

 高校卒業後はNEC九州(後のルネサス)に入り、1年目の07年からナショナルチームに加わった。シングルスでなかなか勝てないでいた時、6月の男女混合国別対抗スディルマン杯で、2部優勝を決めたオグシオ(小椋久美子・潮田玲子組)の感動的な勝利を見てダブルスで世界を目指そうと決めた。

 声をかけたのが、高校の1年後輩の垣岩だった。電話で「一緒に五輪を目指したい」と伝えた。それを受け、進路を迷っていた垣岩は、藤井と同じNEC九州に入ることを決めた。

 垣岩は高校時代をこう振り返る。

「私が1年生だった時のインターハイ東北大会の団体決勝で、いきなり藤井先輩とペアを組まされたことがありました。最初は『えっ、組むの?』と戸惑いましたが、試合後に『すごいシックリきた』と言ってもらいました。プレーでは先輩から吸収させてもらうことが多いですが、普段の生活は、先輩がボケで私がツッコミのような感じもあるので、プレーもそんな感じの方がいいかなと思うようになりました」

 08年には、北京五輪の会場でチームの先輩である末綱・前田組を応援し、「五輪に出たい」との気持ちを明確にすることができたのも、藤井と垣岩にとって急成長の要因となったようだ。

 多くの選手たちにとって最大の目標である五輪のメダル。チャンスを確実にものにした藤井・垣岩組のこの結果は、世界選手権や国別対抗戦で上位に入るようになっていた日本チームに、大きな勢いと自信をつけさせるものになった。

 ロンドン五輪銀メダル獲得までの道のりを、藤井と垣岩は若さの勢いのまま、爽やかに駆け抜けた。