ゲームセットの瞬間、ネット裏から三塁側にかけ、ファンが立ち上がって歓声を上げる。グラウンドで沸き立つ慶大の選手とうつむ…
ゲームセットの瞬間、ネット裏から三塁側にかけ、ファンが立ち上がって歓声を上げる。グラウンドで沸き立つ慶大の選手とうつむく選手。両校が整列し、挨拶すると「8月15日の早慶戦」が終わった。
特別な一日だった。4か月遅れで始まった東京六大学春季リーグ戦。戦後初めて最終日以外に設定された「華の早慶戦」、応援団はいない、「紺碧の空」も「若き血」も鳴らない。代わりに神宮に響くのは蝉の声。新歓シーズンと重なる春は、3万人超が詰めかける年もあるが、前売り券は2日前に完売したものの、観衆は上限となる3000人。静けさが漂う神宮に選手は立った。

しかし、グラウンドでぶつかる両校の指揮官にとって、そんなことは関係なかった。
早大・小宮山悟監督「他の4大学には申し訳ないけど、慶應との戦いは我々にとって大事な一戦になるもの」
慶大・堀井哲也監督「早稲田戦は私が学生の頃から先輩から受け継ぎ、今の学生も含め、特別な気持ちがある」
プレーボールとともに、両校の意地と意地が激突した。
3回。早大のエースで主将・早川隆久(4年)から慶大の1番・新美貫太(3年)が先制2ランを放ったが、早大の9番・熊田任洋(1年)が反撃ソロ。6回に追いつかれた慶大だったが、7回に代打・藤元雄太(4年)の一発で勝ち越した。
慶大勢は左翼席に、早大勢は右翼席に、本来だったら、それぞれ母校の学生が待っている場所にアーチを描いた。取ったら取り返す。早慶戦らしい白熱した戦いは、最後までドラマチックだった。
早大は9回2死から慶大のエース・木澤尚文(4年)を1番・金子銀佑(4年)が打ち、土壇場で同点。延長タイブレークに持ち込んだが、慶大が10回に無死二、三塁で代打の代打で登場した橋本典之(3年)が決勝の2点三塁打。その裏を無失点でしのぎ、ついに決着した。
一球一打に沸いた神宮。試合後の表情は対照的だった。
4連勝で秋春連覇に王手をかけた慶大・堀井監督は「六大学No.1の早川投手からいかに点を取るか、そのためにいかに苦しめるか。選手たちが一致団結してやってくれた」と充実感を滲ませた。応援団不在の早慶戦。殊勲打を放った橋本典は「応援あっての早慶戦。正直、寂しい気持ちがあるし、応援がないと緊張してしまう」と笑ったが、自身の活躍については胸を張った。

連敗で優勝の可能性が消滅した早大・小宮山監督は「追いつけたことは収穫だけど、試合内容ではミスが見受けられた」と指摘した上で「スタンドで見ている方々は『良い試合だった』と言ってくれるかもしれないけど、普段、グラウンドで毎日顔を合わせている側からすると、腹わたが煮えくり返る試合。はっきりと課題が見えたので、厳しい練習をして秋に出直す」と厳しい表情だった。
結果以上に両校に思いがこもったのには理由があった。
この日は終戦の日。開始1時間前の午後0時に両校がベンチ前に整列し、黙祷した。100年近い歴史を持つ東京六大学が、未曾有の感染症の影響を受け、戦時中と同じように中止の危機もあったが、全国26連盟で唯一、春季リーグ戦の開催にこぎつけた。
そんな中で迎えた8月15日。堀井監督は「平和あっての学生野球。コロナは戦争の時とは違う性質の社会状況ではあるけど、そういう風に感じたし、改めて野球ができる世の中の素晴らしさを感じた」と思いを込めた。
黙祷の後には、あるセレモニーが行われた。今年、特別表彰で殿堂入りした元慶大監督の前田祐吉氏と元早大監督の石井連蔵氏の表彰。1960年に伝説の早慶6連戦を指揮し、ライバル関係の象徴となり、東京六大学の発展を支えた2人。
前田氏の次男・大介さん、石井氏の長男・拓蔵さんが花束とレリーフを贈呈された。教え子でもある堀井監督は「朝から意識していたし、大介さんが贈呈された時は本当に感動した。(墓前で)いい報告ができるか、勉強してこいと言われるか。明日、終わってからです」と振り返った。
一方の小宮山監督は「今頃、石井さんが飛田(穂洲)先生に『ろくでもない試合だった』とご説明されていると思う。飛田先生の教えを受け継げるように『一球入魂』を早稲田に植え付けるためにも鬼にならないといけないと今日分かったので、鬼になりたい」と先人に誓いを立てた。
時代と時代がつながり、様々な思いが交錯した特別な戦い。印象的だったのは、敗戦の責任を背負った早大の主将・早川の言葉だった。
「今日は大先輩である石井連蔵さんの表彰、終戦の日といろんなものが重なり、歴史ある早慶戦の1ページになった中でリーディングチームである早稲田大学が勝って行いかないと、自分たち自身にも出ていない選手にも示しがつかない。もう一回、気を引き締めてやっていかないといけない」
両校の明暗は分かれた。しかし、2020年8月15日、ここ神宮で春の早慶戦が行われた意味は、確かにある。
<Full-Count 神原英彰>