-WORLD BASEBALLの記事一覧はこちら-「アマチュアの雄」として名を馳せたキューバ。国際大会がプロ抜きで行われていた1980年代まで、この国は世界野球で無敵の強さを誇った。 今回からは各国の野球を前後編に分けてお伝えする。前編はこ…

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「アマチュアの雄」として名を馳せたキューバ。国際大会がプロ抜きで行われていた1980年代まで、この国は世界野球で無敵の強さを誇った。

 今回からは各国の野球を前後編に分けてお伝えする。前編はこの国の野球の歴史から紹介したい。

首都ハバナのエスタディオ・ラティーノ・アメリカーノ

 キューバでは、野球は「敵国」・アメリカからもたらされたものではなく、その起源は先住民の打球技、「バトス」に求められると考えられている。

 現実には、この島がまだスペイン領であった1864年にアメリカに留学していたギロ兄弟が野球を伝えた。この兄弟が結成したチームは、同時期にアメリカの水夫が野球をもちこんだ港町・マタンサスにおいて試合を行っている。

 暑い日差しの中、味方の攻撃中は日陰で休むことのできる団体スポーツである野球は、急速に人気を高め、これに敏感に反応した植民地政府は、独立戦争がはじまった1869年に野球禁止令が出している。

 しかし、これも野球人気を止めることはできず、1878年には早くもプロリーグが発足した。キューバは米西戦争の結果、1902年にアメリカの保護国として独立するが、アメリカの強い影響の下、野球はますます発展していった。

 常夏の気候は、地元のウィンターリーグだけでなく、アメリカマイナーリーグの進出を招いた。1946年、C級球団としてハバナ・キューバンズが創立。このチームは、1954年にシュガーキングスと名を改め、マイナー最高ランクの3Aに昇格し、1959年にはインターナショナルリーグを制した。

 また、ウィンターリーグにおいてもキューバは中南米カリブ地域の盟主として、1949年の第1回大会から1960年まで12回出場したカリビアンシリーズにおいて、7度チャンピオンに輝いている。

 しかし、キューバ革命とそれに伴う共産化によって、キューバ野球はプロ野球の世界から去っていった。革命の指導者フィデル・カストロは、プロリーグを州対抗のアマチュアリーグ、「セリエ・ナシオナル」に再編し、プロ中心のアメリカ野球と決別する。

キューバ野球発祥の地のひとつ、マタンサスの球場内にあるカストロの写真

 アマチュアリズムを貫くことになったキューバ野球は、プロ不在の国際大会において圧倒的な力を発揮した。

 オリンピックでは正式種目となったバルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、ペキンの5大会で金メダル3度、銀メダル2度とすべて決勝に進出、また、ワールドカップ優勝25回、インターコンチネンタルカップ優勝11回も他の国の追随を許さない。

 その強さは、プロ相手にもひけをとらず、2006年のワールドベースボールクラシック第1回大会では、決勝に駒を進め、日本に敗れたものの、「敵国」・アメリカで銀メダルを手にしている。

 次回は、この国のトップリーグ、「セリエ・ナシオナル」とキューバ野球の抱える問題について述べていきたい。

文・写真=阿佐智