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 今回は中日ドラゴンズで二軍投手コーチを勤める門倉健さんにお話を伺った。門倉さんは1995年に中日ドラゴンズから2位指名を受けてプロ入りした後、大阪近鉄バファローズ、横浜ベイスターズ、読売ジャイアンツの国内4球団でプレーし、更には韓国のKBOリーグのチームでも選手・コーチとして活躍された経歴の持ち主でもある。

勝利に貪欲だったキム・ソングン監督との記憶

 日本・台湾と共にアジア球界を牽引している韓国野球だが、門倉さんが所属されていた当時はどのような状況だったのだろうか。

――韓国で所属されていたチームはどのような雰囲気でしたか

「最初に所属したSKワイバーンズは、とにかくよく練習するチームでした。当時の監督のキム・ソングンさんはいわゆる”練習の鬼”で、春のキャンプなんかは朝の8時からアップを始めて、終わるのは夜の9時だったり。練習は裏切らない、という考えの持ち主の方だったんです」

 その結果、SKワイバーンズは門倉さんの在籍時の2009年に韓国プロ野球新記録となる19連勝を達成し、翌2010年も16連勝を収めた。しかし、監督は一敗に厳しかったという。

「(キム監督は)勝利に対して非常に貪欲な考えの持ち主で、試合の中で起きてしまったミスや課題はその日の内に解決させる方だったんです。ナイターゲームが22時に終わっても、そこから練習が始まって、帰路につく頃には日付が変わっていることもよくありました」

【写真提供=共同通信】キム・ソングン監督

――シーズン中、試合もありながらそれだけ練習もして、体を壊したり離脱する選手はいませんでしたか

「それが、いなかったんですよ。春のキャンプで『壊れない体』を作っていたんですよね。鍛えに鍛えて、一年間戦える体を作っていました。その証拠に、当時のSKに怪我で途中離脱する選手はほとんどいなかったんです。負傷者が出てチームの戦力が低下することもありませんでした」

 また、韓国人選手は体作りのために非常によく食べていたそうだ。日本人選手は試合前に食事を摂る場合、麺類などで軽めに済ませることが多いが、韓国では満腹になるまでしっかり食べて試合に出るということが普通だったという。全体的にがっちりとした体格の選手が多く、当時は他のスポーツから転向してきた選手もほとんどいなかった。

――エラーをしたり試合に負けるとキツい練習が待っているということでしたが、プレー中に恐怖心を抱いたり萎縮してしまうことはなかったのでしょうか

「消極的なことは絶対にしなかったですね。確かに監督はエラーや敗戦には厳しかったですが、積極的なプレーをした結果であれば責め立てることはありませんでした。そのため、チーム全体で攻め続ける姿勢を持ち続けていました。自分のところにボールが来たら、転がってくるのを待って捕るのではなく自分から行くような、そんな雰囲気がありました」

 日々の練習は、体だけでなく精神的な面も鍛えられていたようだ。チーム全体の士気は非常に高く、ゲームセットが掛かるまで誰一人として諦めずに戦っていたという。

「次に所属したサムスン・ライオンズは、自分がいたときは”常勝軍団”という雰囲気で、選手一人一人が高いプロ意識を持っていました。それぞれがしっかり仕事をすれば勝てる、職人軍団という感じでした。練習を積み重ねた結果プロでやってこれたという自分の考えと一致していたこともあり、当時のSKの方が自分には合っていたような気がします。あんなに練習をしたのはプロになってから初めてのことでしたが、2年間しっかり結果を出すことが出来たので、改めて練習の大切さを感じさせられたチームでした。これは、現在指導をする上での考え方にも影響を与えている点でもあります」

――当時のKBOの選手はどのような特徴がありましたか

「ピッチャーは速い球を投げることをかなり強く意識していました。筋力アップ目的でウェイトトレーニングをやる選手が多かったです。日本はコントロールも重視しますが、当時のKBOはとにかくパワーピッチングで勝負する傾向にありました。『困ったら強いまっすぐでねじ伏せる』というのが一般的でしたね」

「ピッチャーがそういう傾向なので、当然バッターも常に直球狙いの選手が多かったです。自分はフォークボールを扱えるから、対戦したときは変化球への弱さを感じていました」

日本へのあこがれも 当時の海外志向の理由とは

 日本球界には、古くはソン・ドンヨルやイ・スンヨプ、近年ではイ・デホなどKBO出身の韓国人選手が活躍してきたという例がある。当時のKBO選手たちは海外移籍や日本球界をどのように考えていたのだろうか。

「当時は日本の野球をよく見ている選手が多かったですよ。衛星中継でNPBの試合中継があるときは、みんなかじりつくようにして見ていました。日本人選手のこともかなり詳しかったです」

【写真提供=共同通信】李大浩選手

 門倉さんが渡韓した当時こそKBOはメジャー志向が強かったが、在籍期間中にも日本人コーチが増えて、緻密な作戦やデータを重視する日本野球の要素に少しずつ傾いていったという。現在は日本人コーチが減ったこともあり、再びメジャー志向が強まっているように感じるそうだ。

「現在はメジャー志向の方が強くなったかもしれませんが、自分がいた当時は『日本に行きたい』という選手がたくさんいました。というのも、当時のKBOは年俸が低かったんです。FAを取得して海外移籍すると高額契約を結べるケースが多いことから、海外志向が強かったのではないかと。今では韓国国内でも野球が”稼げるスポーツ”になってきたので、以前ほど国外に目を向ける選手は多くないかもしれませんね。国内での移籍は比較的活発に行われている方だと思います」

 後編となる次回は、韓国ナショナルチームはなぜ国際試合などの大舞台で強さを発揮できるのか、また韓国での経験を現在どのように活かしているのかをお伝えしたい。

インタビュー後編はこちら
韓国はなぜ国際大会に強いのか? 日韓両国の野球を知る門倉健コーチに聞いてみた【Global Baseball Biz vol.32】

取材協力:中日ドラゴンズ
文:戸嶋ルミ