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 プロ、アマを問わず野球界にかかわるさまざまな人々にスポットを当てる連載。今回は、慶應義塾高校をはじめ、25年間監督やコーチとして高校野球に携わり、現在は神奈川県学童野球指導者セミナー代表として野球人口普及活動に励む上田誠氏に話を聞いた。

 前編の今回は、上田さんの代名詞となったエンジョイ・ベースボールが生まれたきっかけや、監督時代の思い出を語ってもらった。

■坊主をやめようと提案も猛反対を食らう

─上田先生が掲げた“エンジョイ・ベースボール”が生まれた背景を教えてください。

上田 僕が選手としてやっていた時代は、精神論がまかり通り、上下関係もすごく厳しかった。そういう環境で鍛えられた部分はありましたが、野球をうまくなるにはもっと違う方法もあるんじゃないかという思いはありました。

 そして最初に桐蔭学園でコーチになり、指導者としての道を歩み始めたのですが、最初の頃は自分が経験した精神論を押し付けてしまうこともありました。その後、公立の厚木東高校で監督になったときに、やっぱりこんな指導法では強くはならないなと考えたんです。

 そして何かを変えようと思い、坊主をやめることを提案したんです。しかし、猛反対を食らってしまったんですよ。

─選手も反対したんですか?

上田 はい。坊主じゃないと、野球をやっているように見えないっていうんです。でも、こっちが「じゃあ、なんで野球をやるのに坊主じゃなきゃいけないの?」って聞くと、「高校野球だから」とあいまいな答えばかりで、明確に答える選手は誰もいませんでした。

 それから2年経ったようやく、周囲の理解も得られて、坊主をやめることができたんです。でも、最初に変えられたのは髪型だけでしたね。それ以外の部分はなかなか変えることは難しかったです。

■高校野球の常識を覆したかったという信念

─エンジョイ・ベースボールが本格的に始まったのは、1991年に慶應義塾高校の監督に就任されてからですか?

上田 そうですね。日本の高校野球界を変えようと決意しましたから。選手たちにも、髪の毛を伸ばしていても勝てることを証明しようと。あと、上下関係の環境づくりも徹底しました。上下関係が厳しい部活だと、グラウンド整備などは下級生がやるのが当たり前になってるじゃないですか。それをみんなでやろうと決めたんです。

 あと、入部して間もない1年生は高校生活の環境にも慣れていないから、早く帰らせて勉強も頑張ってもらおうと早く帰宅させたんです。だから2、3年生がグラウンド整備をしているときに1年生が帰るという光景も当たり前になりましたから。僕の中では年功序列を排除して、学年を問わず意見をしっかり言い合える環境を作りたかったんです。

─その他で、変えたことはあるのでしょうか?

上田 僕のことを監督ではなく“さん”付けで呼ばせたことですかね。これは慶應の伝統でもあるのですが、教員のことを“さん”で呼ぶんですよ。

■教え子たちと人生を共有できた幸せ

─そんな努力の甲斐もあって、慶應義塾高校を45年ぶりの甲子園出場へ導きました。そんな監督生活の中で思い出に残っていることは何ですか?

上田 振り返ってみると、後悔することのほうが多いかもしれません。一番は、ピッチャーをすごく酷使させてしまったなと。あと、もっといろんな選手を使っていればチームの層が厚くなり、いろんなことができたんじゃないかと思うときもあります。

─監督生活の中で得たものは何になりますでしょうか?

上田 やはり多くの選手たちと関われたこと。今では1000人近い教え子がいて、結婚式に呼ばれたり、一緒にお酒を飲みに行ったりすることも多いんです。そういう子どもたちと、人生を共有できているのは本当にありがたいと思います。

▼プロフィール
上田誠/1958年、東京都生まれ。
1991年秋に慶應義塾高校の監督に就任。“ エンジョイ・ベースボール” を掲げ、春夏合わせて4度の甲子園出場。
2015年の夏の大会を最後に、監督を勇退。その後は、野球人口減少問題に取り組み、神奈川県学童野球指導者セミナーを設立し、さまざまな事業を展開している。
2019年6月には、日本高野連から育成功労賞が贈られた。

取材・文/松野友克