-Future Heroes 一覧はこちら- 日の目を見ずとも地道に根を伸ばした強肩強打の捕手・阿保拓真がついに表舞台に立つ。 出身は青森県の田舎館(いなかだて)村。人口8千人弱の小さな村の公園で「それくらいしかすることが無かった(笑)」と…

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 日の目を見ずとも地道に根を伸ばした強肩強打の捕手・阿保拓真がついに表舞台に立つ。

 出身は青森県の田舎館(いなかだて)村。人口8千人弱の小さな村の公園で「それくらいしかすることが無かった(笑)」と野球を自然と始めた。だがそんな仲間たちは実力者だった。決して大所帯ではない田舎館BBCだったが、東北大会3位まで駆け上がった。阿保もその中で4番を担い外野を守った。

 田舎館中在学時に、隣町にあり従兄弟も在籍していた弘前工が全国区の強豪・光星学院(現八戸学院光星)と勇敢に戦う姿を見て進学を決めた。
 しばらく外野手だったが、高校2年秋前の練習試合で滝淵安弘監督からいきなり「キャッチャーできるか?」と尋ねられ捕手に転向。強肩に自信のあった阿保は正捕手として着実に力をつけていった。
 そして翌夏、エース藤田航生(現西武)の視察に来ていた平成国際大・大島義晴監督の目に留まる。
「体にサイズがあったし送球も打撃もクセが無かった。軽く投げたようで球は行くし、広角に打つことできました」
 最後は4回戦で弘前学院聖愛に敗れたが、後日グラウンドまで大島監督がわざわざ足を運んでくれた。阿保は大島監督から伝わる情熱と「君の力ならプロに行ける」という言葉が響き、他大学の誘いを断り進学を決めた。
 大島監督は「そんなこと言ったかな?」と苦笑いで振り返るが「なかなかいない打てる捕手なので、上(社会人やプロ)でできる力はあると思いました」と話すように1年春から正捕手に抜擢した。
「キャッチングやスローイングは練習で良くなるかもしれません。ですが、1球として同じ場面が無い中で、いかに配球して、野手への指示を含めていかに試合自体をリードするのか。そうしたものは、とにかく試合に出て経験しないと覚えませんからね」(大島監督)



 マスクを被り始めた当初は「阿保で勝って、阿保で負けて。そういうことばかりでしたね」と大島監督は振り返る。それでも「監督が負けを覚悟しないと育成はできないですから」と我慢強く起用を続けた。
 しかし、2年春のリーグ戦で最下位に沈むと入替戦でも敗れて2部に降格。その後は2部リーグで優勝しながらも、2季続けて入替戦で3回戦までもつれながらも敗れて1部昇格はならず。昨秋の入替戦で3度目の正直を果たすまで日の目を見ない2部リーグで過ごした。
 その3季について阿保は「長くて辛かったです」と正直に吐露する。「大学でプロを目指す」との目標でやって来たにもかかわらず、全国はおろか1部にも上がれず。あと一歩で昇格を逃すたびに「何のためにやってきたんだ」と気を落とした。
 そんな苦しい状況ながらも、必死に腕を磨いてきた。打撃ではタイミングの取り方を変えたり個人練習でマシンを近く置いて打ち込むなどして速い球に差し込まれることが無くなり4番打者に。スローイングではどうしても前で捕球したがる癖があったが、体のなるべく近くで捕球するようにして強肩を生かした送球をより速く正確に行えるようになった。
 また大島監督の指導によって視野も広げた。「グラウンドを上から見る想像をしながらやってみろ」と言われ、扇の要として他の8人の選手たちをいかに動かせるかをしっかりと意識できるようになった。配球も大島監督が過去の大学野球の実例などを映像で見せることにより、我慢強さが生まれた。

 こうして攻守でチームの大黒柱となると、昨秋ついに1部復帰を掴み取った。今年はようやく戻ってきた表舞台で勝負の年となる。チームとしては春のリーグ戦を制しての全日本大学野球選手権出場、個人としては「プロを目指してここに来たので挑戦したいです」と抱負を語る。
「あの苦しい時期があったから」と、心からそう言える春、そして1年にしたい。そのために阿保は常にひたむきに高みを目指す。

文・写真=高木遊