サッカー日本代表・心を揺さぶられたベストゲーム
第7回:
2015年1月16日 アジアカップ・グループリーグ
日本1-0イラク

 見る者の想いを背負い、世界トップクラスを目指して走りつづけてきたサッカー日本代表。その長い戦いのなかで、歴史を大きく動かした名勝負がある。このシリーズでは、各筆者がそれぞれの時代のベストゲームを紹介していく。

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2015年アジア杯。本田圭佑がPKを決め、イラクを破った日本代表

 日本代表のベストマッチと言われて頭をよぎるのは、日本代表がベスト16に進出した2度のW杯の試合になる。2018年ロシアW杯ではセネガル戦とベルギー戦。2010年南アフリカW杯ではカメルーン戦とデンマーク戦。いずれもあえて言い出すまでもない、多くの人の記憶に残っている試合だ。少し当たり前すぎるので、ひとひねり、きかせたくなる。

 歴代の日本代表監督の中で誰が一番よかったかと問われた時、ハビエル・アギーレだと言いたくなる筆者としては、彼が采配を振るった試合の中から選びたくなるのである。

 アギーレをいい監督だと実感した試合。

 2015年アジアカップオーストラリア大会。日本は準々決勝でUAEに延長PK戦で敗れ、ベスト8に沈んだ。そのタイミングで、アギーレの八百長疑惑が浮上。サラゴサ監督時代のレバンテ戦で関与した可能性ありと、スペインの検察に告発された。日本サッカー協会はこれを重視。疑わしきは罰せずの論理に従うことなく、アギーレとの契約を解除した。

 日本はその4年前、2011年カタール大会で優勝していたので、2015年大会にはディフェンディングチャンピオンとして臨んでいた。連覇を期待されながらベスト8に沈んだ。そして、代表監督は直後に解任された。

 アギーレジャパンのサッカーは過去のものにしたいムードに支配された。就任期間は半年弱。アジアカップを含めても試合数が10試合にとどまったこともあるが、そのサッカーは実際、あまり深く検証されていない。

 似ているのは、ズバリ西野ジャパンのサッカーだ。ヴァヒド・ハリルホジッチから西野朗さんに代表監督が交代するドタバタ劇が展開されたのはロシアW杯本大会の2カ月前。ロシアW杯でベスト16入りを果たし、最後のベルギー戦で接戦を演じることを想像した人は、その時、圧倒的に少なかった。

 西野さんが何か改革を図ったと言うより、単にハリルホジッチ以前のサッカー=アギーレジャパンに戻ったという印象だ。選手がどこかで2年数カ月前のサッカーを欲していたと推察する。

 2015年1月。アジアカップ準々決勝でUAEに、延長PK 負けしたアギーレジャパン。2連覇を狙っていたチームがベスト8で敗れた落胆から、内容に焦点は当たらなかったが、それは特段、悪くなかった。

 グループリーグの3試合=パレスチナ戦(4-0)、イラク戦(1-0)、ヨルダン戦(2-0)しかり。UAE戦以上に語られることはなかった。このエアポケットに陥りがちな3試合は、西野ジャパンを語る上でも欠かせない3試合であるとは、筆者の見解になるが、中でも秀逸な出来映えだったのが第2戦。1月16日、真夏の陽気のブリスベンで行なわれたイラク戦になる。あるべき日本サッカーの原型を見るかのような(森保ジャパンのサッカーがどうなるのか、定かではないが)一戦だった。

 スコアは1-0。しかも、唯一の得点は本田圭佑のPKという、数字的に見れば、かなりショボい勝利になる。だが、チャンスは山のようにあった。本田1人でポストやクロスバーにシュートを3本当てている。その他にも枠内シュートが5本もあった。

 ボール支配率は61.1%対38.9%。スコアは1-0だったが、3-0で勝っていても何もおかしくない試合だった。「あらゆる1-0の中で、最も1-0らしくない試合」とは、試合後、筆者がノートにメモした印象だ。

 布陣は4-3-3で、メンバーは以下の通りだった(所属はいずれも当時)。

 GK川島永嗣(スタンダール・リエージュ)、DF長友佑都(インテル)、森重真人(FC東京)、吉田麻也(サウサンプトン)、酒井高徳(シュツットガルト)、MF遠藤保仁(ガンバ大阪)→今野泰幸(ガンバ大阪)、長谷部誠(フランクフルト)、香川真司(ドルトムント)、FW本田圭佑(ミラン)→武藤嘉紀(FC東京)、乾貴士(フランクフルト)→清武弘嗣(ハノーファー)、岡崎慎司(マインツ)。

 従来(ザックジャパンまで)の日本代表は、攻撃が真ん中に固まる傾向があった。ピッチを広く使うことを不得手にしていたが、監督がアギーレに代わると、そのあたりは是正された。

 2014年ブラジルW杯に臨んだザックジャパンで、4-2-3-1の3の左を務めた香川真司は、そのほとんどの時間を真ん中でプレーした。左サイドは長い時間、サイドバックの長友1人がカバーすることになった。サイドで数的不利が生じやすいこの特性を、初戦のコートジボワールは突いてきた。奪われた2失点はまさにその産物だった。

 このアジアカップで4-3-3の左を務めた乾貴士(香川は1トップ下に回った)は、香川のように真ん中に入り込みすぎることはなかった。後方で構える長友とコンビネーションを図りながら、ピッチを広く使おうとした。まさにロシアW杯的だった。

 両サイドで幅を取りながら真ん中を突く。したがって支配率は上昇し、パスコースも増えた。見栄えのよい美しいサッカーができていたのだ。

 4-3-3という布陣は、主に相手ボール時における体型で、マイボール時は3-4-3だった。1ボランチ=アンカーを務めた長谷部誠は、マイボールになると、両センターバックの間に割るように降り、3バックのセンターとしてプレーした。

 イラク戦の後半18分、遠藤保仁に代わり、守備的MFとして今野泰幸が投入されると、布陣は4-3-3から4-2-3-1に変化した。しかし、これも相手ボール時の話だった。マイボールに転じると、例によって長谷部が下がり、守備的MFは今野1人になった。4-2-3-1はつまり、3-3-3-1に変化した。パスコースがあらゆる布陣の中で最も多いとされる、3バックの中でも最も攻撃的とされる布陣だ。

 遠藤を今野に代えれば、サッカーは地味になると考えるのが普通だ。しかし、実際にはそうはならなかった。パスコースが増えたことで、パスの名手、遠藤がピッチを去ってもなお、見栄えのよさは保たれることになった。内と外のバランスが取れた、安定感のあるサッカーだ。

 もはや5年以上前の話だが、このアギーレ式を日本の指針とすべきサッカーだと、いまでも確信している。W杯ベスト8、ベスト4への道はこの延長線上にある。八百長疑惑も晴れたことだし、アギーレには近い将来、日本代表監督の座に返り咲いてほしいものである。