連載「Voice――今、伝えたいこと」第13回、元五輪メダリストが語る「スポーツの力」 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ…

連載「Voice――今、伝えたいこと」第13回、元五輪メダリストが語る「スポーツの力」

 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽しむことができず、アスリートは自らを最も表現できる場所を失った。

 日本全体が苦境に立たされる今、スポーツ界に生きる者は何を思い、現実とどう向き合っているのか。「THE ANSWER」は新連載「Voice――今、伝えたいこと」を始動。各競技の現役選手、OB、指導者らが競技を代表し、それぞれの立場から今、世の中に伝えたい“声”を届ける。

 第13回は、ソウル五輪のシンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)でソロ、デュエットともに銅メダルを獲得し、日本の世界的躍進に大きく貢献した小谷実可子氏だ。東京2020招致アンバサダー、日本オリンピック委員会(JOC)理事として活動する一方、指導者としてジュニア世代から大人まで幅広い年齢層に競技の魅力を伝える小谷氏が今、日本に伝えたいメッセージとは。

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 アンバサダーとして招致に尽力し、JOC理事として開催準備を支えてきた東京オリンピック・パラリンピック(東京2020)。コロナ禍により開催は1年延期されることになったが、小谷氏は「中止にならなくてよかった」とホッとした表情を浮かべた。もちろん、このような事態を迎えないことが理想ではあったが、誤解を恐れずに言うなら「日本だからこそ中止にならずに済んだ」と考えている。

「延期というのは本当に大きな決断で、多くの人の想いと仕事量がないとできないこと。日本だからこそ、コロナが蔓延する前に競技施設がほぼ予定通りに出来上がり、開催準備が整っていたからこそ、ウイルスに打ち勝ちさえすればなんとか開催できると思える。これが準備が滞っていたり、準備状況が混乱していたら、延期は絶対に無理だったと思うんです。こういう状況はない方がいいことではありますが、日本だったら乗り越えられると思っています」

 長く続く五輪史上初めての開催延期という選択に、日本は国を挙げて開催場所や実施方法などの再調整に乗り出した。世界に目を向けても、各競技団体が2021年に予定されていた世界大会の会期を再調整するなど、東京2020の成功を全面サポートしている。だからこそ、東京2020は「かつてない特別な大会になる」と期待している。

「JOC理事という立場だと、国から支援をいただいて強化事業をやっていることもありますので、日本のメダル数など結果は度外視、とは本来は言えません。ただ、今度のオリンピックは東京に利益や感動をもたらすもの、日本のアスリートが活躍すればいいものではなくて、世界で力を合わせて新型コロナウイルスに打ち勝って成功させる平和の祭典。このミッションに向けて国境はないと思います。そういう意味での期待と応援をすごく感じています」

辛い時に思い出す米王者からの言葉「全ての出来事には理由がある」

 もちろん、ソウル五輪でメダルを獲得した“先輩”として、東京2020に照準を合わせていたアスリート達が感じたであろう衝撃は痛いほど分かる。「アーティスティックスイミングの選手も1日の練習が終わるたびに『1日終わったからあと何日でオリンピックにたどり着けるぞ』と、日々生きるか死ぬかの練習をしてきているので、プラス365日分の練習が加わるのは本当に精神的には苦しいこと」と共感するが、力強い言葉で背中を押す。

「みんなが向かっているオリンピックはかつてない、そして2度とないであろう特別な大会になる。そこに選手として出られる誇りを力に変えられるように頑張って」

 小谷氏には現役時代から、ずっと大切にしている言葉がある。「Things happen for a reason(全ての出来事には理由がある)」――。ある大会の後で、当時の米国チャンピオンからもらったメッセージだ。

「高校でアメリカに留学をしました。アメリカでかなり成績を上げて、高い評価もいただいていたので、当時アメリカよりレベルが低かった日本ではすぐに勝てるだろうって自信を持って帰ってきたんです。でも、そこからの10代はずっと日本で勝てない日々が続きました。自分には才能があるだろうって思っていた自信や誇りみたいなものを全部失って、どん底まで落ちた。でも、自分をもう一度見つめ直して基本からしっかりやってみたら、(1987年日本選手権で)優勝できたんです。その時に思い出したのが、アメリカのチャンピオンからもらったメッセージ『Things happen for a reason』でした。

 苦労しないで最初から日本では勝って当たり前、と思っていた自分がいたんですけど、上手くいかなくて挫折したり苦しんだり、努力することを身につけて、頑張ってみたら優勝できた。その時、こういう頑張ること、諦めないこと、謙虚になることを学ばせるために、私は遠回りさせられたんだと思ったんです。それ以来、どんな苦しいことがあっても、これは自分を成長させてくれる神様からの試練なんだ、と思うようになり、オリンピックまで乗り越えることができました」

 このコロナ禍が「与えられた試練だとは捉えていません」。だが、少し視点を変えて「選手にとってはもっと成長できる、あと1年強化できる期間をもらったと思うこともできる。選手によって置かれている状況は様々ですが、プラスに切り替えることで乗り越えていってほしいと思います」とエールを送る。

現役選手へ送る言葉「五輪で頑張る姿を見せることが社会に力を与える」

 今、苦境に立たされているのはスポーツ界だけではない。全ての人々が少なからぬ影響を受け、医療従事者や社会の基盤を支える人々は最前線に立ち、目に見えぬ敵と戦っている。JOCの公式ツイッターでは様々な競技のアスリートが動画でメッセージを発信している。そこにはスポーツが持つ力が込められている。

「スポーツを通じて応援をいただくアスリートは、その喜びや力を一番知っている人たち。応援を力に変えられると知っている私たちだからこそ、医療従事者の方や頑張っている皆さんを応援し、エールを届けたいと思っています。

 今、アスリートたちは練習ができない中、家でできるトレーニングをしたり、家の周りを走ったり、工夫して練習しようとしています。中には、スポンサーとの契約が切れてしまうなど、難しいことに直面している人もいる。それに加えて、やっぱり心の中では『みんなでウイルスと戦っている時にスポーツをやっていていいのだろうか』と思うこともあるんですね。延期に尽力して下さった組織委員会でも『オリンピックのことを考えている場合だろうか』と、葛藤を持っている方もいると思います。

 それを乗り越えることは大変だと思いますが、少なくとも現役アスリートに言いたいのは、社会に対しての応援や貢献は、オリンピックやスポーツからいろいろな感動をいただいた私たちOBやOGに任せてください。現役アスリートは練習をすることが一番。その結果として、オリンピックで頑張る姿を見せることが社会に力を与えることになりますから」

 小谷氏は自宅で過ごす時間を生かしながら、星野源の「うちで踊ろう」にお風呂で踊るアーティスティックスイミングでコラボするなど、見た人が笑顔になれる動画などを自身のSNSを通じて発信している。自宅では「家族全員で過ごす貴重な時間を大切に思い、丁寧に感謝の気持ちを持って生きる価値を感じつつ」過ごす日々。「忙しく過ごす中では感じられないことに私自身たくさん気が付いている。世界の人たちが共通する苦しみを乗り越えようとする中で、これからの生き方、家族との向き合い方、働き方を見つめ直すきっかけになるかもしれませんね」と話す。

「『トンネルの先には必ず光が見える』と言います。羽生結弦さんがJOCの動画メッセージで『3.11の時の夜空のように、真っ暗だからこそ見える光があると信じています』と仰るのを聞いて、本当にその通りだと思いました。こういう状況だからこそ、感じられる家族や友人のありがたさ、声を掛け合ったり助け合ったりする大切さ、今だからこそ見える景色を知る貴重な機会だとポジティブに捉えて、みんなで乗り越えていきましょう」

 世界が一つになって苦境を乗り越え、東京2020に明るい光をもたらしたい。

■小谷 実可子(こたに・みかこ)

 1966年8月30日生まれ、東京都出身。小学生からアーティスティックスイミングを始め、国際大会で入賞するなど頭角を現した。高校は米国のノースゲート・ハイスクールに単身留学し、米代表チームを率いたゲイル・エメリー氏に師事。帰国後、1985年のパンパシ水泳でデュエット優勝、ソロ2位の好成績を収め、全日本選手権で4連覇を飾る。1988年のソウル五輪では開会式で旗手を務め、ソロ、デュエットでともに銅メダルを獲得。日本の世界的躍進に貢献した。1992年のバルセロナ五輪では代表入りも出場機会はなく、五輪後に引退。現在はJOC理事として東京2020のオリンピックムーブメントの推進や選手強化のサポートにあたるほか、指導者としてアーティスティックスイミングの魅力を伝えている。(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)