写真:水谷隼(木下グループ)/撮影:伊藤圭「男子選手の団体候補選手は水谷隼」――。1月6日の卓球日本代表候補発表会見の席上、倉嶋洋介監督が静かに口を開いた。その様子を水谷は自身のスマートフォン越しに眺めていた。「よっしゃ!」。思わずつぶやく…

写真:水谷隼(木下グループ)/撮影:伊藤圭

「男子選手の団体候補選手は水谷隼」――。1月6日の卓球日本代表候補発表会見の席上、倉嶋洋介監督が静かに口を開いた。その様子を水谷は自身のスマートフォン越しに眺めていた。「よっしゃ!」。思わずつぶやく。周りにいた大島祐哉や田添兄弟が祝福の声を掛ける。少し遅めの昼食を取りながらのことだった。

同日、水谷はTwitterにこんな投稿をした。

「東京オリンピックの代表に選出されました 自分を選んだこと後悔させません ロンドン、リオと団体戦無敗なのでそのまま東京でも全勝して自ら引退の花道を飾ります こんな自分ですがもう少しだけお付き合いください」

日本の卓球界を牽引してきた男が最後の大舞台に臨む。覚悟が滲んだ97文字だった。

(取材:川嶋弘文・ラリーズ編集長)

「プレッシャーがあった」 苦しい選考レースの日々

「実は今、一番しっくりきているんです。ここからもう半年、もうヒト伸びできるんじゃないかって思っているんです」。

実は水谷は昨年末にラケットを新調した。今までの持ち手がまっすぐのストレートラケットから、持ち手が末広がりになっているフレアタイプに変更したのだ。

「ストレートだとフォアとバックの切り返しが難しいんで。フレアの方がフォアとバックの切り返しがやりやすくて、特にバックのボールに対してフレアの方がいいボール打てる。これからさらに自分を成長させるなら、フレアの方がいい」。




写真:ラケット変更して臨んだドイツOP、林昀儒を下すなど実力を見せつけた/提供:ittfworld

ミリの単位でボールさばきの技術が要求される卓球において、ラケット変更は勇気のいることだ。だが、“いい”と思えば迷わず突き進む。水谷を突き動かすのはいつだってシンプルな理由だ。「強くなりたい」、それだけだ。

ただ、振り返れば、この1年は、苦しい時期が続いた。「シングルスの代表権を得るために勝たなきゃならないっていうプレッシャーがあった」と漏らす。

2019年、シングルスの代表権獲得に必要なポイントでは、張本智和(木下グループ)が頭ひとつ抜けており、続く丹羽孝希(スヴェンソン)と水谷は僅差で争っていた。

水谷の誤算だったのが、9月のT2ダイヤモンド中国大会の延期だ。当初、丹羽は出場せず、水谷が出場する予定で、出場するだけで400ポイントを獲得できる。4位に入れば600ポイント、優勝すれば1000ポイントを獲得できる大会が中止になってしまったのだ。当時のポイント差は555Ptで水谷がリードしていた。T2中国でポイントを獲得し、丹羽を突き放すつもりだった。

続くT2シンガポール大会でも水谷のみの参戦予定だったところが中国選手の不参加が相次ぎ、丹羽が急遽、繰り上げ参戦。2つのT2でポイントを加算しようと目論んでいた水谷にとっては不運が重なった。

結果、水谷が出場できなかった11月の男子W杯で丹羽がベスト8に入り、ポイントで丹羽が逆転し、水谷を一歩リードした。




写真:グランドファイナルでの水谷隼/撮影:ラリーズ編集部

12月に中国で行われた選考レース最後の戦いであるグランドファイナル、代表選考に必要なポイントで丹羽に逆転を許していた水谷は今大会ではベスト4に入ることが最低条件とされていた。世界トップクラスの選手が集うグランドファイナルでベスト4に入るのは至難の業だ。結果、水谷は1回戦で姿を消した。過去2戦負けなしのブラジルの若手、ウーゴ・カルデラノ相手に1−4で敗れてしまったのだ。

試合後、水谷は「今までにないぐらい卓球を嫌いになったというか、卓球をしている時が何よりもつらかった」と珍しく後ろ向きな言葉をこぼした。

「7割あれば十分」 水谷の五輪に懸ける思い




写真:「ほとんど球が見えない」と以前告白した水谷隼/撮影:伊藤圭

何より、2年前から悩まされてきた目の不調も追い打ちをかけている。以前「ほとんど球が見えない。正直、今の自分は全盛期の3割くらい」と症状を告白した。それ以降、何か変化はあったのだろうか。

「最近はその… 環境に関係なく見づらいっていう部分はあるんですよ」と無情な一言が告げられた。以前は「特定の条件下で、球が見えなくなる」と訴えていた。卓球台の周囲が暗く、台にだけ白い光が当たっており、周囲が電光掲示板で囲われている場合だ。

「自分の視界がおかしくなってる。なんかもう、焦点が合わないっていうか。構えているときに目がおかしな方向にいっちゃう。視線が合わないんですよ」と深刻な症状を明かす。目の調子は好転していないようだ。

それでも水谷は以前とは違い、どこか吹っ切れた印象を受ける。「前は全盛期の3割って言ってたっけ?今は全盛期の7割くらいで戦える。7割あれば十分。目や体は衰えていくかもしれないけど、戦術や総合力では負けない自信があるんです」。

その証拠にドイツオープンの林昀儒戦では0-3から4ゲームを連取し、鮮やかに逆転勝ちしてみせた。それに東京五輪の舞台は、過去V10を達成した全日本選手権の会場、東京体育館だ。照明も国際大会とは異なり、全体的に明るい。慣れ親しんだ会場は文字通り、ホームグラウンドとなるだろう。




写真:鮮やかな逆転勝ちを見せたドイツOPでの水谷/提供:ittfworld

三十路を迎え、一線を退くことを明言して臨む大舞台。決して万全とは言えない。

「代表に選ばれて、やっとスタート地点に立った。これから本番まで、どれくらい強くなれるかな」。

誰よりも水谷の可能性に期待しているのは自分自身だ。五輪に懸ける思いは、小学校の卒業文集に「目標はオリンピック」と記した頃から変わっていない。

では一体水谷は東京五輪について、どう思っているのだろうか。率直にメダルの可能性を聞くと笑顔でこう答えた。

「メダル?70%は獲れると思ってるよ」。

その言葉の真意とは。

(第2話 「金メダルの可能性は20%」伊藤美誠との“最強ペア”で描く水谷隼のゲームプラン に続く)

文:武田鼎(ラリーズ編集部)