Never give up! 
日本フィギュアスケート2019-2020総集編(7)

 カナダのモントリオールで開催予定だった世界フィギュアスケート選手権が、新型コロナウイルスの影響で中止になり、2019-2020シーズンが終了。今季も氷上で熱戦を繰り広げた日本人スケーターたちの活躍を振り返る。

 今季、全日本選手権を最後にシングルスケーターとして2度目の区切りを迎えた髙橋大輔。次なるステージに向かう決意とは--。



シングルスケーターとしては最後の全日本選手権になった髙橋大輔

「あと10年若かったら……」

 2019年12月の全日本選手権後、髙橋大輔(34歳)はそう言って無念さを絞り出した。ショートプログラム(SP)は14位、フリースケーティングは10位。総合で12位に低迷した。

 戦う前から、分の悪い勝負だった。肩を痛め、足首を挫き、年齢的に回復力の早さは望めない。スケート靴の調整も、ピアノ、グラフ、アイスフライと手間取り、時間がかかった。新プログラムをぶっつけ本番で、公式戦は約1年ぶりの出場。本格的な練習に挑めるようになったのが、大会1、2週間前のことだ。

 にもかかわらず、髙橋はSPもフリーも一縷(いちる)の望みに賭け、勝負を捨てずに挑んでいた。それが彼の生き方だった。2018年には、4年ぶりの現役復帰で宇野昌磨に続く2位という快挙を遂げていた。

「試合って、出るからには少しでも上の順位を争うじゃないですか。僕自身、無理だな、と思います。でも昔からそうですけど、高いところを目指していないと、そこには絶対にたどり着けない」

 髙橋は大会前に語っていた。その挑みかかる気持ちで、これまで翼を授けられてきたのだろう。その日、表彰台に立つ奇跡は起こらなかったが--。

 シングルスケーターとして最後の舞台、髙橋は生き様を示した。

 髙橋は優しさ、善良さが際立つアスリートと言えるだろう。生き馬の目を抜く勝負の世界では、珍しい存在と言える。34歳になっても、驚くほど世間ずれしていない。

「僕はお金っていうところではモチベーションは上がらないです。周りからは『稼がなきゃいけない』と言われるんです。もちろん、食べられないのは困りますけど、贅沢しなくていいから楽しい仕事を……いや、仕事っていう感覚が持てなくて(笑)」

 髙橋は、ほのぼのとした顔つきで言う。

 もっとも、彼が求める楽しさとは、怠惰と同義ではない。むしろ反意語で、スケートに対しては限界まで肉体を追い込む。一切、手が抜けない。たとえば、アイスショーをやり終えた翌日のインタビュー、部屋に入ってきた直後の彼は、まるで幽鬼のようだった。妥協なく、絞り込んだ証だ。

 --不器用にも映る人ですね?

 あまりの律義さに、そう訊ねたことがあった。

「なんていうか、ズルするのが好きじゃない。たとえば列に並んでいて、あっちの方がすいている、っていうときでも、こっちでいいやって。要領よく生きる、っていうのが苦手で」

 髙橋は、そう言って面映(おもは)ゆそうにした。醜いエゴが表面化しない。無垢な少年のようだ。

「スケートは、(最後の全日本後も)アイスダンスで現役を続けることになっていたので、自分の中で、”シングル引退”をそれほど大きく捉えていなかったんです。でも、みんなに『ラスト頑張れ!』ってたくさん言われるうち、『マジか、最後だ』って気づいて(笑)」

 全日本後、髙橋はそう振り返った。涙をこらえきれなくなりそうながらも、聞き手の心情すら案じて答えていた。取材エリアが暗い空気になるのを、朗らかな性格の彼は好まない。

「全日本、自分が初めて優勝(05-06シーズン)して、14年も経ったんですねぇ。あの頃の自分は、14年経って、まだ滑っているとは思っていなかったと思います。あれからずっと、全日本はケガをしたときを除いてずっと出場してきて……。あ、忘れていました! しばらく引退していましたね」

 心根の優しい男は、そこで小さな笑いを取った。



アイスダンサーとして新しい道を歩み始めている髙橋大輔

 もし10年若かったら……と、髙橋は言う。しかしその10年で、彼は数々のドラマを作り続けてきた。どれもかけがえのない記憶だ。

 五輪でのメダルも、世界選手権優勝も、GPファイナル優勝も、日本人フィギュア男子としてはすべて初だった。前十字靭帯断裂から復活し、競技を続けたことは、世間に知られている以上にたいへんなことで、アスリートとしての不屈さを示した。仕上げに、4年ぶりの復活で全日本の表彰台に上った。世界中を見渡しても、前人未到の記録だ。

 彼はその優しさを極めることで、誰にもない強さを身につけた。

「シングルスケートがなかったら、今の自分はないです」

 髙橋は優しい口調で言う。

「シングルしかしてこなかったので、自分にとって、それが何か、を答えるのは難しいです。いろいろな出会いを与えてくれて、人生を豊かにしてくれました。シングルに出会えて、幸せ者だったと思います」

 彼はたえず、巡り会う人や迫りくる運命に感謝し続けてきた。その一本一本の糸が紡がれ、結ばれていった。巨大な野心や虚栄心よりも、謙虚さや無邪気さが、彼に力を与えた。

 シングル最後の風景に、それは象徴されていた。フリーの演技が終わった直後だ。

「大ちゃん! 大ちゃん!」

 身体の芯を熱くし、目を潤ませた観衆が、こらえきれずに声を出す。その声が拍手と重なり、音で優しさが伝播し、温かく会場を覆う。それは永遠の一瞬だった。

 髙橋は、シングルスケーターとして生き抜いた。必死にその道を切り開いてきた男は、一度引退したあと、再びこの世界に戻り、「ようやくスケートが好きって言えます」と洩らしていた。ひとつの境地に達したのだ。

「来年(2020年)の全日本に戻ってこないとやばいですよね!」

 全日本選手権取材の最後、髙橋は快活な表情で言った。村元哉中とカップルを組み、2020年1月からはアメリカのフロリダでアイスダンサーとして始動している。

「シングルでは、五輪のメダルはもう無理で。わかりたくはないけど、長くやってきたので、それはわかって。アイスダンスは初心者だし、課題ばかりですが、少しの可能性はあるかなって。(村元と)お互い目指すところは、2022年北京オリンピックと決めて。大きな目標がないと頑張れないので、難しいけど、頑張りたいです」

 髙橋は心根の優しい男だが、勝負から逃げたことはない。全力で立ち向かう。その激闘の果てに、道は広がった。

 アイスダンサーとしても、その信条は変わらない。

「舞台(『氷艶』)を経験し、他ジャンルの人とのコラボで、スケートの可能性はまだまだ広がる、と感じました。自分はできる限り長く、スケートで表現していきたい。人と組むことで、いろんな伝え方ができるようになるはず」

 滑りを極める道か。ただ、髙橋のスケートとの対峙は、もっとふわりと柔らかい。子どもが好きなものに飛びつく自然さだ。

「僕は滑り続けます。氷の上でパフォーマンスがしたい!」

 ひとつの物語の終わりは、もうひとつの物語の始まりだ。

【2019-2020シーズン主な成績】
■全日本選手権(204.31/12位)