原動力の在りか 「大学水泳人生の8割くらいがけがと戦う時間でした」。昔は気分の浮き沈みが激しかったと自らを表する大芦知央(スポ=大阪・関大北陽)だが、気さくで優しい人柄は不思議とその場を穏やかにする。だが、その陰にはけがと戦いながら突き進ん…

原動力の在りか

 「大学水泳人生の8割くらいがけがと戦う時間でした」。昔は気分の浮き沈みが激しかったと自らを表する大芦知央(スポ=大阪・関大北陽)だが、気さくで優しい人柄は不思議とその場を穏やかにする。だが、その陰にはけがと戦いながら突き進んできた4年間があった。けがを抱える己と向き合う中で、一体何が大芦を前進させたのだろうか。そこには壮絶な時間で見つけた、人々を大切にする心があった。

 高校時代はインターハイ優勝という輝かしい成績を持つ大芦は、漠然とした憧れと、当時慕っていた先輩が水泳部に在籍していたことから、早大への進学を決意。だがそこには慣れない生活が待っていた。練習回数が増加し、高校ではなかったウエイトトレーニングも導入。さらに、強者ひしめく早大水泳部で現実に打ちひしがれることもあった。自分は思うような記録が出ない中で、先輩たちは次々とオリンピック行きの切符をつかんでいく。その高い壁を前に、自信を失ってしまっていたのだ。そんな大芦を救ったのは、先輩である坂井聖人(平30スポ卒=現セイコー)の「自信を持ってやった方がいい」という言葉。これをきっかけに、沈んでいた心が徐々に前を向き始めた。