人としての成長 「自分は控えめな性格で、周りはそれを優しいと言うのでそれが自分の長所だと思っていた」。中川拳(スポ=北海道・帯広三条)は「控えめ」ゆえに誰よりも謙虚にストイックにトレーニングを続けてきた。そうして1、2、3年時と素晴らしい結…

人としての成長

 「自分は控えめな性格で、周りはそれを優しいと言うのでそれが自分の長所だと思っていた」。中川拳(スポ=北海道・帯広三条)は「控えめ」ゆえに誰よりも謙虚にストイックにトレーニングを続けてきた。そうして1、2、3年時と素晴らしい結果を残してきた。しかし4年生になり主将を任されると、その「控えめ」は彼をおおいに悩ませることになる。大学での4年間は順調にはいかなかった。そうした4年間を中心に、彼の競技人生全体を振り返っていく。

 中川が自転車競技に出会ったのは中学1年生の時。当時やっていたアルペンスキーのオフトレーニングとしてロードバイクに乗り始める。初めて出たレースでは最下位であったが、それでもトレーニングを続け、初めは1日5キロメートルだった走行距離も50キロメートルにまで伸びた。レースでも良い結果を残せるようになっていき、少しずつ自転車競技に魅了されていく。高校は自転車競技の強豪校に進学することも考えたが、当時はまだ自転車競技に本格的に打ち込む踏ん切りがつかなかったため、中川は地元の道立帯広三条高校に進学する。

 高校に進学すると中学時代とは生活リズムが大きく変化したことから両方の競技を続けることが難しくなり、挫折気味であったアルペンスキーを続けることを断念。自転車競技一本に絞った中川であったが、高校には自転車競技部がなかった。平日には1人でトレーニングし、トレーニングの時間を確保するためバス通学も辞め35キロメートル離れた高校まで自転車で通学。週末には社会人の練習会に積極的に参加した。高校3年間を通してストイックにトレーニングし続けた結果、全国高等学校総合体育大会では上位の成績を収め、海外のレースに出場する機会にも恵まれた。大学でも競技を続けたいという思いが強くなり、他大学からも声がかかる中、練習環境が一番良いという理由で早大を選んだ。

 大学生になってからは高校の時と比べてはるかに多くの時間をトレーニングに費やすようになった。「冬も雪がほぼ降らないので外でトレーニングできることが嬉しくて仕方なかった」。大学1、2年の年末は実家に帰らずに東京でトレーニングしていたほどである。全国大学対抗選手権の男子ロードレースでは1年時には3位、2年時には5位と早くから結果を残してきた中川。そのような彼が大学4年間で最も印象的であると語ったレースはツアーオブジャパン2018である。大学生を中心とした日本ナショナルチームの一員として参加した中川は、最終日の東京ステージで8位に入る健闘を見せた。しかし中川にとって印象的だったのはその結果ではなく、「1週間を通してほぼ毎日100キロメートル以上走るステージレースのなか、自分はレース後いつも満身創痍であった一方、トップレベルのプロ選手は『バカンスみたいで楽しいね』と言いながらアイスクリームを食べていた」ことである。こうしたハイレベルな環境を身をもって体験したことで、プロへの道筋を鮮明にイメージできるようになった。そうした意味でツアー・オブ・ジャパンは中川にとってとても良い刺激になったレースである。


大学4年時は思うような結果が残せなかった

 中川は「大学での4年間はまさに紆余曲折という言葉がぴったり」と語る。1、2、3年時にわたってレースで目立った結果を残してきたが、主将となった4年時はそう順調にはいかなかった。部全体が良い結果を残せるように様々な事を自身で決定することに常に不安を感じ、時には主将として部のために自分を犠牲にすることもあった。「選手である自分と主将である自分とのジレンマに悩まされることが多かった」という中川にさらに追い討ちをかけたのがオーバートレーニング症候群の再発である。レースでも3年時のようなパフォーマンスを発揮することができなくなり、また重要なレースに限って落車してしまうなど苦渋を味わった。インカレ前の合宿では肉体的にも精神的にも限界に達してしまい、インカレの欠場を決断する。結果、選手として1年を棒に振ってしまうことになったが、「人として随分と成長できた年になった」と中川は振り返った。「自分の長所である優しさと、はっきりと思いを伝えるという相反するアクションを状況に応じて使い分けていきたい。こうした苦悩は自分の控えめな性格に起因するものなので遅かれ早かれ人生において避けて通れない課題であったと思うし、むしろ失敗が許される大学生のうちに解決することができて良かった」と今は前向きに考えている。こうした大学4年時の経験は今後の人生において最良の選択を照らす灯火になるだろう。

 卒業後は愛三工業レーシングチームでプロとしてのキャリアを歩む。「選手として結果を残すことで、家族や今まで自分と関わってくれた人たちに恩返しをしたい」とプロへの意気込みを語った。「控えめ」に、時に「はっきり」と中川は自転車競技と向き合っていく。

(記事、写真 菅沼恒輝)