現在、なでしこリーグ2部のスフィーダ世田谷FCに所属し、プロサッカー選手として競技人生を歩んでいる下山田志帆さん。大学卒業後はドイツのブンデスリーガ(2部)で2シーズンにわたってプレーしたが、チームからの慰留を断り、2019年夏に日本に帰国。現在は、アスリートである傍ら新会社を設立し事業を始めるなど、新しい挑戦を行っている。競技人生で学んだこと、日本に帰国した理由、そして今後について話を聞きました。

取材・文/斎藤寿子

慶應義塾大学の女子ソッカー部で4年間汗を流した下山田志帆さん。卒業後の進路も“サッカーを続ける”選択をした。最大の理由は、大学3年生の時に味わった“悔しさ”。

「大手企業に入ることが、どうもピンとこなかったんです。考えてみれば、まだ自分の力で、何かタイトルを取った経験がないなと…。それと大きかったのは、3年生の秋にユニバーシアードの候補に選ばれて最終選考まで残ったのに、結局は選ばれなかった。高校、大学と不完全燃焼のまま終わらせるわけにはいかないと思いました」

とはいえ国内の女子サッカー界は厳しく、チームスポンサーなどの企業で働きながらプレーするという環境に置かれていることが多い。しかし、サッカー以外の時間も自分自身の糧にしたいと考えていた下山田さんは、海外でプレーをすることを決意。

すると、願ってもない話が舞い込んできた。当時の慶應義塾大学女子ソッカー部にはドイツ人のコーチがおり、そのコーチの父親がエージェントの仕事を始めるため、初めての顧客になってほしいという依頼があった。

エージェントが現地のドイツ人だったために、チームとの交渉はスムーズに進み、女子2部リーグのSVメッペンに所属することが決定。2017年7月、単身ドイツへと渡った。すぐにチームの練習に合流したが、そこで待ち受けていたのは“カルチャーショック”に似た困惑だった。

「2部とはいえ、ブンデスリーガ(全国リーグ)なので、サッカー自体はとてもレベルが高く、すごく楽しかったんです。ただ、外国人は私一人でしたが、チームメイトは何も手を貸してくれようとはしませんでした。それは意地悪だからというわけではなく、もともと日本人のような“おせっかい”というものが、個人主義のドイツ人にはないだけのことでした。それでも言葉もわからない中、どうやってコミュニケーションをとっていいかわからず、すごく大変でしたね」

そのうちにわかったのは、日本人と同様に“みんな違う”ということだった。拙いドイツ語で話しかけてみると、意外にもフレンドリーに接してくれる選手もいれば、面倒くさそうに答える選手もいた。そこで“ドイツ人だから”という固定観念を捨て、一人一人に合ったコミュニケーションの方法を模索することで、少しずつチームに溶け込んでいった。

プレー面では、主にチームワークを重要視する日本のサッカーとは異なり、ドイツでは『個』がものをいう世界。特に『1対1』の局面では絶対に負けることが許されず、そこで勝てなければ、チームからも監督からも認められない。

開幕当初は、ドイツ人のパワーに押され、吹っ飛ばされてしまうこともあったが”どうすればここで生きていけるのか”常に頭で考えながらプレーすることで自分の居場所を開拓。徐々にドイツのサッカーにも慣れ、監督にも実力を認められていき、スタメンとして得点シーンに絡む重要な役割を果たしていく。 2シーズンにわたってSVメッペンでプレーした下山田さん。1シーズン目には、2ケタ得点をマークする活躍でチームから信頼される存在になり、2シーズン目も同チームでプレー。しかし3シーズン目の契約を断り、2019年夏に帰国。活動の場を日本に戻そうと考えたのは、なぜだったのか。

「1年目のシーズンは、サッカーに限っていえば競技人生で最高のパフォーマンスでした。その一方で、サッカーを楽しめない自分がいました。結果を求めすぎて、自分で自分を苦しめていた部分があったのだと思います。2シーズン目は、サッカー以外の部分も大切にしようと考えたんです」

実はドイツから帰国する数カ月前に、下山田さんはあることを“カミングアウト”している。それは、自身が性的マイノリティであるということだ。その自分がアスリートであることで、自分にしかできないことがあるのではないか。カミングアウトは、その決意の表れだった。しかし、ドイツの小さな田舎では活動の幅を広げるには限界を感じ、悩んだ末、日本への帰国を選択した。

「2020年に東京五輪・パラリンピックが開催されるのを機に、日本では“ダイバーシティ(※多様な人材を積極的に活用しようという考え方)”が叫ばれるようになり、LGBT(※レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字をとった、性的マイノリティの総称)の活動も盛んになってきています。このタイミングを逃したくないと思いました」

日本スポーツ界でも『ダイバーシティ』は課題の一つとして取り上げられている。しかし下山田さんは、アスリートの声が行き届いていないように感じていた。だからこそ、現役アスリートであり、性的マイノリティでもある当事者の自分が声をあげていきたいと考えたのだ。

「海外ではLGBTの存在が認められていて、アスリートも普通にカミングアウトする風潮になってきています。しかし、日本では正式に同性婚が認められないなど風当たりは強く、スポーツ界でもカミングアウトしている選手はほとんどいません。

LGBTであることがマイナスであるというイメージがアスリートの中にはあるため、当事者であることを公表することでチームやスポンサーとの関係性が悪化してしまうことを恐れているんです。だからこそ、海外を経験している自分が先頭に立って、スポーツを通して『いろんな人がいていいよね』という多様な社会を築いていきたいんです」 帰国後、下山田さんが契約を結んだのは、なでしこリーグ2部のスフィーダ世田谷。スポンサー企業にはチームを支えようとする情熱が感じられ、双方の関係性が非常に良好なうえ、チームには多様性を受け入れる雰囲気があり、“このチームだったらサッカーも、それ以外での活動も思い切りやることができる”と感じたことが最大の理由だった。

実際、LGBTの当事者であるアスリートとしてダイバーシティを発信していく活動をしていきたいという趣旨を相談したところ、チームは理解を示してくれた。

19年7月からスフィーダ世田谷でプレーする傍ら、“モヤモヤした思いを抱きながら、どうしていいかわからない人たちと一緒に活動していく場所を作りたい”と、現在は起業家としての道を歩み始めている。

昨年10月には、元女子サッカー選手で下山田さんとは高校時代の同級生でもある内山穂南さんと共同代表で『株式会社Rebolt(レボルト)』という新会社を設立。社名の由来は改革を意味する“revolution”と雷を意味する“bolt”をかけたもので『雷のような大革命を起こしたい』という意味が込められている。現在は、女性アスリートによる社会課題解決を目指し、企業との商品開発を進めている。

「女性アスリートで、何かを発信していきたいと思っている人は結構たくさんいるんです。でも、その方法がわからず行動に移せない人が少なくない。一方で、非常に素晴らしい商品なのに、開発の背景やストーリーが見えなくて、なかなかヒットに恵まれていないものが溢れていると感じます。そんな女性アスリートと企業が、お互いの良いところを出し合って、不足しているものを補うことができれば、大きな効果が生まれると思います」

現在は、メーカー2社との商品開発が行われている。アスリートとともに、それまでの常識の壁を壊すようなムーブメントを起こしたいと考えている企業は少なくなく、事業化への手応えを少しずつ感じている。

事業を成功させることで資金力を持ち、ゆくゆくは女子サッカー界におけるLGBTなどの社会課題を発信していくロールモデルをつくっていきたいと考えている。最後にデュアルキャリアのメリットを聞いた。

「メリットは、“人”として“アスリート”として同時に成長ができることです。私の経験ですが、LGBT関連のイベントにゲストとして出席したときに、サッカーの話をすることで“アスリートの価値観”を知ってもらえる。そして興味を持ってくれた方が、実際に試合を見に来てくれる。両立していなければ、出会わなかった人たち。2つのことを同時にこなしていくことは大変ですが、様々な意見を聞き、多くの人と話をすることで、考え方も変化する。現役アスリートのうちに、ぜひ違うフィールドにも足を踏み入れてほしいです」

(プロフィール)
下山田志帆(しもやまだ・しほ)
1994年12月生まれ、茨城県出身。つくばFCレディース、十文字高等学校、慶應義塾大学でプレー。2015年ユニバーシアード大会の日本女子代表候補。17~19年、ドイツ女子2部リーグのSVメッペンに所属。19年7月からなでしこリーグ2部のスフィーダ世田谷FCでプレー。10月には、共同代表として『株式会社Rebolt(レボルト)』を設立。女性アスリートによる社会課題解決を目指し、様々な企業との商品開発を進めている。

※データは2020年2月5日時点